鳥居で懸垂、放火容疑……日本文化を踏みにじる「傲慢インバウンド」 観光公害の末路? 他国軽視の背景とは
訪日観光客急増も、文化無視の問題浮上
日本の観光地で、異様な光景が増えてきている。神社の鳥居で懸垂をする外国人、電車内でダンスを始める外国人集団、さらには放火事件まで――。円安の影響もあって訪日観光客は急増中で、2024年9月には287万2200人に達し、前年同月比で31.5%増加している。
しかし、それにともなって、
「日本の文化や習慣を軽んじる」
悪質な訪日観光客の問題も浮かび上がってきた。こうした問題の背景には、マナーを超えた根本的な課題がある。それは
・消費者としての特権意識
・経済的な優位性に基づく文化的傲慢さ
だ。一部の横柄な訪日観光客にとって、日本は入場料を払えば自由に楽しめる
「観光の舞台装置」
にすぎない。そこには文化を理解し、敬意を払おうとする姿勢はほとんど見られない。
訪日観光客は入場料を払った消費者として振る舞い、文化体験を購入可能な商品と捉えている。こうなると、そこに一方的な権力関係が生まれる。見落としてはならないのは、相手の
・文化
・国民性
を軽視、または蔑視する訪日観光客が少なくないということだ。普通は、好意的でない国への旅行は避けるものだと考えるかもしれないが、実際には、その国や文化に対する偏見や差別意識を抱えつつ、金を払って楽しむ権利だけを主張する訪日観光客もいる。彼らにとってその国はただの
「サービス提供者」
にすぎず、文化的な理解や尊重は必要ない。そして、自国の常識を押し付ける傲慢な態度に拍車をかける結果となっている。
漫画家のヤマザキマリさんは「婦人公論.jp」に先日、「地元へのリスペクトを欠いた横柄な外国人に<観光客>という言葉で済まされない憤りを覚えて。メンタリティというものは、時にそうした非文明的で野蛮な側面を見せることを忘れてはならない」(2024年10月16日配信)という記事を寄稿した。参考までに、記事の要旨を次に記す。
・ヤマザキさんは京都を訪れた息子から、訪日観光客が路上で騒いでいる様子を聞いた。
・ヤマザキさんはフィレンツェに住んでいた際、観光客による街の被害を目の当たりにした。
・ベネチアでは観光客数抑制策として入域税を導入したが、効果がなかったとの声がある。
・観光収入が重要であるため、観光客減少を望む地元民と観光業で生計を立てている人々の意見が食い違う。
・フィレンツェでは観光客による文化財損傷が問題となり、街がテーマパーク化した。
・日本でも、訪日観光客のなかには地元へのリスペクトが欠けた行動をする人が増えており、京都や東京でそのような例が見られる。
・シチリアでは観光客が古代遺跡を壊した事件があり、地元民はそれを「蛮族の来襲」と表現した。
・観光客の行動には時に非文明的な面があり、観光地での問題は解決が難しい。
・観光公害対策としての二重価格や治安強化策も一定の効果はあるが、根本的な解決は容易ではない。
記事は大きな反響を呼び、次のようなコメントが寄せられた。
・昔、京都を訪れる外国人の多くは学者や文化に興味を持つ人々だったが、最近ではマナーを守らず騒がしい訪日観光客が増えている。
・訪日観光客の態度が地元住民に迷惑をかけることが増えており、観光地ではインスタ映えを求める姿勢が目立つようになっている。
・観光公害を防ぐためには、公務員や警察官の増員、そして罰金の徹底が必要だ。
・マナーを守らせることは難しく、特に「奥ゆかしさ」の欠如が問題となっている。
・観光公害の間接的な影響として、物価高や消費不足が懸念されている。
・観光地での無銭乗車や迷惑行為が増えており、観光公害が深刻な問題となっている。
・観光業は経済貢献度が高くなく、観光業よりも自国の産業育成を優先すべきだ。
・入域税の導入を議論し、観光地での美観維持や住民税負担の軽減を目指したほうがいい。
・犯罪行為があれば適切に対処し、マナー違反には警告や誘導を行うべきだ。
日本人観光客の過去と今
