今よみがえる伝説の経済学者「宇沢弘文」の思想

世界的な経済学者、宇沢弘文氏が亡くなってちょうど10年になる(写真:尾形文繁)

経済学者の宇沢弘文(1928‐2014)が世を去ってから、今年の9月18日でちょうど10年になる。命日より少し早かったが8月24日、「宇沢弘文没後10年記念シンポジウム」が学習院大学で開催された。主催は宇沢国際学館(代表は宇沢の長女の占部まり氏)で、学習院大学経済学部が共催した。

画期的だったのは、宇沢が提唱した「社会的共通資本の経済学」について、第一線で活躍する経済学者たちがそれぞれの立場から詳細に論じたことだ。宇沢の著書に親しんでいる読者には意外かもしれないが、経済学者が公の場で社会的共通資本を本格的に討議するのは初めての出来事である。

宇沢は、主流派の経済学(新古典派経済学)の理論にもっとも貢献した日本人経済学者である。しかし、それはおもに米国のスタンフォード大学、シカゴ大学で研究していた時期の業績を指している。没後10年に際して岩波書店が、「人間と地球のための経済学—今、宇沢弘文と出会い直す」と銘打ち、『社会的共通資本』や『自動車の社会的費用』(いずれも岩波新書)を推薦しているが、これらのロングセラー作品は日本に帰国してから著したものだ。

敬して遠ざけられた「後期宇沢」

宇沢を語るのが難しいのは、米国時代の「前期宇沢」と、不惑の歳に帰国してからの「後期宇沢」、あたかも宇沢がふたり存在したかのように評価が割れるからである。とくに経済学者は「前期宇沢」を高く評価しながらも、「後期宇沢」を敬して遠ざけてきた。

宇沢の評伝『資本主義と闘った男』(講談社)を著した縁で、私もシンポジウムに企画段階からかかわった。各プログラムとも期待をはるかにうわまわる濃密な内容だった(プログラムは本稿末尾)。なにより重要なのは、死後10年にしてようやく、宇沢の「社会的共通資本」が経済学の研究領野になったということだ。宇沢経済学にあらためて光があてられている背景を、シンポジウムの成果も参考にしながらのべてみたい。

最初のプログラムに登壇した学習院大学の宮川努教授は東大宇沢ゼミ出身で、本邦初となる「社会的共通資本の経済学」講座を今年9月、同大学経済学部に開設したばかりだ(一足先に東京大学、京都大学が「社会的共通資本」を冠する講座を設けているが、両大学ともに「寄付講座」)。

清滝信宏

シンポジウムには「ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人」と言われる清滝信宏プリンストン大学教授も登壇。左は宮川努教授(学習院大学提供)

宮川は、社会的共通資本を計量し、一国の経済パフォーマンスに与える影響を調べる研究を進めている。宮川によれば、宇沢の社会的共通資本理論は、「資本アプローチ」と呼ばれる理論の先駆けとみなすことができる。

国際機関が「包括的な富」をデータ化

資本アプローチの代表が、ケンブリッジ大学のパーサ・ダスグプタ名誉教授がケネス・アローらとの共同研究で提示した「包括的な富(inclusive wealth)」の概念を核とする経済理論だ。現在では、国連などの国際機関が世界各国の「包括的な富」をデータ化して分析するまでになっている(国連環境計画<UNEP>が「包括的な富の報告書」を2012年から数年おきに発表)。 

資本アプローチの目的は、GDP(国内総生産)に代表されるフローの指標で診断するのではなく、生産基盤のもっとも基底にある重要な富のストックの状態を調べることで社会の持続可能性や安定性を評価することにある。とくに、自然を自然資本とみなして分析の中心に据えたことが重要だ。

たとえば、GDPが成長しても、自然資本が棄損され減少しているケースは珍しくない。資本アプローチによって、市場経済あるいは資本主義をGDP統計とは異なる基準で評価できるわけだ(もちろん、自然資本などの計量には課題も多い)。

「包括的な富」は自然資本、人工資本、人的資本で構成される。宇沢の「社会的共通資本」(自然資本、社会資本、制度資本が構成要素)にほぼ対応していることは一目瞭然だろう。ダスグプタは宇沢がケンブリッジ大学で研究していたときの宇沢の教え子でもあり、また、アローは宇沢を米国に招いた宇沢の恩師だ。宇沢理論とダスグプタらの理論がともに「資本アプローチ」で新たな経済学を切り拓いたのは偶然ではない。

