鹿島アントラーズ歴代最高助っ人は? 出場試合数ランキング1~10位。クラブの歴史を築き上げた外国籍選手たち

【写真:Getty Images】

 31年目のシーズンを終えたJリーグでは、これまでにさまざまな選手がピッチに立ってきた。長い歴史で多くの助っ人が来日し、クラブの成功・発展に力を尽くして、さらにはレジェンドとなって愛された選手も多くいる。今回は、鹿島アントラーズ在籍時に最も多くJリーグに出場した外国人選手を紹介する。※成績はJリーグ通算
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10位
カイオ(ブラジル)
生年月日:1994年4月19日
Jリーグ通算出場数:78試合
在籍時期:2014-16

9位
サントス(ブラジル)
生年月日:1960年12月9日
Jリーグ通算出場数:79試合
在籍時期:1992-95

8位
ディエゴ・ピトゥカ(ブラジル)
生年月日:1992年8月15日
Jリーグ通算出場数:85試合
在籍時期:2021-23

7位
マジーニョ(ブラジル)
生年月日:1965年12月26日
Jリーグ通算出場数:100試合
在籍時期:1995-2000

6位
フェルナンド(ブラジル)
生年月日:1978年6月18日
Jリーグ通算出場数:102試合
在籍時期:2003-06

 鹿島アントラーズにおける歴代外国人選手最多出場記録の6位から10位は、全員ブラジル人だ。

 10位のカイオは、留学生として2011年に日本にやってきて、2014年に鹿島に加入した。切れ味鋭いドリブルを武器に活躍し、外国人選手としてJリーグ史上初となるベストヤングプレーヤー賞を受賞するなどインパクトを残し、2016年夏にUAEのアル・アインへ移籍した。

 9位のサントスは、Jリーグ創設期の鹿島のボランチを務めた。すでにベテランだったジーコが攻撃に専念できたのは、中盤の広いエリアをカバーできる職人肌のサントスがいたことが大きかった。1995年夏に退団したあとは、清水エスパルスとヴィッセル神戸でプレーしている。

 8位は2023シーズンまで鹿島で活躍していたディエゴ・ピトゥカだ。2021シーズンから中盤の要として、リーグ戦85試合に出場した。

 バイエルン・ミュンヘンなどで活躍したテクニシャンのマジーニョは、1995年に加入して100試合に出場し、7位にランクインした。1997シーズンは31試合で22得点を決め、この年の得点ランキングで3位タイになっている。

 6位のフェルナンドは2003年に加入した。主にボランチとして活躍し、リーグ戦102試合に出場している。

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●5位:ジョルジーニョ (ブラジル)

生年月日:1964年8月17日
Jリーグ通算出場数:103試合
在籍時期:1995-98

 ジョルジーニョは、ブラジルの名門フラメンゴで活躍したあとヨーロッパへ渡り、ドイツのレバークーゼンとバイエルン・ミュンヘンでも中心選手として力を発揮した。1987年にデビューしたブラジル代表でも不動の地位を築き、1994年にはFIFAワールドカップ優勝を経験している。そんな世界のトップを経験した選手が、1995年に鹿島アントラーズに加入した。

 30歳を過ぎて日本にやってきたジョルジーニョは、Jリーグで加入直後から他を圧倒する世界レベルのパフォーマンスを見せた。右サイドバックとして起用されれば、サイドを駆け上がって正確なクロスを送り、ボランチで起用されれば、フィジカルを活かしたボールキープと正確なパスでチャンスの起点となっている。現代のサッカー界における偽サイドバックの役割を、1990年代に自然にこなしていたような選手で、鹿島がJリーグ初優勝を成し遂げた1996シーズンは、年間最優秀選手賞を受賞している。

 1997シーズンの鹿島は、Jリーグ・ファーストステージで優勝したほか、ヤマザキナビスコカップでも優勝した。この大会でジョルジーニョは7得点を決め、大会MVPを受賞した。

 1999年にブラジルに帰国したジョルジーニョは、2002年に現役を引退したあと、2012年に監督として鹿島に復帰。監督としては鹿島をナビスコカップ優勝に導き、1年で退任した。

●4位:クォン・スンテ(韓国)

生年月日:1984年9月11日
Jリーグ通算出場数:108試合
在籍時期:2017-23

 2023シーズンで現役を引退したクォン・スンテは、鹿島アントラーズのファンに愛されたGKだ。2017シーズンからの7年間で、リーグ戦108試合に出場した。

 韓国の全北現代モータースからやってきたクォン・スンテは、鹿島にとってクラブ史上初の外国人GKだった。鋭い反応でチームを何度も救い、2018年にはクラブ史上初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝に貢献している。

