本郷和人『光る君へ』では帝まで夢中の『源氏物語』。しかし武士や富国強兵の時代にどんな扱いをされていたかというと…

(写真:stock.adobe.com)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。8月25日の第32話「誰がために書く」では、道長(柄本佑さん)の思惑通り、一条天皇(塩野瑛久さん)はまひろが書いた物語に興味を示す。そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子(見上愛さん)が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案し――といった話が放送されました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるシーンを解説するのが本連載。今回は「源氏物語の受容」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

『光る君へ』次回予告。中宮彰子が出産へ。夫・道長から「まひろの物語が中宮を変えた」と聞いたと語る倫子。一方、清少納言は硬い表情で「その物語を私も読みとうございます」と告げ…

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平安時代における『源氏物語』の扱いについて

『光る君へ』の中でまひろこと藤式部の手で執筆が進む『源氏物語』。

一条天皇みずから、まひろの局をたずねてストーリーをたずねたり、中宮彰子は登場人物の一人である「若紫」を自らの身の上に重ねるなど、その行く末が宮中の関心の的になっています。

実際、平安時代の貴族社会において、『源氏物語』は実に面白い小説、として広く読まれていたようです。

とくに女性たち。

当時の上流貴族の姫君は、後宮に入り帝の寵愛を受けることを夢みていました。

ですから、帝の近親者である光の君が、後宮に準じるような寝殿造りの邸宅で日々を送り、女君たちを寵愛するというストーリーは、女性たちを深く満足させたのです。

もちろん、そのストーリーだけではなく、人間の心理や美意識の綾を深く洞察した作品としても、当時のセレブたちに愛好されたのだと思われます。

たとえば『更級日記』の著者である「菅原孝標女」。彼女は『蜻蛉日記』の著者として知られる「右大将道綱(藤原道長の異母兄)の母」の姪に当たります。

ドラマ内で道綱の母は「寧子」として財前直見さんが演じていらっしゃいましたよね。

その寧子の姪が書いた『更級日記』には『源氏物語』を愛読している様子が描写されています。

紫式部本人の手による『源氏物語』原本は存在しない

ただし、藤原道長が書き記した日記『御堂関白記』には原本が残っていますが、『源氏物語』は、紫式部の手による原本が残っていません。

『「失敗」の日本史』(本郷和人:著/中公新書ラクレ)

現存する『源氏物語』の本文は通常、ルーツによって2種類+アルファに分類されます。

具体的には(1)青表紙本系統(2)河内本系統(とアルファとして別本系統)です。

(1)の青表紙本は、鎌倉時代を生きた歌人、藤原定家によって作成された本です。

一方で(2)の河内本は、(1)とほぼ同時期に河内守源光行・親行父子によって作成された本です。なおアルファとなる別本群はそのいずれにも属さない本を指します。

私たちが読んでいる『源氏物語』は(1)になります。

といっても、青表紙本と河内本は、いずれも全54巻という形態で、巻順も同じ。専門家でなければ、差異に気づくことはまずありません。

そして(2)の作成者である源光行。彼を知る人も、たぶん専門家に限られます。

彼は清和源氏で河内守に任じられた人でした。では武士なのかというと、自ら弓矢を取って戦場の最前線に出る「武者」では、おそらくない。鎌倉幕府にも仕えているのですが、大江広元タイプの文官でした。

但し政所の別当という高い地位にありましたので、多くの荒くれ武者を配下として従えていたと推測できます。

彼は息子の親行とともに、当時バラバラになっていた『源氏物語』の写本を集め、研究して原典の復元に努め、河内本をまとめあげたのです。

権威を持った“青表紙本”

(1)の藤原定家は、あまりにも有名な天才歌人です。

定家も『源氏物語』のすばらしさに注目し、原本の復元に努めました。

和歌の世界において彼の作品と名は神格化されていきますので、室町時代ごろより、彼がまとめた青表紙本が「源氏物語」の「正しい」本文であると認識されるようになっていきます。

たとえば室町時代後期の公家(極官は内大臣、また文化人・大学者)だった三条西実隆は、『弄花抄』のなかで、河内本よりも青表紙本の方が文学的に優れていると説きました。

そのため青表紙本は、その他の伝本を凌駕する権威をもったのです。

武士の世での『源氏物語』の扱い

公家社会で愛された『源氏物語』でしたが、時代は武士の世へと推移していきます。そうすると妙な動きが出てきます。

「光源氏とかいうヤツは恋愛にばかりうつつを抜かしておる。政治も軍事もないがしろではないか。女の尻を追いかけているだけの読み物を、どうしてありがたがるのか」というマッチョな感想が語られ、『源氏物語』の価値を貶める動きが台頭してくるのです。

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歌連歌ぬるきものぞという人の梓弓矢(あづさゆみや)を取りたるもなし

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文武両道の武将、三好長慶は「和歌や連歌などくだらない、と言う者に、いくさ上手がいたためしがない」と断じます。でも、教養のない成り上がりの戦国武将などは、コンプレックスもあるのでしょうけれど、風雅の道をリスペクトしようとしません。

そもそも文化の担い手であるはずの天皇からも、『源氏』批判(後光明天皇。正確には、『源氏』を愛好する朝廷批判)が生まれています。『源氏物語』を軟弱な書、無用の書と見なす考えは、実際に存在したのです。

近代での『源氏物語』の扱い

さらに富国強兵を国是とする明治の世においては、『源氏物語』の評判は散々でした。

キリスト教の伝道者として知られる内村鑑三は「あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい」「『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女々しき意気地なしになした」と言い、文学者の正宗白鳥は「読みながらいく度叩きつけたい思いをしつづけたか」とこき下ろしています。

『源氏物語』を評価した明治の文化人は、尾崎紅葉・樋口一葉・与謝野晶子くらいです。

けれども戦後になると、『源氏物語』は復権を果たしました。

現代語訳を上梓している田辺聖子は「男が始めた戦争が敗戦というかたちで失敗して、『源氏物語』が甦った」と、男性文化の崩壊と『源氏』の復権を語っています。

実際、悲惨な戦争への反省や昨今の女性の活躍を鑑みるに、田辺の指摘の正しさを痛感するべきなのでしょうね・・・。

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