“コンビニの父”鈴木敏文が感心した100円ショップの誕生秘話とは?

写真提供:共同通信社

 1970年代に「セブン-イレブン」を立ち上げ、業界ナンバーワンに育て上げた鈴木敏文氏。一方、「100円ショップダイソー」で100円ショップの草分けとなった大創産業の創業者である矢野博丈氏。小売業の新分野を切り拓いた2人は、大学の先輩・後輩であり、長年の親交があった。本連載では、『一生学べる仕事力大全』(藤尾秀昭監修/致知出版社)に掲載された対談「不可能を可能に変える経営哲学」から内容の一部を抜粋・再編集し、両氏によるビジネスと経営についての対話を紹介する。

 第1回は、2人の出会いと交流、100円ショップの誕生秘話を紹介する。

<連載ラインアップ>
■第1回 “コンビニの父”鈴木敏文が感心した100円ショップの誕生秘話とは?(本稿)
第2回 「絶対無理」と反対されても、鈴木敏文はなぜコンビニを諦めなかったのか
第3回 “素人集団”だったセブン-イレブン・ジャパンが成長し続けた理由とは?
第4回 ダイソー創業者は、なぜ新入社員に「人生は運だ」と言い続けたのか
■第5回 「おいしくない」6000万円分の商品を廃棄した鈴木敏文の強烈なこだわりとは?(7月5日公開)

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中央大学の先輩と後輩

一生学べる仕事力大全』(致知出版社)

矢野 鈴木会長、お忙しいところありがとうございます。僕みたいな身分の違う格下の者と対談していただいて。僕はずっと鈴木会長と呼んできましたから、そのほうが落ち着くので、きょうも会長とお呼びしていいですか?

鈴木 いま(2018年)は名誉顧問という肩書になっているけど、まぁなんでもいいですよ(笑)。ところで、矢野さんとは古い付き合いだから忘れちゃったけど、どういう出逢いだったんだろう?

矢野 いまから15年くらい前に、流通ジャーナリストの緒方知行先生から鈴木会長のことを聞きよったんです。

鈴木 ああ、そうか。

矢野 緒方先生は商業界の取締役編集局長を務めた後、独立されたんですよね。小売業をハード面ではなく心で捉(とら)える方で、鈴木会長のことについて書いた本をたくさん出されましたね。

商業界:かつて日本の小売・流通などに関する書籍を刊行していた出版社。


鈴木 そう。彼とは若い時から親しくしていましてね。私の仕事に興味を持って、いろいろ取材してくれた。じゃあ、そのご縁で矢野さんと知り合ったのかな。

 何しろ矢野さんは人を愉快(ゆかい)にさせる性格ですから、魅力的な人物だなというのが第一印象でした。そうしたら、たまたま中央大学の後輩だと言うのでね。

矢野 同じ大学というのは嬉しいですよ。鈴木会長はもう雲の上の存在ですけど、その方が東大出身ではない。これは希望が持てます。

100円ショップ誕生秘話

鈴木 それにしても、100円ショップなんてよく考えたよなぁと感心します。

矢野 僕は何も自慢できることはないんですが、ただ一つだけ言えるのは、人とは違ったジャンルの商売をしたこと。みんなが食料品を集めて食料品店、本を集めて本屋さん、家電を集めて家電屋さんをつくるところ、私は100円というコインでお店をつくった。これは世界で初めてなんですね。他に褒(ほ)められることはありませんけど、そこだけは「どうだ!」と言える。

鈴木 最初に100円ショップって聞いた時は首を傾(かし)げたけど、一度店に入ってみたら、いろんな商品があって実に面白いなと。そのアイデアを思いついたことがすごい。

矢野 アイデアじゃないんですよ。もともとは80円から200円くらいまで小間物(こまもの)がいっぱいあって、それに1個1個値段をつける暇がなくなっただけなんです。

 というのも、創業当初は固定の店舗があったわけではなく、トラックに雑貨を積み込み、公民館や空き地で移動販売をしていました。ある時、お昼頃に着いたら、お客さんがたくさん待っておられましてね。トラックから商品を下ろしよったら、お客さんが勝手にそれを開けて、「これなんぼ?」「これなんぼ?」って言われるんですよ。私もいちいち伝票を見る間がないもんで、もう途中から「なんでも100円」って、ついつい言うてしもうたのが始まりなんです。

 よくいろんな方から「先見(せんけん)の明(めい)があったんですね」って言われるんですけど、戦略で始めたんじゃないんです。困って仕方なしに100円にしたのが実際のところです。

鈴木 いまは何店舗になったの?

矢野 国内が約3300、海外が26か国で約2000店舗あります。従業員は2万人、売上高は4500億円になっています。

鈴木 普通のセンスじゃできないですよ。やっぱり100円ショップをつくったというのは、ある意味の天才だと思う。

矢野 いや、鈍才なんです、超がつくほど。頭が悪くて能力もない。だから、うちは経営計画をつくったことがないんですよ。そんなものはお客さんが買ってくださってできることなので、経営計画なんかつくる必要ないと。あと、企業理念も社是社訓もありません。

 会社を大きくしたいと思ったことがないんです。儲けようなんて大それたことは考えない。売れればいいんだと。きょう一日、一所懸命頑張ろう。その一点でしたね。

 

写真提供:共同通信社

鈴木敏文(すずき・としふみ)
1932年長野県生まれ。1956年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現・トーハン)に入社。1963年ヨーカ堂(現・イトーヨーカ堂)に転職。1973年セブンーイレブン・ジャパンを設立し、コンビニエンスストアを全国に広め、日本一の流通グループとして今日まで流通業界を牽引する。2003年イトーヨーカ堂及びセブンーイレブン・ジャパン会長兼CEO就任。同年、勲一等瑞宝章受章、中央大学名誉博士学位授与。2016年5月名誉顧問。

矢野博丈(やの・ひろたけ)
1943年天津生まれ。1966年中央大学理工学部卒業。学生結婚した妻の家業を継いだものの、3年足らずで倒産。その後、9回の転職を重ね、1972年雑貨の移動販売を行う矢野商店を夫婦で創業。1977年大創産業設立。1987年「100円SHOPダイソー」1号店が誕生する。1991年初の直営店を香川県高松市にオープン。1999年売上高1000億円を突破。2000年『企業家俱楽部』主催の『年間優秀企業家賞』を受賞。2018年売上高4548億円で業界シェア56%の業界トップ企業である。2018年3月同会長。2024年2月に死去。

<連載ラインアップ>
■第1回 “コンビニの父”鈴木敏文が感心した100円ショップの誕生秘話とは?(本稿)
第2回 「絶対無理」と反対されても、鈴木敏文はなぜコンビニを諦めなかったのか
第3回 “素人集団”だったセブン-イレブン・ジャパンが成長し続けた理由とは?
第4回 ダイソー創業者は、なぜ新入社員に「人生は運だ」と言い続けたのか
■第5回 「おいしくない」6000万円分の商品を廃棄した鈴木敏文の強烈なこだわりとは?(7月5日公開)

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