大量閉店「ヴィレヴァン」経営が犯した最大の失敗

ヴィレッジ・ヴァンガード

不調が続く「遊べる本屋」ヴィレヴァン。その凋落からは、ビジネスパーソンが学べることはとても多い(筆者撮影)

筆者はチェーンストア研究家を名乗っていて、仕事上、マーケティングやビジネスに関する本を読むことが多い。

よく実務家から言われるのが、「結局、本は理論にすぎないよね、実践は現場でしかわからないですよ」という声。確かにそれも一理ある。しかし、書籍もあなどれない。うまくいっているチェーンほど、理論的にも「正しい」と言える経営をしていることが多いからだ。逆も然り。うまくいっていないチェーンは、理論から逸脱している場合が多い。

そう考えたときふと思い浮かぶのが、「遊べる本屋」としておなじみのヴィレッジヴァンガードのことだ。マーケティング理論に照らし合わせて、「ヴィレヴァン」は何を失敗してしまったのか。

【画像】売り上げは右肩下がり、店舗数も減り続けているヴィレヴァン

右肩下がりで大赤字のヴィレヴァン

筆者は今年、ヴィレヴァンについて多くの記事を書いている。その業績不振が顕著になってきたからだ。2024年5月期の決算をみると、売上高は約247.9億円で、前期の約252.8億円から約2%の減少。営業利益は9.15億円の赤字で、11.4億円もの最終赤字となっている。

不調は、店舗数にも現れている。一時期、ヴィレヴァンは全国に400店舗ほどを展開するまでになった。しかし、現在ではそこから100店舗ほどが閉鎖。2024年5月期こそ、店舗数は純増1となったが、それ以前の3年間はそれぞれ9、16、11店舗の減少。

このまま赤字が続けば、スピンオフショップを含めても、300店舗を割り込みそうな状況になっている。

VVの総店舗数

(編集部作成)

以前、東洋経済オンラインの記事で、筆者は「ヴィレッジヴァンガード全店巡る人」(ヴィレ全)さんにインタビューしたことがある。彼は、ヴィレッジヴァンガード約300店舗すべて巡ることを目指しながら、それぞれの店の特徴や面白いPOPなどをSNSで紹介している。彼が語る不振の原因は、大きく分けて2つ。

(1)ショッピングモールなどへの出店を進めたことによって、「ヴィレヴァンらしさ」が普通のものになってしまった
(2)人材教育が十分にされなかったことで、ヴィレヴァンを支える店員にサブカルの知識が薄く、普通の売り場しか作れなくなってしまった

ここで、マーケティングの観点から見てみよう。ヴィレ全さんが挙げた①ショッピングモールへの出店と、②人材育成の失敗は、やはり、明らかに「失敗だった」と言えそうなのだ。

ヴィレヴァンの「ベネフィット」は?

よく知られるマーケティングの入門書に『ドリルを売るには穴を売れ』がある。タイトル通り、「ドリル」を売りたいときには、ドリルだけに注目するのではなく、そのドリルが開ける「穴」という「効果」に注目すべきだと言う。つまり、ある「モノ」を売るときには、その「モノ」が果たす「効果」がどれだけ人々に刺さるか、それを考えたほうがいいというのだ。

同書は、この「効果」のことを「ベネフィット」と呼び、ベネフィットを起点としてマーケティングを考える重要性が書かれている。

これをヴィレヴァンに適用してみよう。ヴィレヴァンの「ベネフィット」とはなにか。ヴィレヴァンが本当の意味で売っている(いた)ものは、「他の人とは違うセンス」なのではないか、と筆者は考える(というか、多くの人がそう考えるだろう)。

ある意味では、目に見えない「イメージ」を売っているともいえる。ヴィレヴァンに売っているマニアックな本やら、役に立つのかわからない雑貨などを買うとき、人は、「それを買う『他人とは違うセンスのいい自分』」を買っている。

ヴィレヴァン創業者の菊地敬一は、この「センス」を自著の中で繰り返し述べている。例えば、こんな感じだ。

「本というのは特別な消費財なんだ。まず、本を売ることに矜持を持とう。コンビニで本を買うようなセンスの悪い奴は相手にするな」(菊地敬一『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』、p.50)

これ以外にも社員における「センス」の重要性など、菊地はとにかく「センス」という言葉を多く用いているのだ。そこで重視された「センス」は、確かにヴィレヴァンに通う顧客たちを刺激しただろう。人とはちょっと違う、というところが魅力になったのである。

ヴィレヴァンにおいては、そこで売っているものよりも、「そこに何かを買いに行く」という行動が、顧客にとっての一つの魅力になっているといえるのだ。

「センスを売る」ことの難しさ

しかし、この「センス」がベネフィット、というのは、実は諸刃の剣である。

というのも、「センス」自体、言語化しづらいし、それを伝えていくことが難しいからだ。

菊地は「センス」について次のように述べている。

本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる(永江朗『菊地君の本屋』、p.112)

ある本を売るとして、その隣に何を置き、どのようにしてその本を演出していくか。その能力こそがセンスだというのだ。しかし、では実際にどんなものを置けばいいのか、それはなかなか言語化が難しいし、実際菊地の本を読んでいても、「わかるようで、わからない……」というのが正直なところでもある。とてつもなく継承するのが難しい能力なのだ。

初期のヴィレヴァンはそれでもよかっただろう。初期のヴィレヴァンで働いていた正社員について菊地は「ヴィレッジヴァンガードが好きで来てくれていたので一番大事な『センス』をある程度持ち合わせてくれているので助かる」と書いている。ヴィレヴァン好きがそこに集まり、しかも人数も少なければそれだけ菊地の言う「センス」を肌で感じることができたのだ。

