チョーヤ「創業家が自ら営業」した海外事業の今

1945年頃のチョーヤ梅酒の醸造場

1945年頃のチョーヤの醸造場。中小企業ならではの機動力を活かして、創業家自らどぶ板営業を敢行。国内外に販路を地道に広げてきた(写真:チョーヤ梅酒提供)

若者の“酒離れ”が進み酒販業界がシュリンクするなかでも、一定の出荷量を守り、梅酒の店頭シェア率でトップを独走するチョーヤ梅酒(以下、チョーヤ)。海外でも90カ国以上で愛され、さらに拡大を続けている。

この躍進の陰には、創業家が自ら取り組んできた地道な営業活動があることをご存じだろうか? 前編、中編に続き、最後となる後編では、はじまりの物語からチョーヤの強さの秘密を探る。

1本でも2本でも、求められたら出向いた

梅酒の国内シェアNo.1、世界90カ国以上に展開するチョーヤ梅酒。現在は卸売会社を通じて小売店に卸しているが、かつては小売店1店1店に足を運び営業を行っていた。

「1本でも2本でも、購入してくださるという小売店があれば出向いていました」と語るのは、同社専務の金銅俊二氏だ。それが積もり積もって、過去には、300~400軒の卸売会社と取引をしていたこともあるそうだ。

【画像10枚】「そもそも梅が知られていない」…。日本よりはるかに厳しい海外市場を、チョーヤでは「創業家」が自ら営業して開拓してきた

海外事業も同じで、購入したいという国があれば出向く営業スタイルを貫く。効率とは無縁のため長年赤字続きで、黒字に転換したのはここ10年のことだそうだ。だが、その赤字は社内的に「やむなし」と看過されてきた。いったいなぜなのか。理由は、世界で梅酒を売ることは、創業者・金銅住太郎氏から代々受け継ぐ夢だからだ。

金銅住太郎氏

チョーヤ梅酒の創業者・金銅住太郎氏(写真:チョーヤ梅酒提供)

それと同時に、「古来健康のために食されてきた梅の文化を継承し、世界へ発信すること」というチョーヤの企業理念でもある。「ただ売る」のではなく「夢を追う」そして「文化を広める」ことに重きが置かれているのだ。

日本特有の文化を世界へ伝えたい

チョーヤの歴史は1914年、金銅住太郎氏が大阪・駒ヶ谷村(現・羽曳野市)でブドウを栽培、その後ワインの醸造と販売をはじめたのがはじまりだ。

しかしある時、住太郎氏は向学のために訪れたヨーロッパで、海外のワインの質の良さを知る。そして、「いずれ輸入が自由化されたら国内市場が占領される」と危機感をつのらせたそうだ。

ワインの醸造と販売を行なっていた社屋

ワインの醸造と販売を行っていた社屋(写真:チョーヤ梅酒提供)

その危機感はやがて、「海外生まれではなく、日本特有の文化や伝統を醸成させ、ゆくゆくは世界へ伝えたい」という夢に変わった。そうして出会ったのが梅酒だ。

1959年に製造・販売がはじめた当初は、周囲から、「田舎のワイン屋が何を」「不可能だ」と馬鹿にされたそうだが、金銅一族は文字通り梅酒を背負って海外へ売り歩いてきた。当初は、各国の空港の免税店に並べ、知名度を高める戦術から。「日系人だけでなく、地元の人に飲んでもらうプロモーションをしよう」が合言葉だった。

プロモーション先は、憧れだったヨーロッパやアメリカ。しかし、欧米ではワインやブランデー、スコッチなどを伝統的に飲み続ける気風があり、そもそも梅という果実がない。説明は容易ではなかった。

海外に出荷しているチョーヤ梅酒のボトル

海外に出荷しているチョーヤ梅酒のボトル(写真:チョーヤ梅酒提供)

「輸入先によっては、日本の国税局と保健所、大阪商工会議所に出向き、『日本で伝統的に食べられている果物を使ったお酒です』と書いた書類にサインをもらったこともあります」と金銅氏は苦笑する。そして、そこまでしてもヨーロッパでの売り上げボリュームは大きく伸びなかった。

一方で、アジアの国々でプロモーションをはじめると、ここ数十年の間に経済発展を遂げたこともあり、じわじわとシェアが伸びていった。これらの国々では、梅という果実や漢字になじみがあったからだ。なかでも、台湾、香港、タイ、シンガポールで好まれ、現在の輸出先の中心となっている。

この海外への地道な営業活動は現在も続いており、金銅氏の兄で現社長の金銅重弘氏は、今でも海外で梅酒をセールスしているという。

展示会

海外の展示会にも積極的に出展している(写真:チョーヤ梅酒提供)

国内ニーズは2極化。どちらにも応える商品展開を

一方、国内市場はどうなっているのだろうか。チョーヤの2023年12月期の決算での総売上高は139億円を上げているが、それを支える梅酒へのニーズは今、大きく2極化しているという。濃厚な熟成梅酒を求める層と、アルコール感の薄い梅酒を好む層だ。

