ハーバード大学はなぜ、知財ライセンスをスタートアップに与えるのか?

Jorge Salcedo/Shutterstock.com

 イノベーション創出の重要性が叫ばれて久しいが、言葉が独り歩きしている感も否めない。イノベーションの本質とは何なのか。本連載では、『イノベーション全史』(木谷哲夫著/BOW&PARTNERS発行)の一部を抜粋、再編集。京都大学でアントレプレナーシップ教育に当たる木谷哲夫氏が、前史に当たる18世紀、「超」イノベーションが社会を大きく変容させた19世紀後半からの100年、その後の停滞、AIやIoTが劇的な進化を遂げた現在までを振り返り、今後を展望、社会、科学技術、ビジネスの変遷をひもときながらイノベーションの全容に迫る。

 第3回は、米国の大学がイノベーションエコシステムの中核として機能する背景に迫る。
 

<連載ラインアップ>
第1回 なぜグーグルやヤフーは成功し、インフォシークやエキサイトは敗れ去ったのか?
第2回 日本経済低迷の背景にある「資本投入量の減少」は、なぜ起きたのか?
■第3回 ハーバード大学はなぜ、知財ライセンスをスタートアップに与えるのか?(本稿)
第4回 インテル、アップル、TSMC…勝ち組に共通する「たった一人の天才」の破壊力とは?

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スタートアップで巨額の利益を上げる米国大学

イノベーション全史』(BOW BOOKS)

 イノベーションを生むエコシステムの中での大学の機能が重要なことは、数々の研究や著作によって明らかになっています。

 シリコンバレーのエコシステムでスタンフォード大学と並んで大きな役割を有する、U・C・バークレーでは、アクセラレーションプログラムが2012年に設立され、スタートアップを量産し、インキュベーターとしての設備、メンタリング・コーチング、プロトタイピング用ラボなどの機能を持っています。

 アントレプレナーシップ専門の教育組織は2005年に設立され、バークレーメソッドという国際的に認知されている教育アプローチを開発、学部生から社会人までを対象にアントレプレナーシップを教育する18のコースを有しています。

 イノベーション・エコシステムの中核機能を大学が果たすようになったため、アメリカの大学の財務基盤はここ10年ほどで極めて強固なものになりました。研究費の総額は増え続けており、2020年度は830億ドル=約12兆円。大学発スタートアップも研究費の伸びに歩調を合わせて増加し続けています。

 なぜ大学の研究とスタートアップの数が大きく関係するかというと、アメリカで研究成果を大学の所有物とするバイドール法が成立し(1980)、研究成果をライセンス販売することで、大学が大きな利益を得るようになったからです。

 遺伝子組み換えのジェネンティック社の場合、スタンフォード大学だけで230億円のライセンス収入がありました。

 グーグルは創業時資金がなく、ライセンス費用を一部株式で大学に対して支払ったため、株式上場時にスタンフォード大学は400億円の利益を得ています。

 大学の知財のライセンスは、ほとんどベンチャー企業や中小企業向けに供与されています。

 2020年のAUTMのサーベイでは、ライセンス提供先の6割がベンチャー企業を含む小企業や中小企業であり、大企業の割合は2割にすぎません。大企業にライセンスを安値で販売している日本の大学と大きな差があります。

 ハーバード大学の基金の運用を見てみると、年間リターンは33.6%(2021年6月期)あり、期末の基金の残高は532億ドル(約7兆円)となっています。ハーバード大学は、トヨタを除くほとんどの日本企業を余裕で買収できるだけの財務力を持っているのです。

基金1000ドルを1974年に投資した場合、2022年までに170倍に増加。市場(S&P500)を大きく上回る運用パフォーマンス
Source: Source: Harvard Management Company 2022 annual report https://www.hmc.harvard.edu/

 そして、大学の研究を支えるため基金から毎年20億ドル以上(約3000億円)がハーバード大学の運営経費として配分され、それは大学の年間収入全体の3分の1以上を占めています。学生全員を授業料タダにしても余裕で経営できる金額です。

 投資・運用実績は、標準的な株価指数であるS&P500をはるかに超えています。投資先はオルタナティブ資産が中心(約7割)であり、最大の投資先は未上場株式、つまりスタートアップ企業の株式となっています。

 これはハーバード大学だけではありません。ほとんどの有力大学は市場平均を超える高い投資リターンで基金を運用しており、そうした優れた運用パフォーマンスは主にスタートアップに投資することにより達成しているのです。

