ユベントス史上最強!伝説の英雄5人。輝かしい歴史を作り上げた偉大なカリスマたち

【写真:Getty Images】

 11/12シーズンからユベントスはセリエA9連覇を達成。15/16シーズンには国内3冠達成し黄金期を築いた。輝かしい成績を残しているイタリアの名門では、これまで多くのレジェンドたちが活躍してきた。今回は、21世紀以降に在籍した選手の中から厳選した伝説のカリスマを紹介する。(在籍期間、通算成績は『transfermarkt』参照)

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●FW:ダビド・トレゼゲ(元フランス代表)

生年月日:1977年10月15日
在籍期間:2000年7月~2010年8月
通算成績 :320試合171得点38アシスト
主な獲得タイトル:セリエA(2回)、UEFA欧州選手権(1回)

 21世紀に在籍したユベントスの名FWと言えば、ダビド・トレゼゲだろう。在籍10年間で公式戦320試合に出場。歴代4位となる171得点を記録したトレゼゲは、その類まれな得点能力で数々のタイトルをもたらした。

 加入当初は、フィリッポ・インザーギ、アレッサンドロ・デル・ピエロの控え選手と目されていた。だが、トレゼゲは途中出場も多い中でリーグ戦25試合14得点を記録。凄まじい決定力を見せつけると、翌シーズンには24得点を挙げる活躍で得点王とセリエA年間最優秀選手に輝き、ユベントスを4年ぶりのスクデット(セリエA優勝)に導いた。

 卓越したシュートセンスを持ち、ペナルティーエリア内であればどこからでも、どんな体勢でもゴールを決めるトレゼゲは、その後怪我に悩まされながらも得点を量産。セリエBに降格となった06/07シーズンも15得点を挙げる活躍を見せ、1年でのセリエA復帰に貢献した。そして09/10シーズン、通算171得点を決めたこのFWは、クラブ史上最多の外国人スコアラーとなった。このシーズンを最後にトレゼゲは退団したが、強烈だったこの男の数々のゴールは、今も世界中のファンの記憶に残っているだろう。

 ユベントスを退団後は、スペインやUAE、アルゼンチンのクラブを転々とし、2015年1月に現役引退を発表した。

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●GK:ジャンルイジ・ブッフォン(元イタリア代表)

生年月日:1978年1月28日
在籍期間:2001年7月~2018年7月、2019月7月~2021年7月
通算成績 :685試合539失点
主な獲得タイトル:セリエA(10回)、コッパ・イタリア(5回)、スーペルコッパ・イタリアーナ(6回)、FIFAワールドカップ(1回)

 世界最高のGKの一人、ジャンルイジ・ブッフォンはまさにユベントスの英雄だ。アレッサンドロ・デル・ピエロに次ぐ通算685試合に出場し、21個のタイトルを獲得。在籍18年間クラブを支え続けたブッフォンは、象徴と呼ぶに相応しい存在だろう。

 パルマで頭角を現したブッフォンは、2001年に当時のGK史上最高額となる5290万ユーロ(約74億円)でユベントスに加入。同年にフラムに移籍したエドウィン・ファン・デル・サールに代わり、正GKに抜擢された。鋭い反射神経によるセービング、後方からの指揮、優れたポジショニングなど、GKに必要なもの全てを備えるこの男は、ベテランとなってもそれらを高レベルで発揮。17年に渡りゴールマウスに君臨し続け、セリエA10回、コッパ・イタリア5回、スーペルコッパ・イタリアーナ6回と多くのタイトルをもたらした。

 個人としても02/03シーズンにUEFAクラブ年間最優秀選手賞(現UEFA欧州最優秀選手賞)を受賞。ドイツワールドカップ優勝を果たした2006年には、FIFAワールドカップゴールデングローブ賞を受賞するなど、ブッフォンはユベントスだけでなく、イタリアサッカーの歴史に名を刻んでいる。2020/21シーズンいっぱいでユベントスに別れを告げ、パルマへと移籍。2023年8月に現役引退を発表した。

●FW:アレッサンドロ・デル・ピエロ(元イタリア代表)

生年月日:1974年11月9日
在籍期間:1993年7月~2012年7月
通算成績 :705試合290得点172アシスト
主な獲得タイトル:セリエA(6回)、コッパ・イタリア(1回)、スーペ
コッパ・イタリアーナ(4回)、UEFAチャンピオンズリーグ(1回)、UEFAスーパーカップ(1回)、FIFAクラブワールドカップ(1回)

 ユベントスという世界最高峰のクラブを語る上で、最も重要な選手がいる。それがアレッサンドロ・デル・ピエロだ。在籍19年間で残した705試合290得点172アシストという記録は全てが歴代最多。華麗なテクニックで世界中を魅了したデル・ピエロのプレーは、イタリアの偉大な芸術家 “ピントゥリッキオ“の名を用いて表現された。