特に20~30代の若年層では、「お酒は飲みたいけど、酔いたくはない」「もうアルコールを飲まなくていい」という人も増え、この潮流が従来の14%から10%にアルコール度数を落とした『さらりとした梅酒』や、ノンアルコールの『酔わないウメッシュ』などのヒットを生んだ。

『さらりとした梅酒』と『酔わないウメッシュ』

「酔いたくない」若年層にヒットした、従来の梅酒よりも低アルコールの『さらりとした梅酒』と、ノンアルコールの『酔わないウメッシュ』(写真:チョーヤ梅酒提供)

他方で、昨今のウィスキーブームを受けて、度数が高く味わい深い酒を好む中年層も増えている。そのため売り上げは、もともと同社が展開していた、度数が高く濃厚に熟成した味わいを楽しむ『The CHOYA』と『さらりとした梅酒』が2本柱に。そこに加えてノンアルコールの『酔わないウメッシュ』が入り、今は3本柱という状況だ。

人々のライフスタイルが変わると、当然消費者ニーズも変わる。商品は梅酒ひとすじの同社だが、そこに合わせた商品開発をしているからこそ、成長を続けていられるのだろう。

『The CHOYA』シリーズ

濃厚な熟成梅酒を求める層に人気の高い『The CHOYA』シリーズ(写真:チョーヤ梅酒提供)

ちなみに、『酔わないウメッシュ』が人気の理由は、異なる梅の果汁と砂糖、種の成分をブレンドすることで、熟成香のある本格梅酒に近い味わいを出していることにある。

発酵・熟成させることなく、さらに食品添加物を使用せずにこのような味わいをつくれるのは、チョーヤが培ってきた技術力があってこそだ。ただその分、発酵・熟成するよりも工程が多くなってしまうそうで、値段が高くなってしまうことが課題ではある。

味のぶれは「避けてはいけない」課題

ここまで、チョーヤのさまざまな工夫や営業努力を見てきた。だが最大の強みを挙げるとするならば、飲み物である以上、やはり味わいになるのではないだろうか。中編で紹介したが、チョーヤ梅酒では酸味料・香料・着色料を使用せず、昔ながらの製法を守っている。「焼酎35度1.8Lに対し、梅1kg、砂糖1kg」が基本のシンプルな製法だ。

漬け込まれた梅酒

梅酒は昔ながらのシンプルな製法でつくられている(写真:チョーヤ梅酒提供)

だが、シンプルだからこそ味を均一化するのは至難の業。たとえ同じブランドあっても、飲み比べると、製造ごとに味はかなり異なるという。しかし、これはなにもネガティブなことではない。天然の梅だからこそ、品種、熟度、産地が違えば、味は違って当たり前。完璧に同じにはならないのだ。食品添加物を使って同じにすることのほうが不自然である。これが、同社が、「味については90点以下のものをつくらない」ことを目指すゆえんだ。

ただもちろん、なるべく均一に近づける努力はしている。まず、梅をタンクに漬け込む際には、あらかじめ酸の量や果肉の具合を確認し、予測の味を決めておく。それと合っているかを、酸度などの「数値計測」と、人による「官能検査」の両方で確認。その結果をもって、ブランドごとに、3~4種類の原酒を使ってブレンド割合を決めていくそうだ。

検査

漬け込みをした後、各工程で検査が行われる(写真:チョーヤ梅酒提供)

そして、このブレンド技術こそがチョーヤ最大のストロングポイントだと金銅氏は言う。

「ワインであればビンテージという考え方がありますよね。『どこの地域の何年もの』など、プレミアを付けて売られています。残念ながら梅酒はそうはできませんが、天然ものだからこそ味のぶれは避けてはいけない、酸味料や香料、着色料に逃げてはいけない課題だと思っています」(金銅氏)

ちなみに創業から今まで、まれに「味が違う」などの指摘を受けることもあったが、チョーヤ梅酒の特徴を説明し、納得してもらっているそうだ。

利益をよりもミッションと夢を追求

梅酒は1700年頃、江戸時代に生まれた飲み物で、当時の食について記された本草書『本朝食鑑』にもレシピが残っている。当時は日本酒の古酒を使用していたが、時代と共に蒸留酒に変わり、数百年の時を越え愛されてきた。

「弊社のミッションは梅酒の文化を世界に発信し、後世に伝えることです」。金銅氏が取材中、何度も言った言葉だ。そして最後も、「利益をよりもミッションと夢を追求する。その気持ちを残しながら、梅酒をつくり続けていきたい」と締めくくった。

チョーヤ梅酒の在り方はすぐに真似できるものではない。そして、決してスマートではなく、泥臭い。だが、これも日本ならではの企業文化として、後世に受け継いでいくべきものではないだろうか。

『本朝食鑑』

元禄10年(1697年)発刊された本草書『本朝食鑑』に残る梅酒のレシピ。右の写真の、右から3番目に「梅酒」の記載がある(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ)

(笹間 聖子 : フリーライター・編集者)

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