本郷和人『光る君へ』石山寺でまひろとまぐわった道長。その最中も頭に<烏帽子>が…平安時代の貴族にとって「もっとも恥ずかしかったこと」

(写真提供:イラストAC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。7月14日の第27話「宿縁の命」にて、石山寺にて再会を果たしたまひろ(吉高由里子さん)と道長(柄本佑さん)。思い出話に花を咲かせるうちにふたりは――といった話が放送されました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるシーンを解説するのが本連載。今回は「烏帽子」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を。その生涯とは

* * * * * * *

烏帽子を付けたまままひろを口説く道長

前回のお話で思い出話に花を咲かせるうち、「やけぼっくいに火が付いた」道長とまひろ。

こともあろうに石山寺でそのまま肌を重ね、しかもそれで妊娠してしまうという筋書きに、石山寺もXで「参籠所で添い寝しないで」と投稿していました。

さてその添い寝シーンでお気づきになった方もいたかもしれませんが、「今一度俺のそばで生きることを考えぬか」と横になりながらまひろを口説いた道長の頭には、烏帽子がついたまま。

「こんな時くらい烏帽子を取ればいいのに」と思った視聴者の方がいたかもしれませんが…

今回はそれについてお話ししたいと思います。

「恥ずかしい」という感覚・観念

藤子・F・不二雄先生の作だったと記憶しているのですが、現代とは似て非なる社会をテーマとするSF小品がありました。

本郷和人先生が監修を務める大人気の平安クライム・サスペンス!『応天の門』(作:灰原薬/新潮社)

そこでは「性」は恥ずかしがるようなものではありません。そのため絵本のシンデレラにも、王子とシンデレラが性交をしている描写が含まれる。

その代わり、「食事」はとても恥ずかしい。他人に見られぬよう、閉ざされた空間でご飯を食べる。「恥ずかしい」という感覚・観念は、社会によって異なるのだ、という訳ですね。

ふんどしを取られても…

さて、そこで平安時代の人々にとって恥ずかしいこと、です。

いろいろあるのでしょうけれど、先ずは私たちには、どうにもよく理解できないことを挙げておきましょう。それは「人前で冠・烏帽子をとる」ことです。

インターネットの『e国宝』というページに画像があるのでぜひ見てほしいのですが、東京国立博物館が所蔵する『東北院職人歌合絵巻』(成立は14世紀、重要文化財)に「ばくち打ち」の姿が描かれている。

彼はどうやら大負けし、身ぐるみ剥がされたらしい。ふんどしまで取られてしまい、大事な玉は丸出し。

それなのに、烏帽子だけはかぶっているのです。

アソコを見られるより恥ずかしい!?

いや、これは妙なプレイではありません。

当時の成人男性にとっては、烏帽子をとって髻(もとどり。頭髪を束ねた「まげ」)を見られることは、アソコを見られるより(少なくとも、同じくらい)恥ずかしかったのだ、ということなのです。

その証拠に他の絵巻物を見てみると、彼らは寝ているときも、あるいは女性と交わっているときも、烏帽子をつけたままなのが分かります。

ですから、平安時代に現代のような週刊誌があれば、「スクープ! ***さま、麗しのお姿」と銘打って、烏帽子を取った貴族の姿が袋とじになっていたに違いない?

ジャンルで探す