本郷和人『光る君へ』道長から紙を贈られて『源氏物語』を書き始めたまひろ。実は清少納言が『枕草子』を書いたキッカケも…平安時代の<紙>の重要性について

(写真提供:PhotoAC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。8月18日の第31話「月の下で」では、ある日突然、道長(柄本佑さん)がまひろを訪ねてくる。道長はまひろに、一条天皇(塩野瑛久さん)に入内するも、相手にされず寂しく暮らす娘・彰子(見上愛さん)を慰めるために物語を書いてほしいと頼み込むが――といった話が放送されました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるシーンを解説するのが本連載。今回は「紙」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を。その生涯とは

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紙をプレゼントされてまひろは上機嫌に

前回<自分らしい物語>を書くことを決意したまひろは、道長へ「彰子におくる物語にふさわしい良質な紙がほしい」と文を書きました。

すると道長自ら従者・百舌彦と共に、大量の越前製の紙を屋敷に届けにやってきます。

高価で貴重な紙をプレゼントされたまひろは上機嫌。あらためて、おもしろい物語を書くことを約束したのでした。

ここで「紙でそんなに喜ぶなんて…」と思ってしまうのは、あくまで現在を生きる私たちの感覚。

今回は平安時代において、紙がどれだけ貴重なものだったかについて考えてみたいと思います。

『枕草子』が執筆されたキッカケも

良く知られた話ですが、清少納言が『枕草子』を書き始めたのは、主人・藤原定子がその兄の伊周から、贈り物としてきれいな紙を貰ったのがキッカケだった、と言われています。

本郷和人先生が監修を務める大人気の平安クライム・サスペンス!『応天の門』(作:灰原薬/新潮社)

せっかくのこの紙をどう使おうか、と考えていた矢先、「じゃあ、私がエッセーを書きましょう!」と名乗りを上げたのが清少納言だったのです。

それくらい紙は貴重品。ですので、書物はますます貴重品。

本が溢れている現在の状況を発想しては誤りです。

紙が発明されたのは中国

紙が発明されたのは、中国の後漢時代。

発明者は「蔡倫」という名の宦官だと長くいわれていましたが、どうももう少し前から紙自体はあったらしい。現在は、蔡倫は改良者という認識になっているとか。

むろん紙がすぐに普及したわけではありませんので、「三国志」の英雄たちも、竹簡を巻物状にして使っていますね。なお竹簡とは、竹で作った札に墨で字を書いたものです。

一方、日本はどうか? これが面白いことに、竹簡は出土例がないのです。

埋められて腐ったために失われた…のでもなさそう。

もともと使用していないのではないか、と古代史の研究者は考えています。

巻き物が600年代から現存

では、何が使われていたのでしょうか。それは竹ではなく、木。つまり木簡です。

木簡が存在していたという事実は古くから知られていたものの、「これは素晴らしい歴史資料だ」ということが言われるようになった1960年代から、より重要視されるようになり、水に漬かった状態の土の中から大量に出土するようになりました。

ただし、書物に仕上げるとなると、木簡は不便。やはり薄くて軽い紙を使いたい、となる。

なお日本の古い書き物というと、お経になるのですが、600年代から現存しています。すごいですね。

朝廷が整備されると、本を管理するために中務省の管轄下に図書寮という役所がつくられました。図書寮の紙屋院という部署では、紙も作っていました。

実はこの図書寮という名前、いまでも宮内庁の下に現存していて、大切な資料を保存しています。現在は、事前予約の上で閲覧室を利用できるようになっているようなので、興味のある方は調べてみて下さい。

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