『光る君へ』怨霊に取り憑かれた人が呻き、化粧ボロボロの女房を見て紫式部は「言いようもなくワクワク」と。そして母・倫子は喜びのあまり…中宮彰子<出産のウラ側>
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「彰子の出産」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。
『光る君へ』次回「波紋」予告。皇子誕生で再び不穏な動きを見せる伊周。双寿丸が新登場の一方、娘・賢子は「大嫌い!」とまひろへ言い放つ。そして帝に献上される本の表紙に書かれていたのは…
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中宮彰子の出産
さて、前回の『光る君へ』では、中宮彰子は入内十年を経てようやく懐妊し、まひろは道長からその記録を残すように言われました。
実際、『紫式部日記』には彰子の出産から皇子(のちの後一条天皇)の誕生祝いパーティーまで詳細な記録が残されているので、それを意識してのことでしょうね。
その内容については、多くの方が色々なサイトで書かれていますが、特に儀式や呪術などの紹介が多いようです。そこで当連載「謎の平安前期」では、少し趣向を変えて、その中で女房たちがどのように働いていたかをご紹介しましょう。
まず、出産した彰子自身は白い御帳(御帳台、周囲にカーテンを垂らした組み立て式のベッド)に入ります。
藤原道長の正妻で、彰子の母である源倫子と、上臈の限られた女房だけが付き従い、紫式部ら女房たちは、魔除けの白い女房装束の正装に身を包み、その側で待機していたようです。
さらに、御帳の周囲は、もうもうと護摩が焚かれ、ドラマにも出てきた院源僧都らが読み上げる祈祷の文句が響き渡ります。そして怨霊の取り憑いた人の呻き声が轟く中、難産の彰子が苦しんでいる…という想像を絶する光景が繰り広げられました。
その中で、第18回でご紹介した<小中将の君>や<宰相の君>など、洗練された上臈女房たちが泣き腫らして化粧がボロボロになり、別人のような顔になっています。
もはやパニックのようになった状況下でも、それを「たぐひなくいみじ(言いようもなくワクワク)」「めずらか(珍しい)」と書く紫式部は、物書きの面目躍如です。
出産を終えて始まる儀式
さて、女房たちの本格的な出番は、出産を終えた後から始まります。
子供が産まれると、まず行われるのは「御ほぞのを」、つまり臍の緒を切ることです。この役はなんと源倫子、つまり赤子(敦成親王、のちの後一条天皇)の祖母がみずから行います。
次に「乳付け」、つまり最初のお乳を含ませる儀式があります。
それは母になった彰子…ではなく、橘三位という高級女官が行いました。彼女は一条天皇の乳母だった宮廷女官で、本名は橘徳子(つなこ)といい、天皇から派遣された特命の女官です。
そして乳母には大左衛門のおもとという女房が付きます。性格がいいので抜擢されたようで、この人も橘氏です。
まだまだ儀式は続く
さらに次の行程として、産湯が用意されます。
まず御湯殿と呼ばれるところで、緑の衣の上に白い衣を着た中宮付きのしもべの男たちが湯を用意し、水でうめて温度を調整し、桶に入れて持ってきます。
清子命婦(きよこのみょうぶ)と播磨(はりま)という女房が取り継いでうめて、湯の温度を調整。さらに大木工(おおもく)と馬(うま)という二人の女房が、瓮(ほとぎ。浅い甕のような土器)十六個に汲んでいきます。
面白いのは、彼女らが着ているのは羅(うすもの)なのに、裳と唐衣、つまり礼服姿をしていて、白い元結(髪を結ぶ道具)を付けていることです。
産湯の係は二人で「御迎え湯」を、つまり宰相の君(藤原豊子)がまず湯をかけ、交互に大納言の君(源廉子) が湯をかける。いずれも上臈女房ですが、湯巻姿です。
