15年ぶりに全線開通「阿里山林業鉄道」車両の中身
日本統治時代に設置され、世界三大登山鉄道として人気が高い台湾の「阿里山林業鉄道」が15年ぶりに全線開通した。
世界中から観光客が訪れる人気の鉄道だが、実は幾度も困難に見舞われている。甦った同鉄道を待ち受けるのは輝く未来なのか――。世界100カ国以上の現地在住日本人ライターたちの集まり「海外書き人クラブ」の会員が、その実情に迫った。
世界三大登山鉄道、7月6日に全線開通
阿里山林業鉄道(略称阿里山鉄道)は、嘉義駅と阿里山駅を結ぶ本線と、阿里山駅を起点として祝山駅までつながる祝山線、阿里山駅と神木駅を結ぶ神木線、阿里山駅と眠月駅を結ぶ眠月線(現在は沼平駅まで)の3本の支線からなる鉄道だ。
2009年の台風の影響で一部区間が不通となっていた本線が、7月6日、15年ぶりに全線開通した。
台湾総統も期待する路線
19日に行われた記念式典には頼清徳(ライ・セイトク)台湾総統が出席し、関係者をねぎらうとともに、「全線開通によって嘉義県と嘉義市の観光産業が活性化され、より多くの外国人観光客がこの地を訪れることを期待している」と語った。
阿里山鉄道の本線は、嘉義駅(標高30m)から阿里山駅(同2216m)までの、全長71.6km、標高差が2000mを超える登山鉄道である。インドの「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」、チリとアルゼンチンを結ぶ「アンデス中央鉄道」と並ぶ世界三大登山鉄道の1つといわれており、4回のスイッチバックや複雑なループ線などが特徴だ。
日本との縁が深い阿里山鉄道
阿里山鉄道は日本との縁が深い。
日本統治時代の1906年、大阪の合名会社藤田組(現在のDOWAホールディングス)により建設が開始された。1908年に資金難により工事が頓挫したが、1910年には台湾総督府殖産局が工事を継承し、1910年から1918年までの間に本線を段階的に開業させた。開業当初は木材を運搬する産業鉄道だったが、1920年からは旅客輸送も担っている。
現在、日本と台湾の間には40を超える姉妹鉄道協定が締結されているが、第1号となったのは、1986年に阿里山鉄道と大井川鐵道の間で締結された姉妹鉄道協定だ。この協定は四半世紀以上もの間、日台唯一の鉄道協定だった。
自然災害の多い地域に作られた阿里山鉄道は、災害の被害にたびたび遭った。
2009年8月、台風8号が阿里山を襲い、48時間で、2361mmの雨量を記録。世界記録(2493mm:1995年インド・チェラプンジ)に匹敵する量が降り続いた。阿里山鉄道は421カ所で土砂災害のため不通となり、長期にわたる運休を強いられた。
2015年に復旧作業の見通しがつき全線開通が実現すると思われた矢先、阿里山鉄道は再び台風に襲われる。
大規模な土砂崩れの発生で線路下の基礎部分が流失し、本線の約4分の3にあたる区間運行を余儀なくされた。政府は復旧のため、23億台湾元(約113億860万円)を支出、新たにトンネルを掘削するなどの対応を進めた。
開通日は「ナローの日」
そして今年4月。「7月1日に全線開通予定」と発表されたが、6月の鉄路局の検査で不具合が指摘され、全線開通は7月6日に延期。座席が販売されたのは、全線開通の4日前。7月2日の午後2時だったが、7月6日から10日までの座席はわずか20分弱で完売となった。
なお、開通日となった7月6日は奇しくも日本では「ナローの日」。ナローとは「ナローゲージ」のことで、ゲージ(左右のレールの間隔)が国際標準の1435mmよりも狭い(ナロー)鉄道のこと。日本の鉄道では、JRが採用している1067mmよりも狭いゲージの鉄道を指す。
日本語が堪能な台湾の鉄道ファンがこのことをSNSに投稿すると、762mmゲージの阿里山鉄道の復活を祝うのにぴったりだ、と台湾の鉄道ファンの間で大いに盛り上がった。
以前からこの鉄道を知っている方は、「阿里山『森林』鉄道の間違いでは?」と思われるかもしれない。確かに、かつてはそう呼ばれていた。しかし2018年7月1日からは「阿里山林業鉄道」に名称変更されている。
名称変更の背景には、災害だけでなく、時代の流れによる行政間の所管問題や資金難などがあった。
1945年に日本統治時代が終了すると、阿里山鉄道は日本の林野庁にあたる林務局の所管となった。
林務局は2008年からBOT方式により民間に運営を委託したが、2010年には運営委託契約を打ち切っている。民間事業者による台風被害への復旧対応が不十分だったためだ(なお契約を打ち切られた民間事業者はこれを不服として林務局を提訴。長年にわたって裁判で争われた末、2021年に和解した)。
