本郷和人『光る君へ』賢子が心惹かれる双寿丸。その後捕まえた盗賊をどうしたかといえば、恐らくドラマ前半で<消された>あの人同様に…
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが人気を博す中、平安時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「平安時代の犯罪者の扱い」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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双寿丸に心惹かれる賢子
まひろの娘・賢子を盗賊から守ってくれた伊藤健太郎さん演じる双寿丸。
いとからは「身分違い」だと冷たくあしらわれていましたが、賢子は心惹かれている模様。
2人をほほえましくみているまひろはすっかりお母さんの表情になっていました。
その双寿丸、平為賢の下で盗賊討伐などに活躍している様子がドラマで描かれていました。では捕まえた後の盗賊をどうしたのかというと…
そこで今回、平安時代の犯罪者の扱いについて考えてみたいと思います。
平安時代の犯罪事情
しかし早速ながら申し訳ない、これ、よくわかりません…。
みなさんのため息が聞こえてくるようで申し訳ないのですが、本当によく分かっていないんです。
犯罪を取り締まるのはもちろん、検非違使の仕事。
そして武士が検非違使に任じられることが多くありましたので、盗賊や泥棒などの犯人を武力に秀でた検非違使たちが逮捕したであろうことは想像に難くありません。
でも逮捕した後はどうしたのか? そこがハッキリしていない。
平安時代に死刑は無かった
きちんと司法や警察組織ができあがった江戸時代以降であれば、裁判を行って刑が決まりました。
それで有罪となれば、死刑になる者、島流しになる者、江戸を追放される者、牢屋に入れられる者などに分類された。
一方で有名な話ですが、平安時代には死刑はなかった。だから、重い刑だと遠い国に流すわけです。
確かに、菅原道真の時代くらいまでなら、まだ組織がキチンとしていたので、犯人を護送することができたのかもしれません。
でも、その後は国司(県知事)が任国に行かなくなっちゃうくらいですから、いちいち悪い奴を配流地に送り届けたりしたかな? そんな手間のかかること、やらなくなっちゃったんじゃないかな…。
実際のところ
そうなると、流罪のはずが京都のはずれまで連れて行って、そこで「はい、さようなら」なんてことが容易に想像できます。
ドラマの前半でも、流罪に決まったはずの直秀が鳥辺野に連れていかれて、そのまま殺されるシーンがありました。案外、あれは実態に近かったのかもしれません。
それから牢屋。
牢屋を維持するのって、お金と「手間暇」がかかるわけですよね。
当時の朝廷にその「手間暇」をねん出するだけの力があったのか? これもむずかしいところなんです。
著者が大河ドラマ『平清盛』で時代考証をやったとき、若き日の清盛が牢屋にぶち込まれるシーンがあった。その時、立派な牢獄を作ったのですが、やっぱりこれは演出の都合です。
牢屋は維持するのにお金がかかるので、放棄されていたか、あったとしても不潔で無法地帯と化していたか。それが実際のところだったように思います。
10/27 19:54
婦人公論.jp