「マウントを取る道具」として広まる歪な論文信仰

書籍の上に立つ女性フィギア

専門家の役割とは何なのか。舟津昌平氏と與那覇潤氏が論じ合う(写真:viola/PIXTA)
若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。
企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。
本記事では、前回、前々回に続き著者の舟津昌平氏と歴史評論家の與那覇潤氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。

思考のアウトソーシングに使われる専門家

舟津:専門家の役割の1つとして、與那覇先生は「(専門が)異なる人どうしでも共有できる言葉を作ってゆくのが、正しい意味でのダイバーシティだ」ということをおっしゃっていました。まさにそのとおりだと思うのですが、改めてこの言葉の真意を伺えますか。

Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち

與那覇:ありがとうございます。私も以前は学者だったので、「専門性」が持つ価値を否定する気はまったくないんです。ただ、近年の日本では「専門家」という存在が、悪い意味でのアウトソーシングの道具になっている。ずっとそれを批判しているんですよ。

多くの読者や視聴者はいま、専門家に「考えること」をアウトソースしています。「専門家がこう言っているから、自分では調べなくていい。疑問を持たずに信じればいい」と。一方で彼らを起用するメディアにとっては、責任のアウトソーシングになっている。「専門家に出てもらった以上は、仮に中身がまちがっていてもその人のせいで、私たちは責任ないでしょ」というわけです。

最悪だったのはコロナで、対策のあり方がおかしいぞと気づいても、政治家は「専門家会議の結論に従っただけです」と言い訳する。ところが専門家は「決めるのは政治家の仕事。私たちは案を出しただけ」と言って、こちらも責任を取らない。

そうした状況こそを問題視しないといけないのに、コロナで感染症の専門家がコケても「いやいや、ウクライナ戦争の専門家は優秀だ」「統一教会問題の専門家は」「パレスチナ紛争の」……と居直り続け、同じ構図を繰り返している。そうした知の機能不全はなぜ起きるかと考えたとき、大学教員としての体験を思い出しました。

與那覇:平成以来、大学をむしばんできたのは「ダメな学際研究」でした。複数の学問分野から多くの出席者を集めても、実際には深い議論などなく、互いに「お客様」を演じるのみのムダな事業です。○○学ではそう考えるんですか、すごいですね、では次は××学の私がしゃべりますので、終わったら同じく賞賛をお願いしますみたいな。

そうしたやり方を放っておくと、「今は感染症医学の発表ターンなので、黙って拍手だけしてください」というやり方がまかり通ってしまう。それは専門家どうしが不可侵条約を結んでいるだけで、なんの知的な生産性もなく、有事においては危険ですらある。

だからむしろ、異なる分野をまたいでも「この概念を共有すれば、互いに利用しあって議論ができますよね」と。そうした言葉を増やしてゆく作業が、知性をアウトソースせずに「専門家」とつきあうためには必要だと思うんです。

専門家に聞けば、それは正しい?

舟津:なるほど。私も似た問題意識があって、拙著にまつわることでも2つエピソードが挙げられます。1つは「モバイルプランナー」に関して、一度メディアから取材があったんです。私の知っていることを電話で話した後、先方に「ところで先生はモバイルプランナーの専門家ですか」と聞かれたんです。

舟津昌平先生

舟津 昌平(ふなつ しょうへい)/経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。

與那覇:「モバイルプランナーの専門家」って(笑)。なんで大学にそんな人がいると思うかな。

舟津:そうなんですよ。困って「授業とかでは話しているんですが」と答えたら、「論文を書いていますか」と聞かれました。「いや、論文とかは書いていません」と。

與那覇:妙なところで業績重視なんですね。

舟津:だから、そうした風潮が世の中では広まってきているのだろうなと。SNSを見ると、論文バトルみたいなことをしている人たちがいますよね。

與那覇:私の昔の同業者だった、歴史学者にも多いですね。最近はSNSでは自説が劣勢で悔しいから「論破するための本を出すぜ!」みたいな、見ているこちらが恥ずかしくなるノリの人も。

舟津:「エビデンス出せ」「この論文だ」と言って、まさに知識の外注をしているわけですよね。それに対してすごく違和感があったんです。で、私は、論文ではないですけどひとまずは本を出したのでモバイルプランナーの専門家を名乗ってもいいのでしょうかね(笑)。

與那覇:確かに、次に依頼が来たら使えそうですよね(苦笑)。

舟津:そうなんですよ。ただ、それって本当に専門家なのかっていう。実は私の本は、書店さんによって置いてあるコーナーが全然違うんです。何の専門家が書いたかわからないような本になっている部分がある。