ふりかえれば、宇沢は米国の経済学界で1、2を争う理論家として評価されているさなか、唐突に米国を去った。ベトナム戦争に異を唱えての帰国だった。そんな宇沢が日本で最初に取り組んだのが、水俣病や四日市喘息など4大公害病に象徴される公害問題である。

早すぎたがゆえ、受け入れられず

『自動車の社会的費用』を出版して世論を動かしたのが1974年で、この時期に社会的共通資本理論の骨格も整った。半世紀も前から、「資本アプローチ」を実践していたことになる。しかし早すぎたがゆえ、その考えが経済学者に広く受け入れられることもなかった。

経済学の環境問題への取り組みは、東西冷戦の終焉と歩調をあわせ変化した。大きな契機が1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議だ。「地球サミット」と呼ばれたこの会議で気候変動枠組み条約、生物多様性条約への署名が行われ、グローバルな環境問題が地球的課題として認定された。

宇沢は1980年代末から地球温暖化問題にも取り組んでいた。公害問題では孤独なランナーにすぎなかったけれども、グローバルな環境問題が理論経済学者の課題として浮上すると、すぐさま先頭集団への合流を果たした。その証拠を示す一枚の写真がある。1993年にスウェーデンのベイエ研究所で撮影された集合写真だ。

宇沢がアローやダスグプタらとともに写真に収まっている。そこには、2009年に女性として初めてノーベル経済学賞を受賞することになる、コモンズ研究で知られる政治学者エリノア・オストロムも映っている。環境問題に取り組む理論家とコモンズ研究者が一堂に会した重要な会議だった(宇沢のコモンズへの関心については、シンポジウムの「21世紀のコモンズ論」で三俣学教授と茂木愛一郎氏が詳細に論じた)。

米国時代に取り組んだ理論が威力を発揮

人体に被害を与える公害の問題では、企業への直接的な規制が重要だった。一方、グローバルな環境問題は性質が異なり、炭素税のように市場の原理を利用しながら企業活動を誘導する仕組みが欠かせない。「世代間の公平」が中心的な課題で、宇沢が米国時代に取り組んだ最適成長理論などが威力を発揮することになった。

実際、地球温暖化対策として早くも1990年に、一人当たり国民所得に比例する比例的炭素税と、大気安定化のための国際基金の創設を宇沢は提唱していた。「前期宇沢」と「後期宇沢」のあいだに橋が架かったのである。

社会的共通資本理論の特徴は、ダスグプタの理論などと比べても「強い持続可能性」を求めていることだ。宇沢の原点が、水俣病などの深刻な公害にあったことが関係している。公害研究では宇沢の同志で、環境経済学者の草分けである宮本憲一は述べている。「環境を経済学の中にすべて包摂できるものでなく、反対に、もし環境学が創造されるとすれば、経済はその中に内包されるものであろう」(『環境経済学』岩波書店)。

宇沢が構築しようとしたのは環境学であり、それは21世紀の経済学が進むべき方向を指し示していた。環境学の目的は、環境だけを大事にすることではない。「ゆたかな社会」について、宇沢が説いている。

「すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズムの理想が実現される社会である」。

「ゆたかな社会」を実現するために、社会的共通資本を中心とした制度主義の考え方を、宇沢は提唱したのだった。

「宇沢弘文没後10年シンポジウム」(2024年8月24日開催)のプログラム

① 「社会的共通資本理論の再検討」
浅子和美(一橋大学名誉教授)×宮川努(学習院大学教授)
② 「宇沢弘文の数学」
安田洋祐(大阪大学教授)×小島寛之(帝京大学特任教授)
③ 「『定常型社会』と『資本主義の新しい形』」
広井良典(京都大学教授)×諸富徹(京都大学教授)×松下和夫(京都大学名誉教授)
④ 「21世紀のコモンズ論」
三俣学(同志社大学教授)×茂木愛一郎(元日本開発銀行)
⑤ 「宇沢弘文追悼ビデオメッセージ」の上映
(2014年11月の「お別れ会」で上映された映像。出演はケネス・アロー、ロバート・ソロー、ジョセフ・スティグリッツ、ジョージ・アカロフ)
⑥ 「宇沢弘文とマクロ経済学」
清滝信宏(プリンストン大学教授)

(佐々木 実 : ジャーナリスト)

ジャンルで探す