温室効果ガス排出削減の新たな指標「削減貢献量」に企業が注目する理由とは?

NASAが作った温室効果ガス測定器の打ち上げ準備の様子
写真提供:ZUMA Press/共同通信イメージズ

 現代のビジネスにおいて、気候変動を含む環境リスクに対応した「環境経営」が業界問わず注目されている。世界的トレンドであるこうした企業行動は、企業規模、上場・非上場を問わず、今や逃れられない課題と言えよう。本連載では『環境とビジネス──世界で進む「環境経営」を知ろう』(白井さゆり著/岩波新書)から、内容の一部を抜粋・再編集し、気候変動リスクをチャンスに変えるサステナブル経営のあり方について考える。

 第5回では、温室効果ガスの抑制に関して近年注目が集まっている「削減貢献量」の考え方を紹介。実際の排出削減データとの概念的な違いをはじめ、信頼性における課題などについても見ていく。

<連載ラインアップ>
第1回 気候変動対策として、各国はなぜ温室効果ガス排出量「正味ゼロ」を目指すのか?
第2回 世界三大格付け会社が警告、気候変動への対応力が「企業の信用」に直結する理由とは?
第3回 欠かせないのは短期・長期の視点、現代の企業経営に重大な影響を及ぼす3つの気候変動リスクとは?
第4回 企業はなぜ、「バリューチェーン全体」の温室効果ガス排出量に目を配る必要があるのか
■第5回 温室効果ガス排出削減の新たな指標「削減貢献量」に企業が注目する理由とは?(本稿)
第6回 企業の環境経営を促す「カーボンプライシング」、今から検討すべきビジネスモデルの変革とは?

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世界が重視する「科学的根拠」に基づく排出削減目標

 現在、多くの企業は独自に温室効果ガスの排出削減目標を掲げている。しかし、目標設定に用いる基準年や原単位目標で使う単位が異なっているうえに、削減目標がパリ協定目標、とくに世界平均気温上昇を今世紀末までに(工業化前と比べて)「1.5℃に抑制する目標」と整合的なのかが投資家には分かりにくい。

 そこで、企業の信頼性を高める方法として、自社の削減目標についてパリ協定と整合的かどうかの認証を受けることを世界は重視するようになっている。

 とくに、Science Based Targets(SBT)イニシアティブから「科学的根拠に基づいている目標」との認証を受けた企業を評価する投資家が多い。同イニシアティブは、CDP、国連グローバル・コンパクト、世界資源研究所、世界自然保護基金(WWF)が共同で開発したアプローチにもとづき、1.5℃目標と整合的かを認定する。

 企業に目標とカバーする範囲、目標年、基準年を設定してもらい、提出されたデータに基づき、その目標が短期と長期で1.5℃の上昇抑制と整合的な排出削減の道筋に沿っていることを認証している。正味ゼロの設定目標年は、短期(5年未満)、中期(5年から10年、例として2030年まで)、長期(例えば、2050年まで)が考えられる。第1章で説明したカーボンバジェットの考え方に沿って認証している。

 SBTイニシアティブは、企業によるスコープ1、2、3の排出量の削減に加えて、それを超えて社会あるいは世界の排出削減に貢献することを奨励している。カーボンクレジットによって目標を達成することは原則認めていない点に、注意する必要がある。

 カーボンクレジットの購入は、自社の排出のオフセットよりも、バリューチェーンを超えてさらに追加的に排出削減の努力をする行為とみなされている。これを「バリューチェーンを超えた緩和」(Beyond Value Chain Mitigation)と呼んでいる。

デジタル技術と温室効果ガスの測定

 ここ数年の間に、温室効果ガス排出源の測定において、衛星、ドローン、飛行機、陸上の遠隔センサー、モノのインターネット(IoT)、ソーシャルメディア等からのデータを利用し分析することが可能になっている。これらの機器は膨大な量のデータを生成するので、それらを処理し分析するには人工知能(AI)の技術が不可欠である。

 AIは、従来のように詳細なプログラムを明示的に書くのではなく、過去の大量のデータ(例えば、画像・写真、文字、数字)を活用し、データに基づく機械学習アルゴリズムを通じてデータや画像を解析し、シミュレーションを行うことができる。AI技術は常に進化しているため、性能も常に向上している。