與那覇:おっしゃるとおり、もし自分が書店員だったら「若者論」「大学」「ネット社会」「就活」……あたりで配架を迷いますね。著者の専門的には「経営学」でも、あえて「社会学」の棚のほうが売れるかも、とか。

舟津:ある本屋では「日本」というコーナーに置かれていました(笑)。逆に、日本社会の話をしているっていう中身をちゃんと読んでいただいたんだろうなと思って。そんな中で、例えばAmazonレビューを見ると、「この本は面白い箇所もあるんだけども、根拠が無い。教授であるならば何かひとつ論文でも書いて数値を出してくれたほうが信憑性があるのかなと」といったコメントがついていました。

與那覇:私も大昔に『中国化する日本』(2011年)を出したとき言われました。巻末に200冊近く参考文献を挙げているのに、「一般ウケを狙ってこんな本を書く人が専門家とは思えない。歴史学者なら、専門の論文で勝負すべき」とか(笑)。じゃあ聞くけど、あなたは一般書の助けなしで、そうした論文を読めるんですか? としか。

與那覇潤先生

與那覇 潤(よなは じゅん)/評論家。1979年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。著書に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』『歴史なき時代に』『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。

舟津:そうなんですよ。絶対に論文を読まない人が、はっきり言うと読めない人が、学者は論文を書いて数値を示せと言う。不思議なのは、そうした専門家信仰や論文信仰の前提として、中身そのものを読まないからこそ欲しがっているという側面です。

與那覇:要は「アウトソーシングしやすい専門家」を求めているのでしょうね。「私の立場は専門家と同じだ、だから私は正しい」と思いたいし、周囲にもマウントを取りたい。だけど相手が根拠になってる本を読んで、「いや、その本には統計がないから、信じられない」と言い返してくるかもしれない。

そうしたリスクのない「パーフェクトな専門家」を演じてほしい、ただし自分にも読めるお手軽な媒体で、という欲求があるのでしょう。今いちばんアクセスしやすいメディアはネットだから、SNSの学者アカウントをフォローして「○○先生と違う主張は許さないぞ!」と、勝手に取り巻きを気どる人も出てきます。

舟津:本当に、それがますます進んでいるのが実感されて、怖いなと思っています。しかも求められる領域がマイナーなんですよね。まさに専門家中の専門家じゃないと許さないぞと問われてるような。それこそSNSでいろんなエピソードが散見されます。

社会問題における専門家の役割

舟津:一つの例として、「災害時にお風呂に水をためる」という慣習ってありますよね。それをある専門的な見地から、あれはダメですよ、やめましょうねと言った人がいたみたいで。それが炎上じゃないですけどSNSで論争になったときに、すごくシェアされてたポストが「専門家の意見を聞きたい。誰か、風呂に水をためる専門家を呼んできてほしい」というものでした。

與那覇:風呂の水だけを「専門」にしている学者は、どこにもいないのに(笑)。ネット上のバトルだけが意識を席巻すると、そうした切り取り方になっちゃうんですね。

舟津:それって深い意味で、いろんな専門性がありうるんです。工学なのかもしれないし、建築学かもしれないし、災害の専門家かもしれない。本来そういう社会問題は、多様な人たちが学際的に多様に語るべき話なんです。それを「水をためる専門家を出してこい」と。

與那覇:コロナが典型でしたが、国民の生活全般にかかわる重大な問題ほど、1つの分野の専門家だけでは解決できないですからね。

舟津:まさにおっしゃるとおりで、社会問題ってダイバーシティがないと解決できない。単一の専門性のみで解決できるなら、それは社会問題にすらならないでしょう。

與那覇:不思議なのは、「専門家の言うことに従え」として扱われるトピックと、逆に専門家の存在が顧みられないトピックとの乖離が著しいことです。

たとえば政治学者は「政治の専門家」だし、論壇誌やTVのニュース解説で活躍する著名人も多い。でも、日本の政治はどうすればよくなるかと聞かれて、「政治家や国民が、政治学者の主張に全面的に従えばいいんです」と答える人はまずいないでしょう。

舟津:そうですね。

恐怖や不安を専門家の権威で祓い除く

與那覇:経済学者だと、たとえば竹中平蔵さんは小泉純一郎政権(2001~2006年)で大臣を務め、大きな影響力を持ちました。でも「竹中先生は経済の専門家。だから今後ともすべておっしゃる通りにすべき」という日本人は誰もいない。むしろ逆の人が多い(笑)。

