「企業買収における行動指針」公表から1年 太田洋弁護士に聞く

2023年8月31日に経済産業省から「企業買収における行動指針」が公表され、1年が過ぎた。同指針により国内のM&A環境がどのように変化したのか?M&A取引や敵対的買収・アクティビスト対応などで多数の著書を持つ第一人者の太田洋弁護士(西村あさひ法律事務所パートナー)に聞いた。

新指針の影響は?

-経産省の「企業買収における⾏動指針」が公表され、1年が過ぎました。日本のM&A環境にどのような効果があったとお考えですか。

新指針の公表により、M&Aの透明性が向上し、(M&A取引の)活性化が概ね達成できたと思います。「同意なき買収」提案も増えていますが、これまで以上に情報が公開された上で案件の成否が決まっている印象ですね。

-セブン&アイホールディングスがカナダの流通大手アリマンタシォン・クシュタールから買収提案を受けました。

経産省の「我が国企業による海外M&A研究会」*では(日本企業が外国企業を買収する)アウトバウンドM&Aを増やす取り組みを考えていました。

しかし、2022年に立ち上がった同省の「対日M&A課題と活用事例に関する研究会」*では、(外国企業が日本企業を買収する)インバウンドM&Aを増やすための行動指針を検討。国もアウトバウンド、インバウンドを問わず、M&Aで日本企業を活性化させていきたいと考えています。

もちろん経産省も日本企業がどんどん外資に買収されていくような事態を歓迎しているわけではありません。透明性のある手段で(日本企業の)企業価値を高めるような、成功すべきM&Aを増やそうという考え方です。

*両委員会とも太田弁護士が委員を務めた。

-2005年の「企業価値・株主共同の利益の確保または向上のための買収防衛策に関する指針」や2020年の「事業再編実務指針」など、過去にも国によるM&A促進策がありました。これらには何が足りなかったのでしょう。

これらの流れとしては、かつての敵対的買収に対する「買収防衛策」をどのように使うべきなのかが議論になっていました。さらにはMBO(経営陣による買収)やM&Aによる親子上場会社の事業再編といった利益相反性の高い事例など、特定のM&Aに焦点を当てたものでした。

新指針は、これらを含めてM&A全体のベストプラクティス(標準となるべき最善の方法)を提示した「総まとめ」となる内容だと思います。

株主利益重視の米国とは一線を画す新指針

-新指針公表後に、ニデックのTAKISAWA買収のような指針の後押しによる成功例もある半面、2024年に入って3件のTOBが不成立*となり、すでに昨年の通年件数を上回っています。この事態をどうご覧になりますか。

米国では取締役に最も提示価格の高い買収者に売ることを義務づける「レブロン基準」という司法判断があります。いわば価格だけで買収が決まる、株主利益を最重視の思想です。

一方、日本は株主の利益よりも企業価値を高めることを重視しています。企業は株主の出資だけで成り立っているわけではないとの考えに立っているからです。

つまり、企業価値を高められるのであれば、買収価格がより安い提案を選択することも理論上は可能。あるいは企業価値が高まらない買収提案ならば、買収防衛策を発動できます。(M&Aを促進する)新指針が出たからと言って、買い手の思い通りに買収ができるようになったわけではありません。

TAKISAWAを買収したニデックの場合は、同社にM&Aで相手先の企業価値を高めた実績が多数あり、グループ入りした場合のシナジー(相乗)効果や事業補完性などのエビデンスが明示されていました。高いプレミアムをつけて株主の権利も守っています。新指針に準じれば、こうしたケースでは買収される側に反対する理由はありません。

*不成立となったTOB案件
①AZ-COM丸和ホールディングスによるC&Fロジホールディングスに対するTOB
②玉光堂ホールディングスが組合員の有限責任事業組合によるホリイフードサービスに対するTOB
③RS Technologiesによるヘリオステクノホールディングに対するTOB

-今回の新指針に沿ったニデックによるTAKISAWAへのTOBでは、最終的に104.4%もの高いプレミアムがつきました。株主の利益につながった半面、新指針が買収価格のつり上げを招き、かえってM&Aの阻害要因になる可能性はありませんか。

新指針では原則として、提示された価格が企業の本源的価値(会社の現在の経営資源を効率的な企業経営のもとで有効活用することで実現し得る会社の本質的な価値)を上回っている場合は、買収を受け入れるべきだとの考えに立っています。

とりわけ「同意なき買収」の場合、本源的価値を上回る金額をつけているかがメルクマール(指標)になるでしょう。それよりも高ければ成立し、安ければ成立しない。TOBのプレミアムが高くなるのは当然といえます。

だからと言って、青天井で高騰はしません。高値で買収したのに結局は減損に追い込まれたとすれば、「(買収価格が)高すぎた」ということになります。短期的にはともかく、ロングレンジ(長期的)で見れば買収価格は、いずれ一定の水準に収斂(しゅうれん)していくと思います。

文・聞き手:糸永正行編集委員

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