中学時代、教師たちに帰宅後の行動まで管理された。受験勉強、内申書…『卒業』したときの開放感は、まさにあの歌の歌詞と同じ
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学生時代、感じていたのは
〇〇からの卒業と言えば、なんといっても尾崎豊の『卒業』でしょう。「この支配からの卒業」というフレーズは有名です。リアルタイムで聞いていた世代ではなくても知っている方も多いと思います。
そして私は学校を卒業するときに、まさにこんな気分でした。といっても、グレていたわけではありません。
普通に学校に通い、それなりの成績を修めて、普通に大学に進学したかったのです。学校も望むところは一緒だったでしょう。
しかし、やっかいなことがありました。学校は私立の中高一貫校で、進学校となり有名校となりたかったのです。進学実績を上げ、進学校としてブランディングしていきたかったのです。私立校でしたので人気が出なければいけないのは、公立校よりも切実でした。
進学校や有名校が使っているという参考書、補助の学習資料の情報を聞いてきては、学校の教材として使っていました。当時通っていた塾の先生は「あれっ、こんなレベルの高い教材使っているの!?」と驚いていました。
それはいいのですが、問題なのが学校の先生たちが使いこなせていないことでした。問題集の解き方や考え方は、自分で解説を読んで理解しろというスタンスでした。東大に入れと生徒に望んでおきながら、自分は東大の問題で頭をひねってしまうのです。
また、高校までは学校からの生活指導が入るのが、息苦しくありました。
自宅に帰ってから何をしているか、プリントに書いて提出するよう言われました。つまり、空いている時間に勉強しろということでしょ、と子供ながらに感じ、これが嫌で嫌で仕方がありませんでした。学校以外のプライベートな時間まで、踏み込んでこられるような気分でした。
そして内申書。どんな生徒かを教師がその性格などを記して大学の入試で参考にされるのですが、これも教師の機嫌を取らなくてはいけないのかと、圧迫感がありました。幸い、担当の先生たちは、わりとのんびりして内申書を盾にしてくる人たちではありませんでしたが。
むしろ進学してほしいので、「頑固」を「自分の意志を貫く」、「変な人」を「新たな視点を切り開く」など、聞こえのいいように書いていたと思います。
今考えると悪くなかった面もあり、適当に聞き流せば腹が立たなかったのかもしれない、と思う部分も沢山あります。
でもそれは、卒業て距離が出来て思えることなのでしょう。
07/13 12:30
婦人公論.jp