【DIC】美術館存続の可能性は?買収で成長してきたインキ世界首位メーカーの浮沈

「日本の至宝」と評されるコレクションを誇るDIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)が2025年1月から休館する。同美術館を所有するDIC<4631>の業績不振に伴い、アクティビスト(物言う株主)から売却を迫られているからだ。推定1400億円とも言われる美術品は、巧みなM&A戦略が生み出した莫大な利益で入手した。美術館を救えるのもまた、M&Aによる業績回復ではないか。

美術館開設を後押ししたM&Aによる業績成長

DICは2024年8月、同美術館を休館して規模縮小と東京への移転を目指すと発表した。DICは印刷インキでは世界首位、有機顔料、PPSコンパウンドでもトップを争う。化学メーカーとしても売上高で世界20位の大手グローバル企業だ。2023年12月期の売上高は1兆円を超える。ここまで同社を成長させたのが、巧みなM&A戦略だ。

最初のM&Aは大日本インキ製造時代の1952年2月、米国の合成樹脂メーカー Reichhold Chemicals,Inc. との合弁で、合成樹脂を手がける日本ライヒホールド化学工業(JRC)を設立したことに遡(さかのぼ)る。10年後の1962年10月に東証2部上場会社だったJRCを吸収合併し、併せて大日本インキ化学工業(DIC)に改称する。

その後も1979年3月に米国の印刷材料メーカーのPolychrome Corp.をTOB(株式公開買い付け)で買収。1986年12月には米Sun Chemical Corporationのグラフィックアーツ部門を買収し、新たにSun Chemicalとして独立させた。翌1987年9月には複合材用不飽和ポリエステル樹脂世界最大手の米Reichhold Chemicals Inc. をTOBで買収するなど、大型M&Aを次々と成功させる。

M&Aによる事業拡大で得た潤沢な利益を元に、1990年5月にオーナーの川村家が収集した美術品を展示する同社直営のDIC川村記念美術館がオープンした。つまりDICのM&Aなくして、この美術館はなかったのである。

DICのM&A戦略には三つの狙いがあった。

1.市場シェアの拡大 既存市場でのシェアを拡大するために、競合企業や関連企業の買収を進めた。これにより、競争力の強化と顧客基盤の拡大を実現している。

2.技術力の強化 新しい技術や製品を持つ企業を買収することで、DICの技術力を強化し、製品ラインナップを拡充。顧客の多様なニーズに応えることが可能となった。

3.グローバル展開の加速 海外市場への進出を加速するために現地企業を買収。現地の市場ニーズに迅速に対応し、M&Aを実施した各国での競争力を高めている。

BASFの顔料事業買収による損失で美術館運営が危機に

買収した企業の売上が加わることでDICの連結売上高が増加したほか、買収した企業の技術や製品を取り込むことで技術力が向上した。これにより新製品の開発や既存製品の改良が進み、製品競争力が向上している。さらに海外企業の買収により、国内景気に左右されない経営体質を確立した。

しかし、DICのM&A戦略にも陰りが見え始めている。2021年6月にドイツのBASFから10億1000万ユーロ(約1630億円)で買収した顔料事業の不振だ。DICとしては過去最大の巨額買収だったものの、わずか2年後の2023年12月期連結決算で損失を出す。のれん減損で197億円、生産拠点再編による固定資産の減損で28億円を、それぞれ計上した。同期の最終損益は398億円の赤字に転落する。

これに伴い、DICは長期経営計画「DIC Vision 2030」のフェーズ1(2022年度〜2025年度)における営業利益目標を800億円から400億円に引き下げた。同社によると、原因は買収事業のシナジー(相乗効果)と構造改革の実現が当初計画よりも遅れたためという。

その結果、香港に本拠を置くヘッジファンドのオアシス・マネジメントなど物言う株主から、美術館運営が問題視されることになってしまったのだ。美術館経営は赤字で、DIC社内でも規模縮小や移転、閉館を検討せざるを得ない状況ではあった。

同美術館が立地する佐倉市は移転や閉館に反対、千葉県も懸念を示している。とはいえ、DICが同美術館をこれまで通り維持するのは難しそうだ。

可能性があるとすれば、業績の回復が前提になる。現在、顧客在庫が一巡して欧米顔料の販売が増加に転じ、海外で包装用インキの新規獲得に加え、原料安で利幅が膨らんでいる。さらには利益率が高いエポキシ樹脂などの電子向け素材の販売も順調と明るい兆しも見えてきた。

