横浜F・マリノス歴代最高助っ人は? 出場試合数ランキング1~10位。クラブの歴史を築き上げた外国籍選手たち

【写真:Getty Images】

 31年目のシーズンを終えたJリーグでは、これまでにさまざまな選手がピッチに立ってきた。長い歴史で多くの助っ人が来日し、クラブの成功・発展に力を尽くして、さらにはレジェンドとなって愛された選手も多くいる。今回は、横浜F・マリノス(横浜マリノス時代を含む)在籍時に最も多くJリーグに出場した外国人選手を紹介する。※成績はJリーグ通算
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10位
ラモン・ディアス(アルゼンチン)
生年月日:1959年8月29日
Jリーグ通算出場数:75試合
在籍時期:1993-95

9位
マルキーニョス(ブラジル)
生年月日:1976年3月23日
Jリーグ通算出場数:78試合
在籍時期:2003, 12-13

8位
柳想鐵(韓国)
生年月日:1971年10月18日
Jリーグ通算出場数:80試合
在籍時期:1999-2000, 03-04

7位
ファビオ(ブラジル)
生年月日:1989年2月28日
Jリーグ通算出場数:81試合
在籍時期:2013-16

6位:
グスタボ・サパタ(アルゼンチン)
生年月日:1967年10月15日
Jリーグ通算出場数:95試合
在籍時期:1993-96

 横浜F・マリノス(横浜マリノス)の歴代外国人選手出場試合ランキングの6位〜10位は、南米からの助っ人が多く登場している。

 10位のラモン・ディアスは、1993年に加入した元アルゼンチン代表FWだ。1993シーズンに28ゴールを挙げ、Jリーグ初代得点王となった伝説的なストライカーである。

 9位のマルキーニョスは、2001年に母国ブラジルのコリチーバから東京ヴェルディに加入して日本でのキャリアを始めたあと、2003年に期限付き移籍で横浜FMにやってきた。その後、鹿島アントラーズなどで活躍し、2011年に一度ブラジルに復帰したあと、2012年に横浜FMに復帰。2シーズンで26得点を挙げた。

 8位の柳想鐵は、このランキングのトップ10で唯一南米勢ではない助っ人で、韓国人選手だ。複数ポジションをこなせた柳想鐵は、2000シーズンに17得点を挙げて、このシーズンの得点ランキングで3位タイに入った。2003年に復帰した際は、主に右サイドバックを担当し、リーグ制覇に貢献している。2021年6月、膵臓がんのため、49歳の若さで亡くなった。

 7位のファビオは、2012年夏に当時関東1部のSC相模原に加入して日本でのプレーを始め、2013年から横浜FMでプレーしたブラジル人センターバックだ。加入当初は中澤佑二栗原勇蔵の控えだったが、2015、16シーズンはコンスタントに起用されている。

 6位のグスタボ・サパタは、1993年にアルゼンチンのリーベル・プレートからやってきたアルゼンチン代表MF。Jリーグ創設期のマリノスはアルゼンチン色が強いチームで、ラモン・ディアスらが前線でゴールを量産する中、サパタは守備的MFとして中盤の広いエリアをカバーして相手の攻撃の芽を摘み、縁の下の力持ちとして活躍した。

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●5位:エウベル(ブラジル)

生年月日:1992年5月27日
Jリーグ通算出場数:99試合
在籍時期:2021-

 2021年にブラジルのバイーアから横浜F・マリノスに加入したエウベルは、ハイペースで出場を重ね、3シーズンでクラブの外国人選手出場試合数トップ5に入った。

 横浜FMで主に左ウイングを担当するエウベルは、スピードと多彩な技術を武器に、多くのチャンスをつくり出している。横浜FMがJ1で優勝した2022シーズンは、8得点5アシストの数字を残してベストイレブンに選出された。2023シーズンはさらに数字を伸ばし、9得点11アシストを記録している。

 31歳とベテランの域に入っているエウベルだが、近年はプレッシャーがかかる状況での冷静さに磨きが掛かっている印象で、ゴール前の密集でも落ち着いてプレーを選択している様子だ。6月10日のJ1第17節・柏レイソル戦では、自陣からのロングフィードを裏のスペースで受けると、完璧なファーストタッチからゴールにつなげた。エウベルのテクニックなら当然のトラップだとしても、相手の守備が後方から迫ってくる中でこれ以上ない理想的なコントロールをするのは至難の業で、エウベルの冷静さが表れたシーンと言えるだろう。

●4位:チアゴ・マルチンス(ブラジル)

生年月日:1995年3月17日
Jリーグ通算出場数:99試合
在籍時期:2018-21

 ブラジル人のチアゴ・マルチンスは、2018シーズン途中にパルメイラスから横浜F・マリノスに加入した。2022年に退団するまでに、99試合に出場している。

 チアゴ・マルチンスは対人守備の強さが魅力で、すぐにレギュラーに定着した。さらに、後方からのビルドアップも得意で、攻撃の起点としても活躍している。特に2019シーズンは畠中槙之輔とのセンターバックコンビで鉄壁の守備を築き、Jリーグ優勝に貢献。個人としてはベストイレブンに選出された。

