その瞬間に放送禁止用語を発したドヘニー…何かおかしい?7回TKO勝利も本当に井上尚弥は“不調”ではなかったのか

 プロボクシングのスーパーバンタム級の4団体統一王者、井上尚弥(31、大橋)が3日、東京江東区の有明アリーナで行われた元IBF世界同級王者のTJ・ドヘニー(37、アイルランド)との防衛戦に7回16秒TKOで勝利した。ドヘニーが腰を押さえて歩行困難となり棄権。井上はまったく攻撃姿勢を見せない挑戦者との1戦を「楽しくなかった。中途半端な終わり方」と振り返った。次戦は12月に国内で、WBO&IBF同級1位のサム・グッドマン(25、豪州)との2団体の指名試合が予定されていて来年には米ラスベガス進出プランがある。

 6ラウンドのボディショットで腰を痛めて歩行困難に

 誰も予期せぬ結末だった。
 7ラウンドに井上が右ストレートを2発放つとドヘニーは力を失ったかのようにコーナーへと下がった。そこにボディのコンビネーションを3発浴びせると、顔をゆがめて腰を押さえて横を向き、足をひきずってロープ沿いに歩き右膝をついた。すぐに立ち上がったがまともに歩けない。
「ファック!」
 ドヘニーは放送禁止用語を発した。
 レフェリーは続行不能の棄権とみなして井上のTKO勝利を宣告した。15000人で埋まった有明アリーナを包んだのは歓声ではなく「一体何が起きた?」というざわめきと戸惑い。
「あのままのリアクションを受け止めた。理想していた終わり方じゃない。ファンの方もそうだと思う。ちょっと中途半端な終わり方になった」
 井上にいつもの勝者の笑顔はなかった。
 ドヘニーは、しばらくイスから立てずに、2人の肩を借りて右足をひきずりながら控え室に戻り、記者会見への出席はキャンセルした。
 代わりに対応したヘクター・バミューデス・トレーナーは「7ラウンドのボディへの3連打で痛めたように見えたかもしれないが、その前に神経が痛んでいた」と説明。プロモーターのマイク・アラタムラ氏は、さらに詳しく「6ラウンドに腰にパンチをもらって神経を痛めた。立ち直って戻れると思ったが、7ラウンドにさらに悪化した」と説明し、ドヘニーの「もし明日、6ラウンドから続きができるのならば、やってみたいくらいの思いでいる」との無念のメッセージを伝えた。
 井上は、6ラウンドの終了間際にコーナーに釘付けして強烈なボディショットを数発続けてお見舞いしていた。ドヘニーは腰に手をやってコーナーに戻った。すでにここで異変が発生していたのかもしれない。
 ドヘニーの当日体重は66.1キロだった。55.35のリミットから約11キロの増量である。大橋会長は、その急激な体重増と、腰から右足が動かなくなるほどの異変が起きた原因をこう結びつけた。
「10キロ(以上も)増えたことに腰を痛めた原因があると思う。大食い競争をしているんじゃないんだから何キロ増えたかに意味はない」
 井上にも「内容的にもここからだった」の悔いがある。
「中盤くらいからショートの右も当たり、距離感をつかめて手応えのあるパンチがあった。6,7ラウンドからはプレスも強めていた」
 思い描いていたKOパターンが台無しになった。
「もし続いていたら?たらればになってしまいますけど後半にかけて見せ場を作ろうと思っていた。どういう結果になったかはわからない」
 静かなスタートを切った。
「今回は慎重に入ることがテーマだった。丁寧にボクシングを組み立てたかった」
 5月6日の東京ドームでのルイス・ネリ(メキシコ)戦では1ラウンドにまさかのプロアマ通じてのダウンを喫した。4万人を超える大観衆を前にテンションが上がり、冷静さを失ったメンタルが原因のひとつだった。今回はその反省に加え、ドヘニーの破壊力を警戒して慎重な入りをイメージした。ガードを高く掲げ、アップライト気味に構え「1分経過」の声がかかるまでほぼパンチは放たなかった。
 2ラウンドに入るとドヘニーはまるで総合格闘技の試合のように“タックル”。体重差を生かしてコーナーまで井上を押し込んでいくシーンもあった。
「何も思わなかった。あれがバッティングとかあれば話は違うが。色々やろうとしているというのは感じた」
 井上は冷静に対処。直後にワンツーが右肩付近を直撃。ドヘニーがロープの間から上半身が場外へ飛び出るほどの衝撃を与えた。
 あと500グラムでウェルター級に相当するドヘニーの11キロの増量についても「多少は感じたが、ビックリするほどではなかった」という。

 

 