だが、物言う株主からの圧力をはねのけて美術館を維持するためには、大幅な収益の積み上げが必要だ。その解決策はM&Aしかない。DICでは半導体用素材を手がけるPCAS Canadaなど、これまで買収してきた事業の一層の合理化とシナジー効果を追求し、収益性の向上を図る。

「買い」の復活と成功しか「美術館の存続」の道はない

しかし、飛躍的に業績を伸ばすには新たなM&Aが必要だ。同社の買収ターゲットとしては、以下の3分野が有力だ。

    1.環境対応技術 産業界ではグローバルで環境問題への対応が求められている。環境負荷を低減し、持続可能な社会の実現につながる企業を買収することでSDGsビジネスの拡大が狙える。

    2.デジタル技術 デジタル化による「脱インク」が進んでおり、失われた市場を補填(ほてん)すべく製品のデジタル化と同時に、自社の生産プロセスの効率化を図り競争力を強化するため、デジタル技術を持つ企業の買収が考えられる。

    3.新興国市場 同社はこれまで欧米や日本といった先進国でシェアを伸ばしてきた。さらに収益を拡大するためには新興国市場への進出が不可欠だ。新興国企業の買収で現地市場での存在感を強化し、成長機会を広げる可能性がある。

    DICの歴史はM&Aの歴史でもある。市場シェアの拡大や技術力の強化、グローバル展開の加速などで大きな成果を上げ、同社の成長と競争力強化に大きく寄与してきた。それだけにM&Aについての知見やノウハウ、人材は、国内製造業では卓越しているはずだ。

    損失を出したBASFから顔料事業を買収して以来、DICのM&Aはフェノール樹脂事業のアイカ工業<4206>への売却、子会社の星光PMCの米投資ファンドのカーライル・グループへのTOBによる売却など、「売り」一辺倒だ。

    「売り」の流れが続くとすれば、次に来るのは同美術館の美術品売却だろう。DICのM&Aがいつ「買い」に転じるのか?DICの「次の一手」が注目される。

    DICの沿革(同社有価証券報告書より)
    1908年2月 東京・本所に川村インキ製造所創業(1912年に商号を川村喜十郎商店に変更)
    1937年2月 資本金100万円の法人組織とし、商号を大日本インキ製造株式会社として設立
    1945年3月 本店(本社工場)を本所より板橋に移転(現東京工場)
    1950年5月 株式を東京証券取引所に上場(1961年より市場区分として第一部)
    1952年2月 米国の合成樹脂メーカー Reichhold Chemicals,Inc. との合弁出資により、各種合成樹脂を製造・販売する日本ライヒホールド化学工業株式会社(JRC)を設立
    1960年11月 JRCが株式を店頭公開
    1961年11月 JRCが株式を東京証券取引所市場第二部に上場
    1962年10月 JRCを吸収合併し、商号を大日本インキ化学工業株式会社(DIC)に変更
    1968年5月 シンガポール大日本インキ化学工業(後のDIC Asia Pacific Pte Ltd)を設立
    1979年3月 米国の印刷材料メーカー Polychrome Corp. (1989年にSun Chemical Corporationへ吸収合併)をTOBにより買収
    1986年12月 米国Sun Chemical Corporationのグラフィックアーツ部門を買収、新Sun Chemical (現連結子会社)として発足
    1987年9月 米国Reichhold Chemicals Inc. をTOBにより買収
    1999年12月 フランスTotalfina S. A. 他より印刷インキ事業(Coat esグループ)を買収
    2005年4月 KPGから出資分の資本償還を受けたことにより、米国East man KodakがKPGを100%子会社化
    2005年9月 ReichholdグループをMBO方式により売却
    2008年4月 創業100周年を機に、商号をDIC株式会社に変更
    2012年7月 Benda-Lutzグループを買収し、エフェクト顔料事業に本格参入
    2015年7月 英国Kingfisher Coloursを買収し、化粧品用顔料事業に本格参入
    2021年6月 ドイツBASF社から顔料事業を買収
    2022年4月 東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東京証券取引所の市場第一部からプライム市場に移行

    文・写真:糸永正行編集委員

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