 横浜FMでコンスタントに活躍を続けたチアゴ・マルチンスは、2021年末に契約を更新した。しかし、翌2022年2月にニューヨーク・シティFCへの移籍が決まり、シーズン開幕の直前に横浜FMとの別れが突然訪れている。

 移籍発表の際にチアゴ・マルチンスは「なんとか引き留めようとしてくれたクラブに対しては、迷惑をかけたと思っていますが、自分のわがままを最後は認めていただき、社長、監督、ダイレクターたちをはじめとするクラブの皆さんにも感謝の気持ちでいっぱいです」と公式サイトでコメントを残し、クラブへの感謝を強調していた。

●3位:ダビド・ビスコンティ(アルゼンチン)

生年月日:1968年9月22日
Jリーグ通算出場数:121試合
在籍時期:1993-96

 アルゼンチン人のダビド・ビスコンティは、1993年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入し、1996年に退団するまでに121試合に出場した。

 アルゼンチン代表経験があるビスコンティは、Jリーグ創設初期のスタープレーヤーの一人と言える。加入当初は攻撃MFとしてアルゼンチン代表の先輩であるラモン・ディアスを活かす立場として活躍した。

 ラモン・ディアスが監督との対立で出番を失った1995シーズンは、より高い位置でプレーするようになり、リーグ戦で27得点を記録。年間王者を決めるJリーグチャンピオンシップのヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)戦のファーストレグでは数少ないチャンスを活かして決勝点を決め、初優勝の原動力になった。

 ビスコンティはマリノスを退団したあと、チリ、スペイン、アルゼンチンでプレーし、2000年にアビスパ福岡に加入して日本に復帰。2002年にサガン鳥栖で現役を引退した。

●2位:マルコス・ジュニオール(ブラジル)

生年月日:1993年1月19日
Jリーグ通算出場数:135試合
在籍時期:2019-2023

 2019年にブラジルのフルミネンセから横浜F・マリノスに加入したマルコス・ジュニオールは、2023シーズン途中に退団するまでにJリーグで135試合に出場した。

 U-20ブラジル代表経験があるマルコス・ジュニオールは、巧みなボールコントロールとスピード、高い決定力を併せ持ち、アンジェ・ポステコグルー監督の攻撃的なスタイルにすぐにフィットした。1年目は15得点を挙げ、チームメートの仲川輝人とともに得点王になり、Jリーグ優勝の原動力になっている。

 横浜FMの攻撃の中心として活躍したマルコス・ジュニオールは、2021シーズンに背番号を9から10に変更した。しかし、2022シーズンは西村拓真の台頭や自身のコンディション不良で出場時間が激減すると、リーグ戦ではまさかの得点ゼロに終わった。2023シーズンもベンチスタートが多く、夏にサンフレッチェ広島へ移籍している。

 それでも、マルコス・ジュニオールは移籍直前まで横浜FMで活躍を続けた。6月の第16節・FC東京戦では途中出場で終了間際に決勝点を挙げている。続く第17節・柏レイソル戦でも途中出場で後半アディショナルタイムに宮市亮の決勝点をアシストした。加入当初に比べてインパクトが薄れたとしても、マルコス・ジュニオールの勝負強さと献身的な守備は、横浜FMにとって大きな武器だった。

●1位:ドゥトラ (ブラジル)

生年月日:1973年8月11日
Jリーグ通算出場数:213試合
在籍時期:2001-06, 12-14

 横浜F・マリノスの歴史で最も多くの試合に出場した外国人選手は、ブラジル人のドゥトラだ。リーグ戦213試合出場は、2位以下を大きく引き離すダントツの数字である。

 ドゥトラは2001年夏にスポルチ・レシフェから横浜FMに加入した。ラザロニ監督から信頼されてすぐに左サイドバックのレギュラーになると、横浜FMを2部降格の危機から救う活躍を見せている。

 2003年と2004年は不動の左サイドバックとしてJリーグ2連覇に貢献し、自身は2年連続でベストイレブンに選出された。

 2006シーズンで退団してブラジルに戻ったドゥトラは、2012年に横浜FMに復帰。当時38歳という年齢が不安視されたものの、衰え知らずのパフォーマンスですぐに定位置を獲得して、相変わらずの豊富な運動量で鉄人ぶりを発揮した。

 ドゥトラは現役最終戦となった2014年7月のヴィッセル神戸戦のあと、「日本サッカーに何かを残すことができたのならとても幸せ」(クラブ公式YouTubeより)と語り、横浜FMでのキャリアを誇っていた。

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