理系大学院を強化する方法

 多くの人材が理系大学院で博士号を取りたいと思うようになるためには、博士課程が魅力的なキャリアを築ける場にする必要があります。すでにアメリカでは研究開発型スタートアップが基礎研究の一部を担うようになっており、資本市場との連結が可能とする莫大な研究開発資金の獲得のために、スタートアップの役割は日々拡大しています。

 そうしたテクノロジー主導型の会社、ディープテック研究開発型企業の創業者、経営陣、投資家には専門的なバックグラウンドが特に求められており、アメリカではPh.D.が専門的な資質の証明となっています。大学院進学により、自ら会社を興したり、スタートアップへ就職したりといったキャリアの選択肢の幅が広がることが、大学院の魅力の一つになっています。

 このように、アメリカの理系大学院は、多くの人が目指す魅力あるキャリアパスへの入り口となっていますが、残念ながら日本ではそうではありません。

 アメリカの大学院の授業料は非常に高いのですが、ほとんどの院生は給付型の奨学金を受けるか授業料を免除されており、かつ給料をもらって生活しています。給料といっても日本企業の新卒の初任給と同程度で、額は少ないのですが、少なくとも親に依存しないで自立することが可能です。奨学金も授業料免除も、成績が悪いと即停止されるため、極めてシビアな実力主義の競争社会ですが、「経済的に自立できる」ことは大きな魅力です。

 日本の国立大学は授業料が格段に安いのですが、給料がないため自立することができません。生活のためには親から借金をするしかない場合が多いのが現状です。

 経済的な自立の問題に加えて、大学で研究を続けることがキャリアの選択肢の拡大につながる、という考えがないため、優秀な学生が博士課程を志望しない傾向にあります。

 たとえば情報系であれば、博士課程に行かずにグーグルに就職したほうが好きな仕事ができ、経済的に自立できる上に、ダイバーシティのある国際的でエキサイティングな環境に身を置くことができる、となります。

「大学院で研究を続けることがキャリアの選択肢の拡大につながる」という認識が一般化されることが大事であり、それを可能にするのがスタートアップです。アメリカの大学院はシビアな競争社会ですが、関連するスタートアップ企業が数多くあるため、安全弁として機能しています。つまり、いざというときには研究室のメンバーが参加するスタートアップや、教授がアドバイザーを務める外部のスタートアップに就職する、などの選択肢があることが重要です。

大金持ちになった研究者

 アメリカにおいて大学は誰にでも門戸が開かれ、かつ、「お金も稼げる魅力的な場所」です。日本で大学の研究者というと、清く正しく美しく、貧乏とまではいかないものの決して豊かではないというイメージが定着しています。しかしアメリカでは、大金持ちの研究者というのは存在し、それが成功例として積極的に公報されています。

 最近話題になった事例では、ハーバード大学医学部のスプリンガー教授が、コロナのワクチンで有名になったモデルナ(ハーバード大学発のスタートアップ企業)の創業期に投資して、モデルナの上場で4億ドル(約560億円)を得たというニュースがありました。彼の総資産は驚きの19億ドル(Forbesによる推定、日本円で約2600億円)となっています。

 また、モデルナのプロジェクトリーダーのハーバード大学の研究者Dr. Kizzmekia Corbettは若い黒人女性であることも公報されています。

 つまり、「研究者でも大金持ちなれるチャンスがある」こと、「能力さえあれば人種や性別や年齢に関係なく責任ある立場で研究できる」こと、その2点をハーバード大学は積極的に発信しています。それにより、最優秀の人材を世界中から集めることができると考えるからです。

 日本人男性がほぼ100%で人種差別、性差別に甘いイメージがあり、お金儲けは悪という価値観すらある日本の大学では、海外から優秀な研究者は来ません。

 現状はそのように残念な状態ですが、しかし裏を返せば、これまで何も努力もしていないということは、ちゃんと経営努力をすれば将来の伸びしろが大きいということでもあります。これから成功パターンのロールモデルを作っていくことが、世界中から優秀な人材を惹きつけることになるはずです。
 

<連載ラインアップ>
第1回 なぜグーグルやヤフーは成功し、インフォシークやエキサイトは敗れ去ったのか?
第2回 日本経済低迷の背景にある「資本投入量の減少」は、なぜ起きたのか?
■第3回 ハーバード大学はなぜ、知財ライセンスをスタートアップに与えるのか?(本稿)
第4回 インテル、アップル、TSMC…勝ち組に共通する「たった一人の天才」の破壊力とは?

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