「両利きの経営」って何?今さら聞けない"超基本"
イノベーションの基本理論が「両利きの経営」
言うまでもなく、イノベーション創出は、日本企業だけでなく、世界中の企業の課題となっている。
イノベーションとは技術的なものだけではない。「企業が新しく世の中に価値を生み出す」ことは、なんでもイノベーションと捉えていただきたい。
日本が平成の「失われた30年」を経験した最大の理由は、日本企業にイノベーション創出力が足りなかったからだと私は考えている。
1990年代のバブル崩壊を経て多くの企業が縮小均衡に陥り、それまで現場改善を中心とした「日本型経営」の強みとされてきたものが、大胆なイノベーションが必要な時代にむしろ足かせとなったのだ。
イノベーションの重要性は、今後さらに加速する。これからの変化の激しい時代は、絶えずイノベーションを起こす企業でないと生き延びられない。逆にいえば、イノベーションを絶えず起こせる企業には、明るい未来が待っている。
とはいえ、それは容易ではない。
だからこそ、多くの日本の経営者・ビジネスパーソンから、イノベーション創出に最大の注目が集まっているのだ。
世界の経営学で、イノベーション創出のメカニズムを説明する最も有名な理論が「知の探索・知の深化の理論」で、日本では「両利きの経営」の名称で知られている(ちなみにこの命名者は、私である)。
知の探索・知の深化の理論(両利きの経営理論)
1980年代頃から、認知心理学を重視する経営学者たちから提示されてきた理論で、代表的な研究者は、スタンフォード大学教授のジェームズ・マーチなどである。
イノベーションの原点は言うまでもなく、新しい知・アイデアを生み出すことだ。
新しいアイデアがなければ、新しいことはできない。
では新しい知・アイデアは、どうすれば生み出せるのか?
これについて、「イノベーションの父」と呼ばれた経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、90年ほど前に「新結合(ニューコンビネーション)」という概念を提唱した。
この考えによると、「『新しい知』とは常に『既存の知』と『別の既存の知』の『新しい組み合わせ』で生まれる」のだ。
これは言われてみれば、当たり前といえる。
「人間の認知の狭さ」が障壁になる
人間はゼロからは何も生み出せない。みなさんも何か新しいことを思いついたときは、この世にすでにある、しかしまだ組み合わされていない何かと何かを組み合わせているのだ。
たとえば「この素材の開発は止まっていたが、今度はこういう製品アイデアと組み合わせてみよう」「この企画は前はうまくいかなかったが、今度はこういうお客さんと組み合わせてはどうだろうか」といった感じである。
ここで障壁になるのが、人間の認知が狭いことだ。
現実世界はとても広いが、人・組織は認知に限界があるので、どうしても「目の前にあるもの」だけを組み合わせる傾向がある。
結果、しばらくすると、目の前の知と知の組み合わせが尽きてしまうのだ。
したがってイノベーションを起こすには、自分の認知の限界を超えて、遠く幅広いところまで見渡す必要がある。
遠くにあるいままで触れてこなかった知と、いま自分が持っている知などを、新しく組み合わせるのだ。
このように人・組織の認知を遠くへ広げ、離れた知と知を組み合わせる行為を、経営学では「exploration」と呼ぶ。私は「知の探索」と名付けている。
一方、企業は収益を上げる必要がある。
そのためには「探索」をして新しく組み合わせて、うまくいきそうな知・アイデアがあるなら、それを効率化し、深掘りし、安定化させて収益を上げなければならない。
これを経営学では「exploitation」と呼び、私は「知の深化」と名付けている。
「両利きの経営」はイノベーションの最重要理論
このように企業がイノベーションを起こしていくには、両面が重要なのだ。
まず「知の探索」で遠くの離れた知と知を組み合わせる。
他方、「探索」の結果うまくいきそうなものが出てきたら、徹底して深掘りして効率化する(「知の深化」)。
経営学ではこの両方をバランスよく行うことを「ambidexterity」と呼ぶ。私は「両利きの経営」という訳語をあてた。
いまや、この「両利きの経営」という言葉は、日本企業にかなり浸透している。多くの大手企業の経営会議で、この言葉が頻繁に使われているようだ。
この「両利きの経営」という訳語を作ったのは私だが、考え方そのものは私のオリジナルではなく、世界のイノベーション研究で長年、最重要視されてきた理論なのである。
(入山 章栄 : 早稲田大学ビジネススクール教授)
09/18 09:30
東洋経済オンライン