伊藤比呂美「魔法の言葉──死んだ夫を送る歌」

イラスト(画=一ノ関圭)

(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「魔法の言葉──死んだ夫を送る歌」。長い付き合いの友人ダイアンの夫ジェリーが死んだ。ジェリーは8年前に亡くなった夫と出会うきっかけとなった人であり、詩人だった――(画=一ノ関圭

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ダイアンは友人であり、隣人であった。夫の弟の妻がいればこんなつきあいだったろうし、あたし自身の母方の、母たちとはうんと年の離れた叔母さんみたいな気もしていた。カリフォルニアに住んでいた二十数年間、ダイアンとはそんなふうに親しかった。

過去形で書いてるが、ダイアンが死んだわけではない。その夫が死んだのだった。夫はジェリー。詩人である。

三十年近く前、あたしは北米先住民の口承詩(紙に書かれず声で伝えられていくうた)を知りたくて、その研究で有名な詩人、ジェリーを頼ってカリフォルニアに行った。そしたらついでに彼の隣人で友人で、大学の同僚のイギリス人のアーティストに出会って恋に落ちた。それが八年前に死んだ夫だ。

ジェリーの隣にはつねにダイアンがいた。いやむしろ書斎にこもりっきりのジェリーより、ダイアンのほうがより積極的に人と関わった。手のかかる夫のサポートを全面的に引き受け、家事全般ひとりでこなし、ひんぱんにディナーパーティーを開き、人を招き、大量に料理し、どんな人とも、怖じずに、何についてでも、いくらでも、しゃべる。こんなに鋭くて現実的で有能な人はめったにいない、とあたしはいつも感心していた。

ジェリーとダイアンはNYの同じ地区の幼なじみの同い年だった。二十一歳のときに結婚して、今年は九十二歳、それまでずっと夫婦だったのである。

ふたりとも超人のように元気だったが、じょじょに衰えはやってきて、ダイアンは去年脳梗塞をやったし、ジェリーは入退院をくり返していた。

脳梗塞以来、よくしゃべるダイアンは言葉が出てこなくなった。その頃あたしはちょうどカリフォルニアに一時帰って、それを間近に見たのである。ダイアンはほんとにもどかしげだった。隣でジェリーが、ダイアンの言おうとしている言葉を察知して口に出した。ダイアンはそうそうと言いたそうにうなずいたり、先に言われてしまうのをうるさがったりした。これも夫婦のかたちだなあと思って見ていたものだ。

ジェリーにはもともと、ダイアンがしゃべっていると、無意識なんだろうが、その声にかぶせて同じことを話し始める癖があった。そして他の誰にも負けないほどよくしゃべるダイアンなのに、ジェリーがしゃべり始めると、すっと引いた。それがいつも不思議だった。「育ったのがそういう時代だったのだ」とダイアンが無念そうに、しかたないというように言ったことがある。

今年の四月の終わり、ジェリーが入院中の病院から自宅でのホスピスケアに移行することになった。

それを知った夜、あたしは眠りながら考えていた。夢というんじゃないけど、夢だったのかな。ジェリーはもう死ぬんだと考えている夢を見ていたような気もする。

というのもうちの夫が、やっぱり入退院をくり返し、最終的に自宅でのホスピスケアに移行した。うちに帰ってきてほっとして笑顔さえ見せて、好きなインド料理もテイクアウトして食べた。それから一週間も生きなかったからだ。あたしは眠りながら考えていた。朝になったらダイアンに電話しようと。

朝、電話したら、息子が出て(遠くの州から帰ってきていた)、「おお、ひろみ、ひさしぶり、今は日本からか」と言いながら、なんだか歯切れが悪いのである。「今はちょっと忙しい、明日にでもかけ直して」と息子が言ったそのとき、後ろでダイアンの声が聞こえた。ひろみなら伝えていいと言ってたんだと思う。それで息子が話し始めた。「じつは父がついさっき亡くなって」と。

あたしははからずも、ジェリーの死を知った最初の人になった。眠りの中で、死んでいくジェリーと交信してたのかもしれない。

電話を切ったとたん、クレイマーがしんみりした表情で近寄ってきて、頭をあたしの股の間に突っ込んで、慰めるように、おかあさんだいじょうぶ、ぼくここにいるよという仕草をした。犬はみんなこれをする。でもクレイマーがしたのは初めてだった。

あたしは数日後に電話をかけ直した。今度はダイアンが出た。声を聞くなり「ダイアン、愛してる」と言ったら、「わたしも愛してる」と返ってきた。

「I love you」は恋人同士のささやきだけではない。親子の間でも言い合う。親密な間でほんとによく言い合う。

「ジェリーが、死んで、すぐに、あなたが電話してきた。あれは、マジカルだった」とダイアンが言った。マジカル(魔法じみた)という言葉が沁みた。

「彼はいつ最後の詩を書いたの」

 同じ詩人として聞いておきたかった。

「彼は、毎日書斎へ行って、座ったけど、書けなかった。コンピュータが、わからなくなっていた。最後の数ヵ月、彼は、ジェリーじゃないみたいだった」

ああ、そのとおり、あたしが夫の最後の数ヵ月に感じたことそのままですよ。

「彼は、弱かった、弱かった、弱かった」とダイアンは三回くり返した。「心配で、心配で、心配で、つくりかけの詩集のことが」とまた三回くり返した。

電話の奥から、脳梗塞の後の、ひとつひとつしぼり出すように押し出されてくるたどたどしい言葉が、夫の死にざまと生きざまを、あたしに伝えた。

それはまるで、先住民のまじないうたのように聞こえた。老いた妻がうつむいて唱える「死んだ夫を送る歌」みたいだった。

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