伊藤比呂美「中国とズンバ」
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中国で『閉経記』の翻訳が人気なんだそうだ。それで先日、中国に行って、講演ツアーをしてきた。中でも楽しかったのは北京の夜、クラフトビールのあるイベントカフェでやったズンバ講演会。ズンバズンバズンバズンバと『閉経記』に書いてるものだから、出版社が企画してくれた。
こんな企画、去年なら、たるみ切った身体と何をするのもよっこらしょの体力で、到底できなかったろうが、今のあたしは第二期ズンバ高揚期、一週間に七回、ズンバに通ってますから、どこまででもついていける。
ビールを片手に講演をやって、それから人生相談もやって、読者たちは、日本の読者たちより若い人が多く、二十代、三十代が主で、笑い、あるいは泣き、サイン会にも辛抱強く並んでくれた。そしてその後、プロのズンバの先生が登場して、ぎゅうづめのフロアで百人(そんなに大勢が残っていてくれたのだ)の女が踊った。
あたしはズンバの先生に、前に出ろと目で指示をされ(ズンバはなるべく言葉を発しないのがルールだ)、仕方がない、恥ずかしかったけど前に出て、先生の隣で、みんなの方を向いて、踊りまくった。
百人のエネルギーが、みるみる膨れ上がっていくのが目で見えた。あたしはときどきその中につっこんでいって一人一人とハイタッチした。最高だった。
終わった後は泥みたいに疲れ果てたが、言葉のわからぬ外国に行って、読者相手に、こんなに濃厚なズンバ接待する作家が他にいるだろうかと思ったら、とっても満足して達成感もあったのであーる。
さて。ズンバの話。
いつもやってるアヤ先生のスタジオは、多くて五人、ときには一人。先生の目がすみずみまで行き届くので、終わった後に筋肉の使い方をみっちり指導してくれる。だから故障しないし、痛いところも治っていく。それでずぶずぶとハマっていったわけだが、北京のズンバで大勢でやる楽しさを思い出し、あたしは熊本で、新たなアクションを起こした。アヤ先生の教えている、別の会場の大人数のクラスに入会したのだった。
それは近所に昔からある、いろんな講座をやってるなんとかセンターで、うちの母がここにヨガを習いに通っていた。二十年も前になる。まさに今、あたしの通う道を歩いて、母が通っていたのだった。あたしとよく似た体形の七十代の女(母)がヨガのウエアを着て、毎週、この道を歩いていったんだなと思うと、すごく不思議な気分になった。
大人数のクラスでやってみて、おもしろいことに気がついた。
先生は鏡に向かっている。みんなはその後ろ姿を見ながら見よう見まねで動く──というのがどこでも基本なんだけど、なんとそのクラスでは、先生の後ろに、人々が学校の朝礼みたいな列を作って、ぴしっと並んだのである。きょーつけ、前へならえ、みたいな並び方だから、最前列の人以外、前の人と重なって、鏡にうつる自分が見えない。
自分が見えないと、自分の手足や筋肉の動かし方も見えない。すると先生の動きをちゃんとまねできてるかどうかもわからない。
そこであたしは考えた。鏡とは──。
たとえば美容院の鏡は──。否応なしに自分の老いをさらけ出し、否応なしに自分の母と向かい合う鏡である。
家の中の鏡は──。自分の好きなように自分を見る鏡であり、まだまだイケるなと思う鏡である。
ところがズンバの鏡は、自分の動きや筋肉や体形を、ただありのままにうつし出す、そのための鏡なんである。
そんなことを考えていたとき、アヤ先生があたしの詩集を読んだと言ってきた。
「詩集なんか読むの初めてだったけど、すごく読みやすかった。ひろみさんを知ってるせいですかね。なんだか今どきの人たちって、人がどう思うか、何を言うか、そればかり気にしているけど、ここに書いてあるのは自分のことだけ。ひろみさんは自分のことしか見てない。書いてない。それでいいんだなあと思ったんですよ」とアヤ先生は言った。
先生。ズンバで、鏡を見るというのも、そういうことじゃないですか。ありのままの自分と向かい合う。
先生の真似をして動くけれども、先生がどこをどう動かしているか、それを見極めねばならぬ。見極めたら、それを自分の身体に適用しなければならぬ。
適用するためには、自分の身体を観察して凝視して知悉(ちしつ)しなければならぬ。とどのつまり自分で自分を知らねばならぬ。
あたしはあたしであった。いえい!
ズンバとは、あたしであった。いえい!
それなら、あたしは、すなわちズンバであった。いえいえい!
アヤ先生が言うのである。
「最初にスタジオに入ってきたとき、ひろみさんは、肩が開いてなくて、腹筋がゆるんで、背中が一枚板みたいに固まって、肩からお腹まで沈んでるから、頭が前に出ていて、そんな上半身をのっけて、足だけで歩いてるみたいに見えた。そして『あたしはあと二十年仕事をしたいから、それまで仕事のできる健康な体でいたい』って言いました」
本人はそんなことすっかり忘れてズンバぢゃズンバぢゃと夢中でやっていたが、そうだった、切実な気持ちがあった。やりたい仕事がまだある。それをやり遂げたい、そのためには何より健康を保ちたいという相当な覚悟があったのだと今さらながら思い知る。
06/21 12:30
婦人公論.jp