先日、X(旧ツイッター)でブラジルの景勝地・ボイペバ島で起きた事件が話題になった。
イスラエル人の男が黒人の荷物運搬係を「猿」と呼び、攻撃したとして人種差別的侮辱および憎悪犯罪の容疑で現行犯逮捕された。この事件は、観光地における権力関係の歪みや、自国の経済的優位性や文化的優越意識が影響している。
この事件は観光地での差別や暴力の本質を浮き彫りにしており、私たち日本人にとっても他人事ではない。かつて、高度経済成長期において、日本人観光客は東南アジアを「後進国」と見なして侮辱し、
「買春観光」
の目的地として扱った。経済大国としての傲慢さが、アジアの人々の尊厳を踏みにじったのである。その結果、日本人観光客は「エコノミック・アニマル」と揶揄され、アジア諸国から強い反発を受けた。
そして今、歴史は皮肉にも逆転している。戦後、進駐軍に「ギブミーチョコレート」と駆け寄った時代があったが、現在では、日本が見下され、訪日観光客がサービスを「買う側」の特権として振る舞う時代になってしまった。
繰り返される外国人による迷惑行為は、日本がそうした国だと見られている証拠といえるだろう。
富裕層観光戦略の限界
この歴史の教訓を踏まえ、私たちはどのような解決策を選ぶべきか――。
ひとつの選択肢は、「観光立国」として成長を目指しつつ、その質的な転換を図ることだ。観光地としての付加価値を高め、文化的理解と敬意を持つ訪日観光客を選んで受け入れる戦略である。代表的な例として、富裕層をターゲットにした「プレミアム観光」が挙げられる。
北海道ニセコは、その成功事例としてよく知られている。スキーリゾートとして世界的に評価され、オーストラリアや欧米からの富裕層を引きつけることに成功した。質の高いサービスと適切な価格設定により、文化的摩擦も最小限に抑えられている。この成功を受けて、全国各地で富裕層向け観光戦略が広がりつつある。
しかし、この戦略には根本的な疑問も残る。経済力の有無が、
・文化的理解
・敬意の深さ
に比例するのだろうか。富裕層だからこそ持つ「何でも金で買える」という特権意識が、新たな形の文化的支配を生む可能性もある。富裕層が文化的素養に優れているとは限らない。結局、彼らの財布を当てにして「猿」として扱われる状況を招くかもしれない。
こうした富裕層戦略には限界があるため、もうひとつの選択肢として
「観光地からの撤退」
が浮上してくる。この考え方を最もよく示しているのが京都市だ。京都は現在、世界中から訪れる観光客で混雑し、マナー問題も後を絶たない。しかし、注目すべきなのは、観光産業が京都経済に占める割合だ。
京都は世界的に有名な観光地であるが、実際には観光産業が地域経済の主役にはなっていない。具体的な数字を見てみよう。
観光収入増加も地域に届かず
2023年、京都市の税収総額は3200億6000万円と過去最高を記録し、宿泊税収も前年度比で21億5300万円増加した。しかし、この増加額は意外にも小さい。
京都市の税務統計によると、2023年の産業構造では製造業が6割以上を占め、旅館料理店は全体のわずか
「1.4%」
に過ぎない。観光関連産業のサービス業を加えても、その割合は8.3%程度にとどまっている。これに対して、機械工業は18.3%、金融保険業は6.7%、不動産業は5.5%と、観光関連産業の占める割合は著しく低い。
一方、京都市の「京都観光総合調査」によると、2023年の観光消費額は1兆5366億円、経済波及効果は1兆7014億円にも達している。訪日観光客のひとり当たりの消費額は平均7万1661円と非常に高い水準にある。このギャップは、観光がもたらす経済効果が
「地域全体に均等に分配されていない」
ことを示している。膨大な経済波及効果が生まれているにもかかわらず、それが地域の税収や産業構造には十分に反映されていないのだ。
特に注目すべきは、観光消費額や経済波及効果に対する税収の少なさである。その一因として、利益の大部分が
「地域外に流出している」