 AIや衛星画像を使って大量のデータを分析する能力が大きく向上したことで、CO2やメタン排出の監視能力が飛躍的に向上している。例えば、森林の炭素吸収量を測定することが可能になったことで監視が容易になっている。

 従来は森林の炭素吸収量を測定するには、数年に一度の間隔で専門家を派遣し、森林のサンプル地区を設定して木の幹等を測定し、炭素吸収力を算定していた。これでは時間と費用がかかり、またサンプル地区以外での森林伐採や森林劣化による炭素吸収力の減少部分を測定できないという問題もあった。

 最近では、AI技術を用いてレーダーや衛星画像を活用し、森林や植物に固定されたバイオマス炭素量をリアルタイムで正確かつ低コストで監視ができるようになり、森林の保護や再生の判断に貢献している。

 さらに、カーボンクレジットに関しても、森林再生等の自然ベースのカーボンクレジットの発行において、より高精度なデータと情報を提供することで市場の発展に寄与することが期待されている。

 AI技術や衛星画像等も使うことで、道路上の車両通行量、貨物船・タンカーの航海距離、発電所から放出される水蒸気などたくさんのセクターや活動から、リアルタイム、あるいはほぼリアルタイムに大量のデータを集めて温室効果ガス排出量を計測し、分析・集計することができるようになっている。

 こうした排出量データは、政府や企業が排出量や削減効果を迅速により正確に評価するのに今後大きく役立っていくと考えられている。サプライヤー等を含むスコープ3の排出量や、商品のカーボンフットプリントの算定にも大きく貢献していくであろう。

 また、AI技術は、風力、太陽光、波力エネルギーのように一日の変動が大きい電力の予測についても、気候モデルのコンピューターシミュレーションに利用されている。

 天気予報や風力の予測の精度が向上し発電供給量の予測力が高まれば、需要側の調整を迅速に行うことで需要と供給のミスマッチを減らし円滑に電力供給ができるようになる。また、地熱エネルギーでは、AIを駆使して、貯留、探索、採掘、生産に寄与すると考えられている。

 AIを使って、発電所の施設の補修をいつ頃するのがよいかといった予測にも活用できる。

最近注目が集まる「削減貢献量」とは

 最近話題になっている、「削減貢献量」について紹介しよう。企業がスコープ1、2、3の排出量を削減するには、従来の原材料や設備の調達から生産方法、ユーザーの利用、廃棄までを考慮して全体的に見直しが必要となるため、コスト感が強まりやすい。

 また削減を意識するあまり、新しい投資や経済活動が阻害されるとの懸念も広がっている。

 そこで、削減貢献量として、ある技術を採用したり、投資をすることで回避される予想排出量をもとに企業の貢献度を見ていくべきとの考えが企業の間で支持を得ている。削減貢献量をスコープ4と呼ぶこともあるが、スコープ1、2、3と本質的に異なることを理解しておくべきである。

 スコープ1、2、3の排出量は、実際の大気に排出される温室効果ガス排出量である。こうした排出量データを、企業の基準年と比べてどれだけ減ったのか、正味ゼロ目標と比べてどの程度削減できているのか進展度を示すことが開示の中心となっている。

 下の図は、スコープ1、2、3の排出量の合計が毎年減っていくことを想定した事例を概念図として示している。

 削減貢献量の発想が支持を集めているのは、排出削減につながるような企業のイノベーションをもっと促すことができるとの考え方がある。自社のスコープ1、2、3の排出量に焦点を合わせるあまり、将来的には排出削減につながっても足元で排出量が増えることを恐れて、技術開発や設備投資が進まないことへの懸念がある。

 例えば、電力会社が送電網を新しく設置したとして、当初は化石燃料源の電力が多く排出量が増えてもしだいに再生可能エネルギーの供給が増えていく場合を考えよう。当初はユーザー企業のスコープ2の排出量、電力会社にとってはスコープ3のカテゴリー⑪(販売した製品のユーザーによる使用)の排出量が増える。

 しかし社会全体あるいは長期的に見て電力会社の送電網への投資は大きな貢献をもたらすことになる。そうした将来の削減量の予想も入れて、送電網を新設しないときと比べた削減貢献量の予想を示すことが考えられる。