2010年の契約打ち切り後は再び林務局が阿里山鉄道を所管。そして2014年からは台湾鉄路管理局が所管する。
ところが2017年、阿里山鉄道は資金難により消滅の危機に直面する。赤字額は年間3億元(約11億円)と伝えられた。資金難の原因の1つは、1982年に開通した阿里山公路(道路)だった。
「知名度はあるのに稼げない」路線
阿里山公路は、嘉義から阿里山までを結ぶ約90kmの道路だ。阿里山鉄道よりも距離は長いが、台湾のモータリゼーション化とあいまって、1990年代以降、阿里山観光の主要な交通手段となった。対照的に、阿里山鉄道は「知名度はあるのに稼げない」路線になってしまった。
台湾政府は、林務局と台湾鉄路管理局に阿里山鉄道を共同運営させることで難局を乗り切ろうとしたが、林務局も台湾鉄路管理局も阿里山鉄道を引き受けたがらなかった。収益が見込めなかったためだ。
この時期台湾メディアは「阿里山鉄道、資金難により年内に運行停止か?」と伝えている。結局、最高行政機関である行政院での審議を経て、林務局が単独運営する形で決着した。
この審議の結果、阿里山森林鉄道は「阿里山林業鉄道」に名称変更されることになる。2018年7月、林務局に阿里山林業鉄路及文化資産管理処が発足し、現在に至っている。
「お荷物」だった阿里山鉄道の復旧に、政府は23億台湾元(約113億860万円)を支出している。そこまでしてこの路線を復旧させたのはなぜなのか。それは、「台湾の南北格差解消」に向けた起死回生の策だったからだ。
阿里山鉄道のある嘉義県は台湾の南部に位置する。北部と比べて経済発展が遅れており、可処分所得額が低い。2009年の嘉義県の世帯あたりの可処分所得額は、統計データのある23県市中22位。2022年は20県市中20位、つまり最下位だ。
発展が遅れる南部を、阿里山鉄道という観光コンテンツで発展させる。災害や時代の変化という困難を乗り越え復旧作業が続けられたのは、阿里山鉄道の復活でもたらされる経済発展が期待されたためだ。
救世主になるか?2つの高級観光列車
台湾政府の力の入れようは、今年投入された列車からも見てとれる。
5月24日に観光列車、栩悦號(シューユエハオ/Vivid Express)の運行を開始した。古い車両を観光仕様に改造したもので、阿里山に生息する鳥アリサンヒタキをモチーフにしたデザインとなっている。
栩悦號ではすべての車両に専属のガイドがつく。筆者が乗車した車両のガイドは、元高校教師の鐘祥(ショウ・ショウ)さんだ。鐘祥さんは大手旅行会社ライオントラベルの契約ガイドだ。同社は入札によって栩悦號の今後6年間の運営権を勝ち取っている。
「約30年間高校教師として勤務し、8年前に定年退職しました。半年間の研修を受けてガイドとしてデビューし、週に2日、阿里山鉄道でガイドをしています」と、鐘祥さんは語る。
栩悦號の主な顧客は、知的好奇心が旺盛なファミリー層や、人生経験が豊富なアクティブシニアたち。顧客の興味に応えるため、ガイドには、阿里山の自然・文化・歴史など、多岐にわたる知識が求められる。このためガイド仲間は定年退職した元教師や元公務員がほとんどだという。「隣の車両のガイドは、元・嘉義県観光課長です」と、鐘祥さんが教えてくれた。
3カ月間のチケットが1時間で完売
ライオントラベルが運営権を持つ列車は、栩悦號のほかにも福森號(フーセンハオ/Formosensis)がある。
福森號は「阿里山最高の観光列車」「動く美術館」といわれ、車体部分がヒノキで作られている。7月から3カ月間のチケット(1350席)がわずか1時間で完売という人気ぶり。
7月28日から運行される予定だったが、25日に台風3号のため阿里山鉄道本線が8月31日まで不通となった。したがって、取材時にはまだ運行されていない(その後、9月8日に初便が運行された)。
お荷物から期待の星へ
2023年5月、当時の行政院長だった陳建仁(チン・ケンジン)は阿里山を視察した際に、「林務局は今後、60億元(約270億円)を投入し、『大阿里山基軸百年飛躍建設計画』を推進していく」と述べた。
阿里山鉄道を軸とした地域の魅力向上、沿線宿泊施設の国際競争力を強化するための長期計画だ。かつてはお荷物として扱われていた阿里山鉄道は、いまや阿里山地区の発展を担う期待の星となっている。
(市川 美奈子 : 台湾在住ライター)
09/21 07:00
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