 しかしドヘニーはディンフェンスに徹してまったく前へ出てこなかった。後ろ重心で上体を後ろにそらす及び腰。大橋会長がドヘニーを挑戦者に指名した理由は危険は伴うが日本のリングで3連続KOを果たしていたそのアグレッシブなボクシングを買ったもの。真吾トレーナーは「尚のプレスがきつくて出たくでも出てこれなかったのでは?」と分析していたが、それは誤算だった。
 3ラウンドに入るとガードを固めてわざと打たせた。だが、結果的に手数が減り、2人のジャッジがドヘニーを支持することになった。4ラウンドも、ドヘニーは足を使ってヒット&アウェー戦法を徹底し続けて、このラウンドも2人がドヘニーに「10―9」を付けることになった。
 ドヘニーのプロモーターは「アウトボクシングで井上が3、4ラウンドは戦術を変更した」と自画自賛したが、井上は、この2ラウンドを「ガードを打たせてみたり、どう突破口を開いていこうかと少し考えた」と振り返った。
 それでも被弾はたったのひとつもなかった。内容的には完勝である。5ラウンドには左フックから右ボディを効かせた。ただダウンシーンは演出できず6ラウンドは、かなりの数の右ストレートを繰り出したが腰が浮き体重が乗らずパンチが流れた。
 井上の凄みはどんな体勢、どんな状況でからでも、常にベストのフォームで拳にパワーを最大限に伝達できるパンチを打てることにある。それがこの日はムラがあり日本刀のようないつものキレに欠いた。まるで目眩でも起きているかのように、クビを何度か小刻みに振る仕草も気になった。
 だが、会見で井上は「調子は良かった」と不調説を否定した。
 真吾トレーナーも「シャープで丁寧にしっかりと戦ってくれた。調子は悪くなかった。満足です」と証言した。この日、井上は62.7キロでリングに上がった。約7キロの増量で、旋回より約700グラムのプラス。当日の体重で言えばキャリア最重量だ。井上は「意図的に増やせるだけ増やしてみようとした」という。
 ドヘニーの増量に対抗したわけではない。
「ボクシングスキルが落ちない程度でどこまでリカバリーできるかを試してみた。体重の作りかも踏まえて当日の適性体重もどれくらいが確かめていきたい」
 そして「若干、体が重かった」とも認めた。しかし、それが不完全燃焼に終わった原因ではないという。
「正直、出来が悪いとは思っていない。ドヘニーほどのキャリアを持つ相手が、こういう戦い(ディフェンスに徹する)をすれば、ああいう戦いになる。自分として丁寧に最善を尽くした。みなさんが思う結果としは違ったかもしれないが、自分の中ではそんなに気にはしていない」
 井上はリング上では「長く試合をしていればこういう試合もある」とも語っていた。

 

 

「井上家は、ドヘニーを過少評価していなかった。怖さはあった。モチベーションが高く人生をかけて来ることもわかっていた」
 試合後に真吾トレーナーはそう言った。
 実は水面下でも最善の準備をしていた。ドヘニーは10キロ以上の当日増量と共に、その異常なフィジカルの強さに対してドーピング疑惑がつきまとっていた。
 真吾トレーナーは、息子の健康と安全を確保するため、ドヘニー戦が決まると大橋会長にドーピング検査の事前徹底を申し入れている。5月6日のルイス・ネリ(メキシコ)戦の前にも“前科”のあるネリに抜き打ちドーピングが複数回敢行されたが今回も同様にドヘニーに事前のドーピング検査が行われ「シロ」の検査結果がもたらされていた。だがそこまで準備した相手は、魂をぶつけてくることなくギブアップしたのである。
 井上が本音を明かす。
「これを言ってしまえばファンに申し訳ないが、守備、守備に回る選手と戦っていて正直、楽しくなかった」
 名勝負は好敵手があってこそ生まれる。不調に見えた一番の理由はリンクしなかったドヘニーとの相性にあったのかもしれない。
 試合後のリング上では共同プロモーターのトップランク社のボブ・アラムCEOがインタビューに応じて、次戦は東京で行われ、来年には、米ラスベガスで「大きなパーティーを開催計画がある」と明かした、井上は「次は12月」とその時期までフライング発表したが、対戦相手の有力候補は、WBOとIBFの指名挑戦者であるグッドマンだ。19戦無敗(8KO)のオーソドックススタイルの基本通りのボクサーファイターで、昨年3月にはドヘニーと対戦し、途中フラッシュダウンを奪い3-0勝利している。5月6日の東京ドームではネリ戦後にリングに上がり、互いにエールを交換したが、なんとこの9月の対戦から“敵前逃亡”し、7月の地元でのWBC同級8位チャイノイ・ウォラウト(タイ)との前哨戦を優先させた。3-0種利したが、その試合で左手を骨折。12月の試合には間に合うようだが、井上にとっては、エール空ぶりの恥をかかされた因縁の相手である。
 そして新型コロナ禍での無観客試合以来、4年ぶりに登場となる来年に計画されている米ラスベガス興行では、対戦相手として元WBA&IBF王者で、WBAの指名挑戦者であるムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)が有力視されている。
 当日の体重を最重量にした理由のひとつに2026年からの転級を考えている5階級となるフェザー級への挑戦準備もある。
「視野に入れることができるかな」
 それがドヘニーと戦った収穫のひとつ。
「まだまだ未完成。もっともっと上を目指していきたい」
 4団体王座の2度目の防衛成功は、サウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)、デビン・ヘイニー(米国)のビッグネームに並ぶ史上3人目の快挙だった。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

ジャンルで探す