しかし、ヴィレ全さんのインタビューで述べられていた通り、近年では社員教育がなかなかうまく進まないこともあって、この「本の隣に何を置くか」という「センス能力」が著しく低下してしまった。

そして、それに拍車をかけたのが、ヴィレヴァンの多店舗化だ。ショッピングモールを中心として出店が進んでいくなか、菊地が当初言っていたような意味での「センス」がなかなか理解されなくなっていく。

しかも、店舗が増えれば「他の人とちょっと違うことをする」感じがなくなってしまう。ありとあらゆる面で、ヴィレヴァンはベネフィットを失っていったのである。

こうした「理念」をどのように継承していくのかは、とても難しい問題だ。これを考えるときに参考になるのが、世界最大のコーヒーチェーン「スターバックス」である。

スタバは、家庭でも職場でもない第三の場所「サードプレイス」を提供する、といった理念のもとで経営戦略を進めている。よく言われる話だが、スタバを利用する人の多くは、「コーヒー」という具体的な商品を求めてそこに来ているのではない。むしろ、その「サードプレイス」が喚起する空間や、「そこにいる私たち」というような特権意識を刺激されるからこそ、そこに行くのだ。まさにスタバのベネフィットは「サードプレイス」ということになる。その点でヴィレヴァンと同じように「スタバ」という「イメージ」を売っているともいえる。

とはいえ、この理念もまた、曖昧だ。「サードプレイス」は目に見えない概念だし、しかも元々の「サードプレイス」という意味からも少しズレている。スタバ(というよりも、その実質的な創業者であるハワード・シュルツ)オリジナルの概念だからだ。

だから、スタバもまた常に危ない状態にあるといってよい。特にヴィレヴァンよりもはるかに店舗数は多く、全世界にまたがっている。常に「理念」は崩れる可能性がある。

あのスタバにもピンチがあった

実際、スタバのこれまでの歩みも決して盤石ではなかった。例えば、2008年にスタバは初の赤字決算を計上し、経営危機に陥った。店舗が拡大するにつれて、「サードプレイス」的な空間がなくなっていき、単純にコーヒーを飲む場所になってしまっていたからだ。マクドナルドが安売りコーヒーを仕掛けると、すぐにそちらに客が流れてしまった。まさに、スタバのベネフィットが失われていったのだ。

このとき、ハワード・シュルツはCEOの座から降りていたが、これを機に復帰。彼が行ったのは、全米のすべての店舗を一時的に閉店し、社員や従業員への教育をやり直すことだった。もう一度、スタバの持つ「ベネフィット」を、働く人たちに共有し直したのである。

スターバックス

日本でも店舗数を順調に増やし続けているスタバだが、実はアメリカでは、経営危機もあった(筆者撮影)

これはもう何年も前のアメリカの話だが、スタバがこのような教育に力を入れているのは、現在でも続いている。アルバイトには80時間もの研修を行い、徹底したスタバの「理念」を入れ込む。「理念」自体がベネフィットになっている会社にとって、従業員教育をどのようにするのかは、大きな問題だとわかる事例だろう。

その点、ヴィレヴァンにおいて、適切な従業員教育がなされなかったのは、致命的なことだったのだとも思えてくるのだ。

ヴィレヴァンは「イメージ」を売っていた

ヴィレヴァンを「ベネフィット」という点から見ていくと、その経営不振の原因も、わりとクリアに見えてくる。

ドンキにはなぜペンギンがいるのか (集英社新書)

ヴィレヴァンは「センスがいい」という「イメージ」を売る店であり、その目に見えない概念を売るためには、社員にそのイメージが共有されている必要がある。しかし、それが途絶えてしまった現在(ヴィレヴァンは社員登用のハードルが高く、アルバイトでありながら、職責の大きな店長として働く人が多く存在してきた)、ヴィレヴァンは当初のような「ベネフィット」を人々に与えることができなくなってしまったのだ。

また、ヴィレヴァンの場合はセンスを養ううえで、「仕入れ」が重要な要素になってくる。かつては各店舗で行っていた仕入れが、コロナ禍で本部一括になった……というのは最近語られ出していることだが、その間に従業員の入れ替わりは進んでいる。

また最近では、各店舗での仕入れは復活しつつあるというが、取材をしていると「たしかに仕入れはできるが、売り切らないと、翌月の予算を下げられてしまう」という話も聞く。「それじゃあ誰もリスクを取らないよ」という感じだし、確実に売れるものを置こうとするだろう。結果、店舗の「金太郎飴」化は進んでしまう……。

「ドン・キホーテ」を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングスは、現場主導の店作りをしてきたことで知られる企業だが、その理念は主権在民ならぬ「主権在現」(主権は現場にある)という4文字で表現されている。その結果、その立地や、地域に合わせた業態を多く生み出した。

例えばシンガポールでは、日本に全振りした「ジャパンブランド・スペシャリティストア」なるコンセプトを押し出し、現地では高価な日本の食を、手頃な価格で販売している。輸入だと高いので、現地にある日系企業の食品工場と手を組んで作ってしまう……という大胆な発想の転換があるのだが、これも消費者と接している現場を尊重するからこそ、見えた勝機だろう。

自社が、消費者に提供しているものは何なのか? ヴィレヴァンの凋落は、多くの人に「顧客視点」や「マーケティング」、「(本当の意味での)権限委譲」の大切さを教えてくれるのだ。

【2024年9月12日23時30分追記】初出時より記事の一部を修正しました。

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)

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