観光地はなぜ住みづらいのか? 「行きたい街」と「住みたい街」の違いについて考える
観光の魅力と居住の現実
SNSで見かける魅力的な観光地の写真を見て「住んでみたい」と感じることはよくある。歴史ある寺社仏閣が立ち並ぶ京都や、透明な海が広がる沖縄の風景は、多くの人を引きつける要素がある。しかし、実際に住むことを考えると話は少し変わってくる。
京都市や沖縄県は、日本でも
「行きたい場所」
として非常に人気が高い。京都市は、歴史的な寺社や伝統文化、四季折々の美しい風景、そして豊かな和食文化で知られている。一方、沖縄県は、透き通った海や豊かな自然、独特の文化と温暖な気候が魅力だ。
これらの場所は、短期間の観光にはとても魅力的だ。観光客は、その地域の最も素晴らしい部分を凝縮して楽しむことができる。しかし、実際に住む場所として見ると、状況は大きく異なってくる。
「住みたい街」の条件
京都市では、2023年以降、インバウンド需要が回復し、観光客による混雑が再び問題になっている。生活環境への影響も深刻化しており、2024年3月に実施された「京都観光に関する市民意識調査」では、
「観光客のマナー違反で迷惑を感じた」
と答えた人がなんと
「47.7%」
に達した。
沖縄県も同様に、住む場所としてはいくつかの課題がある。特に物価が高く、2024年9月の消費者物価指数(一般消費者が購入する商品やサービスの価格変動を示す指標。家庭で買う食料品、衣料品、住宅費、医療費、交通費など、日常的に使うさまざまな品目の価格を基に算出されている)では、東京都区部が108.1に対して沖縄県は
「111.5」
となっており、本土よりも高い水準だ。これが日常生活に大きな負担を与えている。
つまり、「住みたい街」に求められる条件は短期的な魅力とは異なる。長期的には、
・生活の快適さ
・経済的な安定性
・地域コミュニティー
との関係など、多面的な要素が重要だ。それにもかかわらず、これらの地域が
「住みたくはないが、行きたい」
と評価されるのは、観光地としての魅力と居住地としての適性が必ずしも一致しないことを示している。
では、なぜ「行きたい街」が必ずしも「住みたい街」と同じでないのだろうか。この疑問について、「規定不可能性」の視点から考えてみよう。
地域愛着を深める要素
ノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー氏は「不可能性定理」において、異なる選好を持つ複数の人々のすべてを満たす公平な意思決定が不可能だと指摘している。この考え方は都市計画にも当てはまるだろう。
また、農業経済学者の大森けんいち氏は、
「地域は固有名を持つことにより他の地域と区別されるのと同時に,その中身も地域資源の結合パタン(それは地域の「個性」である)によって厳然と区別される」
と述べている(「地域経済ネットワークの再構築―地域キャピタルの経済学序説」(第58回地域農林経済学会大会での報告)。
この複雑性は、町の規定不可能性という特質につながっている。これは次のような要素で語ることができる。
・曖昧な魅力の重要性
・個人の経験と感覚の重視
・時間をかけて感じる要素
・地域コミュニティーの影響
・変化に対する柔軟性
・感情的なつながり
これらの要素が、地域や町に対する理解を深める手助けとなる。
「住みたい街」には数値化できない要素が多く存在する。例えば、京都の町家での暮らしや地域の祭りへの参加など、居心地のよさや文化的なつながりは観光ガイドブックには載らない魅力だ。
作家の森見登美彦は『四畳半神話体系』(太田出版)のなかで、
「我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性である」
と述べている。この言葉は町選びにも当てはまり、その町の制約や不便さを含めた総体的な経験が、個人にとっての町の価値を決定づける。
「行きたい街」は短期的な体験価値を重視するが、「住みたい街」は時間の経過とともに深まる愛着や発見を重視する。四季の移ろいや地域の営みを通じて、新たな魅力が見えてくる。
住民同士のつながりや地域活動への参加は、数値化できない重要な要素だ。これは観光では体験できない、暮らしのなかでの実感として存在する。
町は時代とともに変化する。観光地化による変化を受け入れつつも、地域の本質を保持していく柔軟性も重要だ。
地域への愛着は、その土地での暮らしを通じて徐々に形成される。近所の人との何気ないあいさつや地域の行事への参加、日々の買い物で顔なじみになる店主とのやりとりなど、ひとつひとつは小さな出来事でも、それらが積み重なることで深い愛着が育まれていく。これは観光客として訪れるだけでは得られない感情的なつながりである。