なお水濡れ防止のために、礼装の上からエプロンのように裳を巻いた姿になっていて、これは珍しいスタイルだと紫式部は書き残しています。
なお、赤子を抱いて御湯殿に向かう行列としては、まず藤原道長が若宮(後の後一条天皇)を抱き、その前を、小少将の君が御佩刀(一条天皇から贈られた短刀)を持ち、宮の内侍が虎の頭の作り物を持って歩くことになります。
この虎の頭の造り物とは、「虎の頭に御湯を除き込ませて悪霊を祓う」と説明されることが多い不思議な道具。もともと中国では猛獣の虎は悪霊や疫神を食い殺すという信仰があり、その影響で行われた厄除けの呪術のようです。
それが御湯殿への行進を先導しつつ、道々の防御もちゃんと行われます。そして公達や僧侶、博士などがそれぞれの魔除けを行う中、産湯の儀式が行われるのです。
さらに誕生パーティーまで
このように、出産の立会いや引き続いての儀式は、内裏から派遣されてきた乳母や、上臈女房たちが行う仕事だったようですが、女房たちにはさらに他にも仕事がありました。
それは「産養(うぶやしない)」と呼ばれる誕生パーティーの接待役です。後一条天皇の時には産養は生後三夜、五夜、七夜に行われました。
それぞれ主催者が異なったようですが、やはり最も華やかだったのは、「との」、つまり道長主催の五夜のパーティでした。そこでは、若くて気の利いた女房八人が、魔除けの白の礼服に髪をあげて白い元結で整え、白い御盤を中宮彰子のもとに運ぶのです。
そのメンバーは、源式部(加賀守源重文の娘)、小左衛門(故備中守道時の娘)、小兵衛(左京大夫明理の娘らしい)、大輔(伊勢斎主輔親の娘、『百人一首』の歌人、伊勢大輔)、大馬(左衛門大輔頼信の娘)、小馬(左衛門佐道順の女)、小兵部(蔵人という庶政の娘)、小木工(木工允の平文義という人の娘)。
紫式部も「姿形のいい若い人を集めて、向かい合って並ばせでいる様子は、大変見栄えのするものだ」としています。
彼女らはいずれも紫式部と同様の、中級以下の貴族の娘たちで、道長に指名されたといいますから、まさに晴れ舞台のはずなのです。ところがみんないやがって泣いていたと言います。どうやら日頃見慣れない若い公達がたくさん来ている中で目立つのが嫌、ということなのでしょう。
一方、紫式部は・・・明らかに楽しんでいます。高い身分でもなく若くもない彼女は、かなり気楽な立場でこのルポルタージュを書いているようです。
赤染衛門の記録には倫子の横顔も
ところで、この出産の場面は、ほとんど同じ内容で、赤染衛門(演:凰稀かなめさん)の書いた『栄花物語』にもみられます。しかし多くの人には『栄花物語』は『紫式部日記』のコピペだと理解されているようです。
実際両者を読み比べると、『栄花物語』の書き方は『紫式部日記』の要約っぽいところが多いのですが、ところが『栄花物語』にも『紫式部日記』には見られない独自情報もあるのです。
たとえば、源倫子が赤子のへその緒を切る時に「これは罪得ること」とかねてから思っていて、引き受けるかどうか迷っていた、と伝える一節があります。当時、出産はケガレと考えられていたので、「血のケガレ、お産のケガレを全て私が引き受けなければ」という気合が必要だったようです。
しかし実際には、娘の出産の嬉しさを前にそんな迷いもふっとんだ、としています。
これは現場の身近にいないと書けない情報ではないかと思われます。赤染衛門は紫式部より年上で、はやくから倫子に仕えていたらしいので、彼女は倫子付きの女房として、紫式部より御帳近く、へその緒を切る現場に立ち会っていたのかもしれません。
それにしても面白いのは、実物の虎を見る機会などなかったはずなのに、平安貴族たちが、虎が猛々しく、その歩みは強力で頼もしいものと思っていたことです。
まもなく虎をタイトルに冠した朝ドラ『虎に翼』も最終回を迎えますが、平安時代の当時から、虎はただの野生動物ではなく、偉大な魔獣を象徴していたようです。
09/26 18:00
婦人公論.jp