注意すべきは、TVの視聴者が「専門家に逆らうやつは許さないぞ、叩け!」となるトピックには共通点があって、恐怖や不安を掻き立てるものなんですよ。たとえばウイルスの流行であり、ウクライナで起きた現実の戦争です。いま自分が感じている「怖さ」を、専門家の権威を使って祓い除けたいとする、まさにアウトソーシングなんですね。

舟津:コロナはわかりやすい例ですね。不確実性が高すぎて、不安でもうどうしようもなくわからなくなったから、それらしい他者にすがっている。

與那覇:だから専門家の側も「自分は不安に憑りつかれた人たちの、一時的なアウトソース需要を集めているだけだよな」と、わかった上で付き合わないといけない。最悪なのはSNSでファンに囲まれるうちに全能感を抱き、異論の持ち主を「あの人は敵。さぁみんな叩いて!」のように攻撃させて、いつしか本人が素人と大差ない「議論のできない人」に堕ちてしまうパターンです。

舟津:専門家はそれを自覚しないといけない。論文やエビデンスへの需要があるように見せかけて、実は便利に使われているだけで理解もリスペクトもされていなかった、というのは本当に危険なことです。論文を書いて数値を出したところで、それは武器にしか使われないのであって、論文そのものは絶対に読んでもらえないという現実がある。

與那覇:おっしゃる通りですね。奇妙なのはこれだけ「専門家信仰」が広がる一方、なんの専門家でもないひろゆき氏が「下らないっすね」と学者を貶すのを見て、「ひろゆきさんがズバリ言った!」と盛り上がる人も多い。どっちやねんという気になります。

舟津:納得感と権威づけさえあればいいということでしょうか。論文バトルが起きている一方で、アイドルや芸人さんがコメンテーターをしていて、そのコメントがすごく支持されていたり。たしかにコメントの上手い方、頭の良い方はたくさんいらっしゃると思いますけど、その方々は専門家ではないですよね。専門家じゃないとダメじゃないんかいという。

與那覇:「すぐに断言してくれる」という点でだけ、ひろゆき氏やコメント芸能人と専門家が、重なって見えるのかもしれませんね。それに対して、簡単には「正解」を出せない問いだから、可能なかぎり色んな観点からの意見を聞いて、じっくり考えていこうとする姿勢が尊重されなくなっている。

舟津:だからこそこの本では、意識して「答えはないですよ」って書きたかった。

與那覇:そこが本書の誠実なところだと感じました。Z世代の学生さんが「人生の正解」を性急に求めた結果、怪しいインフルエンサーを盲信したり、ヤバそうなモバイルプランナーの会社に入れあげちゃったり。あるいは内発性の幻想に囚われて「『本当にやりたい仕事』じゃないから、今の会社はダメだ」と思い込んでしまったり。

そうした躓きを犯しがちな若者に「焦るなよ」とストップをかけ、不安はいったん忘れて「安心していいんだよ」と励ます。そうした優しさが込められていますよね。

最後の答えは外注できない

舟津:この本で何か答えを与えてしまったら、それは私が外注ビジネスを肯定していることになってしまいます。この本を楽しんでくれたり、ためになった、考えさせられたと言っていただけるのは嬉しいですけど、この本が明確な答えを与えてしまってはいけない。「大事な問題こそ外注するな」ということを伝えたかったんです。

教養としての文明論

與那覇:語りかけるような文体も含めて、そこはしっかり届いていると思いますよ。

舟津:Amazonレビューには「呆れた結論」「つまらない」とか書かれますけど(笑)。

與那覇:推し活ならぬ「貶し活」との戦いは果てしない(苦笑)。どんな本にも付くんですよね、「最後まで読んだのにソリューションが書いてなかった」的なレビュー。

舟津:最後の答えは外注しないでください、と読者の方には伝えたいですね。この本に一貫した注意書きとして、だいたいのことは若者に限った話ではなくて、老若男女がそうであると思うべきであって。答えのない難しい問い、でも考える価値のある問いこそ、葛藤を経験しながら自分で考えるべきだし、そして異なる人と話すことで答えがわかっていくもののはず。「異なる人どうしでも共有できる言葉を作ってゆくのが、正しい意味でのダイバーシティ」なのであって、私の仕事は共有される言葉を作ることにあるのだと思っています。

(與那覇 潤 : 評論家)
(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)

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