 あるいは、電気自動車(EV)を製造する企業が、販売が増えて生産が大きく増えたとする。この企業の原材料(例えば、機器や鉱物資源)の調達先で化石燃料を使っているために排出量が多くなることがある。この場合、EVメーカーのスコープ3(上流)の排出量が増える。

 しかし、環境的な観点から見ればEVを普及させることは将来的に大きな貢献になるであろう。また調達先であるサプライヤーの再生可能エネルギーの利用が進めば、しだいにスコープ3の排出量も減っていくと考えられる。

 また、同じEVに使われる蓄電池であっても、これまでのものよりも格段にエネルギー効率が高い製品を企業が開発する事例では、そうした製品が開発されない場合と比べて、社会や世界で温室効果ガスをより多く削減できる。

 この製品が広く普及していけば、それによる貢献量はこの企業のスコープ1、2、3で測られる削減量よりもはるかに大きくなる可能性がある。

 あるいは新型コロナ危機以降に、国際会議や国内外での仕事の打ち合わせはバーチュアルに行うことが多くなっており、出張をしなくても済むことが多い。これにより出張にかかる交通・宿泊等での排出量が減り、同時に時間の節約にもなり、労働生産性の向上に貢献していると考えられる。

 こうした遠隔で行うサービスは、それを提供するサービス会社の温室効果ガス排出量(スコープ1、2、3)の削減自体はごくわずかかもしれないが、社会や世界の排出削減に大きく貢献している可能性がある。こうした貢献はスコープ3で十分把握されていないかも知れない。

 その他の事例として、建築・住宅関係では、排出削減を可能にする冷暖房、断熱材、太陽光パネル等を使った場合は、そうでない旧式の建物よりも削減効果が大きい。

 このように削減貢献量の考え方は、「回避された排出量」を予想・算定するので、スコープ1~3のような実際の排出量と異なることが多い。ある特定のソリューションを使った場合のシナリオとそれを使わなかった場合の仮説的なシナリオ(ベースラインシナリオ)の比較によって貢献量を求めることになる。

 下の図は、特定のソリューションによって今後予想される排出削減の道筋とともに、そのソリューションがない場合に予想される排出削減の道筋を概念的に示したものである。

 左図はソリューションの導入により最初から削減が可能となる事例で、削減貢献量はこの予想削減経路とベースラインとの間の領域になる。右図ではソリューションは当初は排出量を増やすことになるが、中長期的には削減が期待される経路である。

 この場合の削減貢献量は、ソリューションの導入によりベースラインより下回る領域から上回る領域を差し引いた分になり、将来を含めれば全体として削減貢献量はプラスになることを示している。

 削減貢献量は、ベースラインの推計と将来の削減分を予想する場合、企業によって数字が大きく異なる可能性もある。このため削減貢献量については賛否両論がある。ベースラインシナリオの設定によっては、削減貢献量が大きくなり過ぎる可能性もある。

 ベースラインシナリオを緩く設定することで排出効果を実態よりも大きく見せるようなグリーン・ウォッシングを企業に誘発するとの批判がある。ベースラインの設定について十分議論をし、コンセンサスを形成していくことが望ましい。

 ただし、削減貢献量の開示が、スコープ1、2、3の排出量の代替になる可能性は低い。スコープ1、2、3の排出量はISSBの開示基準で最も重要なデータである点に変わりはなく、企業にはまずはこれらの情報開示に力を注ぐことを勧めたい。それらと並行して、補完的情報として削減貢献量の開示が進んでいくと見ておいたほうがよさそうだ。

<連載ラインアップ>
第1回 気候変動対策として、各国はなぜ温室効果ガス排出量「正味ゼロ」を目指すのか?
第2回 世界三大格付け会社が警告、気候変動への対応力が「企業の信用」に直結する理由とは?
第3回 欠かせないのは短期・長期の視点、現代の企業経営に重大な影響を及ぼす3つの気候変動リスクとは?
第4回 企業はなぜ、「バリューチェーン全体」の温室効果ガス排出量に目を配る必要があるのか
■第5回 温室効果ガス排出削減の新たな指標「削減貢献量」に企業が注目する理由とは?(本稿)
第6回 企業の環境経営を促す「カーボンプライシング」、今から検討すべきビジネスモデルの変革とは?

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