業界1位の座を支えるドミナント戦略、セブン-イレブン独自の「高密度集中出店方式」とは?

Sakarin Sawasdinaka/Shutterstock.com

 EC市場の拡大によって物流の重要性が増す中、物流をコストと見なす企業は多い。一方で、物流を「利益を生む機能・部門」として企業戦略に取り込み、成長の足掛かりにしている企業が存在する。物流をプロフィットセンター化するには、どんな戦略が考えられるのか。本連載では、『顧客をつかむ戦略物流 なぜあの企業が選ばれ、利益を上げているのか?』(角井亮一著/日本実業出版社)から、内容の一部を抜粋、再編集。物流によって競合との差別化に成功している企業4社の戦略と取り組みを紹介する。

 第1回は、地域ナンバーワンを目指す「ドミナント戦略」で成功したセブン-イレブン・ジャパンを取り上げる。
 

<連載ラインアップ>
■第1回 業界1位の座を支えるドミナント戦略、セブン-イレブン独自の「高密度集中出店方式」とは?(本稿)
第2回 セブン-イレブンはなぜ、全国展開や大都市圏への出店を急がなかったのか?
第3回 西海岸の地下倉庫で創業したアマゾンは、いかに全米物流ネットワークを築いたか?
第4回 コロナ禍で利用率が急増、アマゾンの「宅配部隊」が躍進した背景とは?
■第5回 全品配送料無料の「ヨドバシエクストリーム」は、なぜ最短2時間半で配達できるのか?(7月5日公開)
■第6回 新着は毎日2600点超、年間6000万点を出荷するZOZOの物流拡張計画とは?(7月12日公開)

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セブン-イレブンの全国展開は3大チェーンでもっとも遅かった

顧客をつかむ戦略物流』(日本実業出版社)

■セブン-イレブンの高密度出店方式

 国内最大のコンビニエンスストアチェーン、セブン-イレブン・ジャパン(以下、セブン-イレブン)は、店舗数2万店超、チェーン全店の売上は5兆円を超える規模があります。2019年7月、沖縄県への出店により、47都道府県すべてで店舗を展開することになりました。

 現在、大手コンビニチェーン(セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート)3社はいずれも全都道府県に店舗を展開しています。

 そのなかで一番遅かったのが、店舗数、売上規模いずれも国内ナンバーワンのセブン-イレブンです。

 一番早かったのはローソンです。同社は1975年の1号店出店(大阪府豊中市)から20年余りで全国出店を達成(1997年の沖縄県出店)しました。次がファミリーマートで、1973年の1号店出店(埼玉県所沢市)から約30年をかけて、北海道への出店(2006年)により全都道府県への出店を果たしました。それに対しセブン-イレブンは、1号店(東京都江東区豊洲)の出店は1974年で、2019年の沖縄県への出店までに45年を要しています。しかし沖縄県への初出店は14店同時オープンというドミナント出店でした。

 ちなみに、3社ごとに全国展開達成時の出店数がどうなっていたかというと、ローソンは6000店超、ファミリーマートは約1万2500店、セブン-イレブンは2万店超でした。

 この全国展開までのスピードと展開店舗数の違いに、セブン-イレブンの出店戦略の特徴がよく現れています。同社では「高密度集中出店方式」と呼んでいますが、いわゆる「ドミナント方式」による店舗展開です。

 1974年5月15日、セブン-イレブンの1号店が東京都江東区豊洲に豊洲店としてオープンしました。この店舗はいまも健在で、同店のフランチャイズオーナーは現在、5店舗を運営しているといいます。

 そもそもセブン-イレブンは、米国サウスランド社が全米で展開するコンビニエンスストアのフランチャイズチェーンでした。1973年に当時のヨークセブン社(現セブン-イレブン・ジャパン)が、同社との間でライセンス契約を締結し、日本国内で展開することになりました。

 その契約交渉当初、サウスランド社から出された条件は「事業は合弁、出店地域は東日本、8年間で2000店出店、ロイヤルティ率1%」という強気のもので、ヨークセブン側としてはとうてい飲めるものではありませんでした。その後、侃々諤々の交渉を繰り広げた末に、「事業は独自、出店地域は全国、8年間で1200店の出店、ロイヤルティ率0.6%」でまとまり、日本国内でのセブン-イレブン事業がスタートしました。

 しかしながらその時点では、現在のセブン-イレブンの強さを生んでいるドミナント方式での展開は想定されていませんでした。というのも、米国で展開していたセブン-イレブンは、フリーウェイ近くにあるガソリンスタンドへの併設により規模を拡大してきており、ドミナント化という発想には至っていませんでした。というよりドミナント出店という戦略をとらなくとも、右肩上がりで事業を拡大成長できていたといえます。

■「江東区から一歩も出るな」

 では、いつから日本のセブン-イレブンのドミナント化は始まったのか。

 現在の同社の勢いから考えると、しっかり練られたうえでの戦略と思うかもしれませんが、実のところ、必要に迫られて始まったといわれています。

 1号店は順調にスタートを切りました。予想以上の数字をあげていたといわれています。しかし、それもしばらくするとたいへんな事態が発生してしまいます。売れ筋商品が品切れを起こす一方で、倉庫は在庫の山になり、店舗運営そのものが回らなくなってしまったのです。

 その要因となったのが、商品の供給元である問屋の商慣習です。

 当時の問屋は一定量以上の注文がまとまらないと商品を配送しないのが一般的であり、店舗で売れ筋商品を補充しようとしたら、動きの悪い商品も含めた必要以上のボリュームを注文しなければならず、その結果、在庫も膨らんでいったのです。

 この事態を早急に解決しなければ、今後のフランチャイズ展開にも影響が出ます。あれこれ悩んだ末に考え出されたのが、複数の店舗分の注文をまとめて一定数量以上にすれば、問屋も対応してくれるのではないか、というものでした。「江東区から一歩も出るな」というセブン-イレブン・ジャパンの創業者、鈴木敏文氏(当時社長)の有名な言葉は、その際に発せられたものです。

 この新規店舗開発の方針のもと、江東区内に集中してフランチャイズ店を募り、亀戸、森下、住吉、毛利、北砂、東砂、扇橋など、計11店舗を出店した段階で、取引のある問屋側も納得し、従来の商慣習にはなかった小口配送が実現することになります。以降、出店地域を絞り、集中出店していくスタイルはさらなる進化を続けながら、日本のセブン-イレブン独自の出店戦略として浸透していきます。

<連載ラインアップ>
■第1回 創業者・鈴木敏文氏が考案、セブン-イレブン独自の「高密度集中出店方式」とは?(本稿)
第2回 セブン-イレブンはなぜ、全国展開や大都市圏への出店を急がなかったのか?
第3回 西海岸の地下倉庫で創業したアマゾンは、いかに全米物流ネットワークを築いたか?
第4回 コロナ禍で利用率が急増、アマゾンの「宅配部隊」が躍進した背景とは?
■第5回 全品配送料無料の「ヨドバシエクストリーム」は、なぜ最短2時間半で配達できるのか?(7月5日公開)
■第6回 新着は毎日2600点超、年間6000万点を出荷するZOZOの物流拡張計画とは?(7月12日公開)

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