『光る君へ』中宮彰子が自らを「若紫」に重ねたようにまひろが「空蝉」、あの一夜が「夕顔」などモチーフとなる『源氏物語』。では<物語のラスボス>あの生霊は…

(写真:stock.adobe.com)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「夕顔」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。

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「夕顔」という女

前回のドラマの中で、第五帖(巻とか章と同じ意味)「若紫」の話題が登場しました。

物語に登場した「若紫」を自らの境遇と重ねる中宮彰子。その先について「光る君の妻になるのがよい」と語るシーンには、グッとくるものがありました。

いよいよまひろの『源氏物語』執筆も佳境に入ってきたようです。

その一方、「モチーフになっているのでは」と感じられつつも、ドラマ内で詳しく語られないお話もあります。その代表的なものとして、今回は「夕顔」について補足をしたいと思います。

「夕顔」は源氏物語の第四帖の通称です。

『源氏物語』の章題は後からつけられたもので、この帖に出てくる歌で「夕顔の花」が詠まれていることに由来しています。また「夕顔」は、この巻に出てきて、すぐに亡くなる光源氏の恋人の通称にもなっています。

そのため、当エッセイでもこの女性を「夕顔」としておきます。

夕顔と光源氏の出会い

さて、「夕顔」は第二帖「箒木」に出てくる「雨夜の品定め」で、光源氏の妻(葵上)の兄で親友「頭中将」の身分の低い恋人(通称「常夏の女」)と同一人物です。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

彼女は頭中将の本妻の嫉妬により、まだ小さい娘と共に姿をくらました、と説明されていました。その人と光源氏がたまたま巡り会ったのです。

「夕顔」の発端は、光源氏が「六条のあたりを忍び歩いていた頃」、つまり先の東宮の未亡人「六条御息所」と密かな恋を楽しんでいた頃のこと。

その途中、五条あたりで療養している元の乳母(惟光の母)を見舞った時、その隣りの小さな家(のちに、夕顔の乳母の娘の持ち家だとわかります)に隠れて住んでいる女と知り合うところから始まります。そのきっかけが、垣根に咲いている夕顔の花だったのです。

さてその夕顔は、早くに両親を亡くした「三位中将の娘」と説明されていて、数人侍女がいるような生活を送っています。

ただ、三位にまで上がって近衛中将というのは、貴族なのに参議以上の政治家にはなっていない、つまり「政治基盤を固める前に若くして亡くなったいいとこの坊ちゃん」だといえるでしょう。こういう家の遺児は強い後見がないとなかなか苦しいのです。

そして頭中将の正妻は右大臣家の姫なので、夕顔よりもはるかに身分が高く、その圧迫に耐えかねて下町に隠れ住んでいる、という設定です。

「五条」「六条」、「夕顔」「朝顔」の対比

当時の平安京では、左京の三条以上が主に貴族や皇族の住む所。源氏の邸宅もこの頃は二条院です。

そして五条は典型的な庶民の街で、六条になると郊外なのですね。下町をはさんだ向こうに高級別荘地があるというイメージでしょうか(だから源氏は六条御息所の邸宅跡を拡大した六条院を建てたのです)。

そういうところから、夕顔は六条御息所とよく比較される書き方をされています。

たとえば夕顔の花自体が、下々の家に咲く白い地味な花という書かれ方なのに対して、六条邸で御息所をイメージする花とされるのは華やかな朝顔の花。

朝顔というと「朝顔」帖の題名にもなる「朝顔斎院」が有名ですが、「夕顔」帖では朝顔は六条御息所の花なのです。

五条と六条、夕顔と朝顔という対比で光源氏の「隠れた恋人」、親友の行方不明の恋人である夕顔と、先の東宮の未亡人である六条御息所が語られているわけです。

なお夕顔に対比される女性はもう一人います。「夕顔」帖の前の「空蝉」帖のヒロイン、後世に「空蝉」と通称される人です。

彼女は伊予介の年若い妻で、光源氏と一夜の契りを結びます。しかしその後は光源氏を拒否し続けます。

それに対して夕顔は、光源氏に迫られると決して嫌とは言わない、なよなよとした女性として描かれる。共に身分の高くない女性ですが、恋のあり方が対照的だとされています。

『光る君へ』未登場「夕顔の肝心な場面」について

さて、この「夕顔」と「空蝉」は、光源氏と身分違いの女性の恋というテーマで描かれているため、まひろと藤原道長の恋を重ねるイメージで『光る君へ』にも時々挿入されています。

空蝉の「受領(国司)の妻」という立場は、まさにまひろと同等。

本来高い身分なのにそういう立場になっている夕顔も同様で、昔から彼女らには紫式部の我が身を顧みたイメージが投影されていた、という見方があります。

しかし『光る君へ』は少しその解釈をさらにアレンジしています。その典型が、まひろと道長が、ある荒れた邸でしばしば密会をしていた、という件でしょう。

これは「夕顔」で、下町の周りの生活の声が聞こえる環境ではなく、光源氏が夕顔を連れて、ある荒れた邸に行って一夜を過ごした、という話を下敷きにしていると思われます。

しかし『光る君へ』では、「夕顔」の肝心の場面がまだ出てきていません。『源氏物語』では、ここで物怪が現れ、それで夕顔が急死するという有名な話があるのです。

以下「夕顔」から引用すると

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十時過ぎに少し寝入った源氏は枕の所に美しい女がすわっているのを見た。
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって愛撫なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」
と言って横にいる女に手をかけて(与謝野晶子訳 青空文庫より)

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それで夕顔は前後不覚になり、そのまま亡くなってしまうのです。

六条御息所の影がないのは少し寂しい

光源氏は、その前の段落で、ひたすらに彼を信じる夕顔の無邪気さと、自尊心の高い六条御息所を比べて色々思っています。

「夕顔」帖の末尾でこの物怪は、「荒廃した家などに住む妖怪が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのである」と光源氏に理解されていますが、六条御息所と関係付けて、六条御息所の生霊と理解されることも多いのです。

しかしながら『光る君へ』では、安倍晴明は活躍するのに、怨霊や生霊は迷信を信じる人たちの心の中にしか出てきません(生霊の祟りは、確かまひろの“仮病”として一度出てきましたが)。

それもあって、六条御息所のモデルはドラマの中には出てこないのでしょう。あえて言うなら、道長の次妻・源明子の怨念と嫉妬がそれにあたるのでしょうか。

著者の感想としては、「夕顔」帖の断片が取り上げられてはいるものの、この後も含めて、『源氏物語』のラスボスとも言える、六条御息所の影が『光る君へ』の中で見られそうにないのは、少し寂しく感じてもいます。

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