 1993年にデビューを飾ったデル・ピエロは、2年目の94/95シーズンにスクデット(セリエA優勝)を獲得。ロベルト・バッジョらが付けた背番号「10」を継承した95/96シーズンには、11試合6得点3アシストの活躍を見せ、ユベントスをチャンピオンズリーグ(CL)初優勝に導いた。この年を含め、ユベントスは3季連続でCL決勝に進出している。自身3度目のスクデットを獲得した97/98シーズンには、公式戦32得点を記録。その年のセリエA最優秀選手賞を受賞した。

 その後も数々のタイトルを獲得したが、05/06シーズンにクラブのスキャンダルが発覚。ユベントスはセリエBに降格となってしまった。しかし、デル・ピエロが出した決断は残留。多くの主力選手が去る中チームに留まり、1年でのセリエA復帰に大きく貢献した。35歳を迎えた09/10シーズン以降は控えに回ることが増えたが、ユベントス最後の年となった11/12シーズンにはセリエA無敗優勝を達成。有終の美を飾り、シーズン終了後に世界中のファンに惜しまれながらの退団となった。

 ユベントス退団後は、オーストラリアのシドニーFC、インドのデリー・ディナモスFC(オディシャFC)でプレーし、2014年に現役引退を決断した。

●MF:パベル・ネドベド(元チェコ代表)

生年月日:1972年8月30日
在籍期間:2001年7月~2009年7月
通算成績 :327試合65得点77アシスト
主な獲得タイトル:セリエA(2回)、スーペルコッパ・イタリアーナ(2回)

 チェコで最も成功した選手の一人、パベル・ネドベドも伝説の英雄と呼べる存在だろう。ラツィオでその名を欧州に轟かせ、2001年にユベントスへ加入すると在籍8年間で通算327試合出場で65得点77アシストを記録している。紛れもないレジェンドだ。

「心臓が2つある」とも言われるほどのスタミナで90分間走り続けるネドベドは、スピード、テクニックを持ち合わせる。高精度のキックによるチャンスメイクやゲームメイク、さらに献身的な守備でチームの支柱となり、1年目からリーグ優勝に大きく貢献した。翌年にはリーグ2連覇を達成すると、チャンピオンズリーグ(CL)では15試合5得点2アシストの活躍を見せ、ユベントスを決勝に導いた。しかし、準決勝で受けたイエローカードにより、ACミランとの決勝戦は出場停止。ピッチに立てぬまま優勝を逃し、涙を飲んだ。

 悲願のCL優勝こそできなかったが、ネドベドはその年にバロンドールを受賞。ユベントスでさらなる成長を遂げたが、2006年には同クラブのスキャンダルによりセリエBへ降格。多くのスター選手が去って行ったが、この男はクラブに留まり、1年でのセリエA復帰に大きく貢献した。その後は怪我にも悩まされたが、36歳を迎えた2008/2009シーズンまで不動の存在として活躍。同シーズン終了後にスパイクを脱いだ。

●MF:ジネディーヌ・ジダン(元フランス代表)

生年月日:1972年6月23日
在籍期間:1996年7月~2001年7月
通算成績 :212試合31得点50アシスト
主な獲得タイトル:セリエA(2回)、スーペルコッパ・イタリアーナ(1回)、 UEFAスーパーカップ(1回)、UEFA欧州選手権(1回)

 1995/96シーズン、ボルドーに所属していたジネディーヌ・ジダンはリーグ戦33試合6得点5アシストを記録。同クラブは16位でシーズンを終えたが、ジダンはその年のリーグ1年間最優秀選手に選出された。そして翌年、フランスが生んだ天才はユベントスへ加入した。

 1年目からスクデット(セリエA優勝)獲得に大きく貢献すると、97/98シーズンには2連覇を達成。見惚れるほどのトラップやテクニックで相手を翻弄し、鋭い戦術眼と正確無比なパスで試合をコントロールするジダンは、その華麗なプレーで世界中のファンを魅了した。その活躍はクラブだけに留まらず、1998年に母国で行われたワールドカップでは、ブラジル代表との決勝戦で2ゴール。フランスを史上初のワールドカップ優勝に導き、その年のバロンドールとFIFA年間最優秀選手賞を受賞した。

 ユベントス加入以降、スター街道を一気に駆け上がったジダンは、瞬く間に世界最高の選手となった。すると、2001年には当時史上最高額となる7750万ユーロ(約109億円)でレアル・マドリードに加入した。在籍した5年間で獲得したタイトルは多くないが、この男が与えたインパクトは計り知れない。現役引退後は監督として多くのタイトルを獲得しているが、再びイタリアの古巣に帰還し、栄冠を掲げる日は来るだろうか。

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