ことが考えられる。例えば、多くの訪日観光客が海外のオンライン予約サイトを利用しており、これらのサイトは予約額の8~15%を手数料として徴収する。つまり、1泊2万円の宿泊料金のうち、最大で3000円が海外企業の収入となる。また、大手チェーンホテルや旅行会社では、利益のほとんどが東京などの本社所在地に移転されるため、地域に留まる利益が限られてしまう。このような仕組みにより、観光消費額の増加が
「地域の税収増加には直結しない」
という現実が存在しているのだ。
観光地としての限界と転換
この状況を直視すると、ひとつの大胆な解決策が浮かび上がる。それは、
「観光地としての京都」
という従来の路線から意図的に転換することだ。具体的には、訪日観光客の誘致に向けた予算や施策を段階的に削減していく。
・多言語対応
・観光案内所の整備
・Wi-Fi環境の充実
といった「おもてなし」のためのインフラ投資を見直す。
この方針転換は、表面的には訪日観光客への不親切に見えるかもしれない。しかし、これは「消費される場所」としての京都から、
「文化を継承する場所」
としての京都へと変わることを意味する。利便性を意図的に低下させることで、「金を払えば何でもできる」と考える傲慢な訪日観光客の数を自然に抑制できるだろう。その結果、京都の文化や歴史に真摯な関心を持つ訪日観光客だけが訪れるようになり、京都本来の姿を取り戻すことができる。
一見すると極端な提案に思えるかもしれない。しかし、経済効果のほとんどが地域外に流出し、文化的な摩擦や環境負荷だけが地域に残る現状を考えれば、これは合理的な選択といえる。むしろ、表面的な経済効果に囚われて、無限に訪日観光客を誘致し続けることこそが非合理的ではないだろうか。
富裕層をターゲットにするのか、それとも観光地としての機能を縮小するのか、その選択は各地域の状況によって異なるだろう。しかし、もっと本質的な問いがある。それは、
「観光業に本当に未来があるのか」
ということだ。
観光業の成長戦略に潜む危機
そもそも、迷惑な訪日観光客が出てくるのも「観光業がそういうものだから仕方ない」と諦めざるを得ない現状に、果たして未来はあるのだろうか。
政府は『観光立国推進基本計画』で観光業を
「今後とも成長戦略の柱、地域活性化の切り札である」
として高く評価している。確かに、人口減少に直面する地方では、宿泊業が重要な雇用を支えている地域も多い。しかし、この観光による「地域活性化」という物語には、大きな問題が潜んでいる。
観光業の中核をなす宿泊業は、需要の季節変動が激しく、その調整弁として非正規雇用が常態化している。さらに深刻なのは賃金の低さだ。2022年時点で、他の産業と比べて賃金差は150.3万円にも達している。
確かに、一部の高級旅館やリゾート施設では、これらの問題を乗り越えて成功している事例もある。しかし、それは例外的な成功に過ぎない。観光業が抱える構造的な問題はむしろ深刻化している。
・低賃金
・不安定な雇用
・過酷な労働条件
・不明確なキャリアパス
これらは一時的な問題ではなく、観光業の持続可能性を脅かす本質的な問題だ。
特に注目すべきは、観光業が「安価な労働力」に依存せざるを得ないという現実だ。政府は観光を「成長戦略の柱」と位置付けているが、その「成長」とは一体何を指すのだろうか。賃金差が150万円以上もある業界を、どうして未来の基幹産業として位置づけることができるのか。この矛盾をどう解消するのかが問われている。
観光業の未来と向き合うとき
これまでの分析から、厳しい現実が浮かび上がっている。訪日観光客は、自然と
「帝国主義的な態度」(強い経済的立場や権力を背景とした支配的・優越的態度)
を持つことになる。それは個人の善意や理解では隠せない、観光という行為に内在する
「権力構造」
だ。かつて日本人がアジアで見せた傲慢さ、そして今私たちが直面している状況は、この構造の表裏に過ぎない。
最終的に、迷惑な訪日観光客への対策で最も重要なのは、
「これからも観光業でご飯を食べていくのか」
という問いに真摯に向き合うことだ。
11/17 06:11
Merkmal