観光地の裏に潜む真実
このような規定不可能性は、京都を例に挙げるとより具体的に理解できる。
京都は「古都」や「観光の町」として知られているが、実際には2021年の京都市の産業構成比では製造業が24.2%と圧倒的な割合を占めている。また、人口に対する学生数の割合は6.3%で、全国平均の2.3%を大きく上回り、全国1位だ。大学進学率も67.8%(全国平均55.8%)で、こちらも全国1位となっている。
このように、観光地としての側面が強調されがちな京都だが、居住者にとっての京都は、むしろ日常の営みのなかに存在している。
京都の実情は、観光地から少し離れて歩くことで理解できる。例えば、河原町のような繁華街や八坂神社、清水寺周辺は常に観光客であふれ、オーバーツーリズム(観光公害)の深刻さを感じさせる。しかし、応仁(おうにん)の乱の発生地として知られる御靈神社(上御霊神社)や、大石内蔵助が隠居していたことで知られる山科に行くと、まったく異なる景色が広がっている。このような
「ふたつの顔」
を持つ町の姿は、まさに規定不可能性の好例だ。観光地として広まっている表の顔の裏には、製造業や学術といった強固な産業基盤が存在し、歴史を静かに伝える生活空間が広がっている。
「行きたい街」と「住みたい街」の違いは、こうした町の複層的な姿への理解の差にあるのかもしれない。
観光地からの脱却
では、「住みたい街」はどのように形成されるのだろうか。いくつかの事例を挙げてみよう。
長野県の北東に位置する小布施町は、人口約1万人の小さな町でありながら、年間100万人以上の観光客が訪れる。この町の特徴は、
「小布施は観光用に作られた街ではありません」
と宣言していることだ。江戸時代からの町並みを保存し、現代的な要素とも調和させている。栗菓子や北斎館など、地域の特色ある文化を大切にしている。住民が主体となって町並みの保存や地域文化の継承に取り組んでおり、それが住民の誇りと愛着につながっている。
岡山県の北東端に位置する西粟倉村は、独自の施策で「行きたい街」を「住みたい街」へと転換した事例だ。この村は人口約1400人の小さな村で、自然を楽しむために「行きたい」と考えることはあっても、「住みたい」とは想像しづらい場所だ。しかし、この村では人口の約15%が移住者である。
この村では「百年の森林構想」という長期的な森林管理計画を住民主導で実施し、地域資源を活用したローカルベンチャーの起業を支援している。また、移住者と地元住民の交流を促進する「つながる経済」を推進し、人口減少に歯止めをかけて若者の移住も増加している。
これらの事例が示すのは、「住みたい街」とは必ずしも完璧な町である必要がないということだ。小布施町が「観光用に作られた街ではありません」と宣言し、西粟倉村が森林という地域資源を百年単位で考えるのは、まさにこの考えを体現している。
つまり、「行きたい街」から「住みたい街」への転換は、その町の不完全さを受け入れ、住民自身がその個性を育む主体となることで初めて可能になる。それは、アローの不可能性定理が示唆するように、単純な社会的選択の問題を超えた地域と住民の共進化のプロセスといえるだろう。
体験が生む街の魅力
すべての人の好みを完全に満たす街は存在しないのは、存在そのものの本質に関わることかもしれない。フランスの哲学者メルロ=ポンティは、人間の経験は
「身体を通じて世界と関わることで成り立つ」
と考えた。この「身体性」という考え方は、街との関係を考える上でも示唆に富んでいる。
私たちは頭で理解するだけでなく、実際に歩いたり、見たり、触れたり、その場所の空気を感じたりすることで、街を本当に知っていく。観光客として街を訪れることと、そこに住むことの違いは、体験の深さにあるともいえるだろう。
「行きたい街」は、表面的に目にする魅力的な風景や場所との一時的な出会いである。一方で、「住みたい街」は、日々の生活のなかでのさまざまな経験の積み重ねによって形作られていく。朝の通勤路で出会う人々や、買い物で立ち寄るなじみの店、季節の移ろいとともに変化する景色など、こうした日常の体験を通じて、私たちはその街との深いつながりを育んでいく。
このように考えると、「行きたい街」が必ずしも「住みたい街」にならない理由は、その街との関わり方の違いにあるのかもしれない。完璧な街を求めるのではなく、その街の個性や特徴を受け入れながら、日々の生活を通じて自分なりの関係を築いていくことが重要な視点である。
あなたの「行きたい街」や「住みたい街」はどこだろうか。どんなところでもいいので教えてほしい。
10/29 05:41
Merkmal