『光る君へ』紫式部どころか<摂関家の姫君>ですら働きに…トップ級の貴族の娘も<地位>で安定した生活が約束されなかった「平安時代の現実」
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「まひろが出仕した彰子サロン」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。
12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を…その生涯とは
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「華やか」に見える女房たちだが…
前話から中宮彰子のもとへ出仕をはじめたまひろ。
予告によると「藤式部」という名を与えられて執筆に励むも、女房としての仕事もこなさなければならない毎日に、疲労困憊する姿が次話で描かれるようです。
大臣級の貴族の娘や孫が女房として働く姿は10世紀以来見られていたのですが、実際には、華やかさの中に、そこはかとない寂しさを伴うものだったようです。
『紫式部日記』に出てくる、紫式部の同僚で親友の「小少将の君」。
彼女は、源時通という貴族の娘で、左大臣源雅信の孫。
つまり藤原道長の正妻・源倫子(ドラマでは黒木華さんが演じています)の姪でした。
ということは、彰子の従姉妹で、藤原道長にも義理の姪という、姫としても破格の存在だったのです。
しかし、父の時通は世をはかなんで早く出家。
彼女はその異母兄でもある源扶義の養女となり、彰子の元に出仕することになったようです。
「小少将の君」「大納言の君」と紫式部の関係
おそらく彰子サロンでの紫式部との関係は、当時の感覚なら、「あのお嬢様が学者風情の娘とご親友!?」という感じで見られていたのでしょう(平安マンガ、D・キッサン『神作家・紫式部のありえない日々」には、『源氏物語』オタクの姫として出てきます)。
『紫式部日記』には彼女のことを「2月のしだれ柳の若芽の風情で、自己主張をせず、悪口など言われたらすぐにダメになってしまうような子供っぽさがあり、とても高貴で魅力的なのに、人生をネガティブに思っている」とする記述があります。
実は紫式部は上臈女房たちが気に入らなかったようで、彼女らが「あまりに引きこもり気質すぎて奥ゆかしがる」ことが彰子サロンの活気を奪い、気が利かなくて子供っぽいという評判を立てられることの元凶だと見ているのですが、小少将の君は特別な存在だったようです。
そして、紫式部は、同じく彰子に仕えた女房で、小少将の君の姉とも従姉妹ともされる「大納言の君(源廉子)」とも仲が良かったのですが、彼女からは、彰子の安産祈願をしている頃に、摂関家の栄華に比べての「憂き我が身」を嘆く歌が送られたとあります。
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澄める池の底まで照らす篝火にまばゆきまでもうき我が身かな
(澄んだ池の底まで明るく照らす篝火のような道長様の栄光のおかげを受けている私たちだけど、それがかえって、私たちの身の置き所が他にない憂いを浮立たせるのよ)
トップ級の貴族の娘や孫でも安定した生活が約束されなかった
大納言の君は「道長の妾」だったという記述もあり、左大臣の孫なのに…と、よりシビアに自分の立場をとらえていたのでしょう。
なお、このあとの彰子サロンには、ドラマで三浦翔平さん演じる藤原伊周の娘(つまり関白道隆の孫)が。
彰子の妹で、後一条天皇の中宮になった威子のサロンには、関白藤原道兼の娘が上臈として入ってきます。
つまり、トップ級の貴族の娘や孫でも、決してその地位で安定した生活が約束されたわけではなかったのが、平安時代中頃の社会なのです。
摂関家の姫君ですら
そして摂関家ですら、働きに出る姫君がいました。
藤原頼通の孫、師通は寛治八年(1094)に33歳で関白になり、時の権力を白河上皇と争ったという、摂関家には珍しい剛直な政治家でしたが、その五年後に急死します。
関白を継いだのは、嫡男の忠実ですが、その妹は斎院女別当、つまり賀茂神社に仕えた斎院、鳥羽天皇の皇女禧子内親王に仕えた女官長になったのです。
また、その姉妹には白河上皇の娘で、やはり斎院だった令子内親王の宣旨(口頭で命令を伝える女房)もいました。
たとえ関白家であろうとも、早くに父を失い、兄弟が当主になることで、その姉妹は、お姫様としての悠々とした立場を失い、それぞれに働き口を見つけて生きていかなければならないーー。
平安時代の女性たちと聞くと、優雅で華やかなイメージがつきものですが、現実にはそういった側面だけではなく、生き抜くために、多くの努力や苦労が要された時代でもあったのです。
08/27 12:30
婦人公論.jp