 ただ、加入当初から常にレギュラーだったわけではなく、曽ヶ端準沖悠哉、早川友基らとポジション争いは続き、控えに回ることも多かった。それでもファンから信頼を集めたのは、人間性によるところも大いにあるだろう。常にプロ意識が高く、行動は模範的で、チームの気の緩みを察知すると、誰よりも早く大声を出して鼓舞していた。

 今季最終戦後の引退セレモニーでは、家族が登場した際に号泣していた。家族の登場は鹿島の配慮によるサプライズで、クォン・スンテは当初断っていたという。引退会見で同選手は、「家族は行きたいと言ってくれたが、その日の主役はチームであり、鹿島が輝かないといけない日だと思った。だから、家族には来なくていいと伝えました」(クラブ公式YouTubeより)と説明。最後の日までクラブを優先する姿勢は、より一層ファンの心をつかんだ。

●3位:マルキーニョス(ブラジル)

生年月日:1976年3月23日
Jリーグ通算出場数:119試合
在籍時期:2007-2010

 ブラジル人のマルキーニョスは、2001年に東京ヴェルディに加入して日本でのキャリアを始めると、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド千葉、清水エスパルスと、Jリーグの複数クラブを渡り歩いたのち、2007年に鹿島アントラーズに加入した。2010年までの所属で、リーグ戦119試合に出場している。

 マルキーニョスは、加入1年目から14得点を挙げ、鹿島のリーグ優勝に貢献した。2年目はさらに存在感を増し、21得点を挙げて得点王となり、JリーグMVPを受賞。連覇の原動力になっている。2009シーズンも13得点を挙げ、クラブは3連覇を達成した。

 在籍した4シーズンで59得点を挙げたマルキーニョスは、クラブの外国人選手として歴代最多の得点数を記録している。

 マルキーニョスは、ゴール前の密集であっても常に冷静で、鹿島におけるJリーグ1試合平均ゴール数は0.496と、高い決定力が特に魅力だった。この数字は、Jリーグ通算得点ランキングのトップ10に入る選手の中でも上位で、名古屋グランパスなどで活躍したウェズレイ(0.571)に次ぐ2番手である。

 マルキーニョスは鹿島でのキャリアを終えたあと、ベガルタ仙台、横浜FM、ヴィッセル神戸でプレーした。Jリーグでの通算ゴール数を152得点まで伸ばし、Jリーグの歴史で最も多くのゴールを記録した外国人選手となっている。

●2位:レオ・シルバ(ブラジル)

生年月日:1985年12月24日
Jリーグ通算出場数:135試合
在籍時期:2017-21

 ブラジル人のレオ・シルバは、2013年にアルビレックス新潟に加入して日本でのキャリアを始めたあと、2017年に鹿島アントラーズに加入した。2021年まで在籍し、135試合に出場している。

 新潟で圧倒的な存在感を放っていたレオ・シルバは、鹿島でも持ち味を発揮した。豊富な運動量で広いスペースをカバーし、抜群の守備センスで相手の攻撃の芽を摘んでいる。

 また、キックの精度が高く、攻撃の起点としても活躍した。そのパスを警戒して相手が距離をとって構えるようであれば、レオ・シルバは自らドリブルで持ち上がることもできる。2019年4月の名古屋グランパス戦では、ハーフウェイライン付近でボールを持ち、自らドリブルでゴール前まで侵入して得点を奪ったこともあった。状況判断が攻守両面で優れていた選手だ。

 2022年に名古屋グランパスへ行ったレオ・シルバは、2023年に母国ブラジルのモト・クルブに加入し、Jリーグでのキャリアを終えた。

●1位:ビスマルク(ブラジル)

生年月日:1969年9月17日
Jリーグ通算出場数:137試合
在籍時期:1997-2001

 1990年のFIFAワールドカップでブラジル代表の一員だったビスマルクは、1993年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に加入して日本にやってきた。その後、1997年に鹿島アントラーズに加入。2001年までに137試合に出場して、クラブ史で最も多くの試合に出場した外国人選手となっている。

 鹿島で10番を背負ったビスマルクは、加入直後から中心選手として活躍した。多彩なパスでチャンスを演出し、自らゴールを奪うこともできる攻撃的MFで、鹿島の攻撃のカギになっている。

 1998シーズンのチャンピオンシップ・ジュビロ磐田戦のセカンドレグでは、1得点1アシストを記録して2-1の勝利に貢献し、優勝の原動力になった。Jリーグ史上初となる2000シーズンの3冠にも大きく貢献したレジェンドだ。

 ビスマルクは、2005年にJリーグ功労賞を受賞している。ヴェルディでも外国人歴代最多出場記録を持っており、鹿島だけでなく、Jリーグの発展に力を貸してくれた助っ人と言えるだろう。

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