ヨーカドーが「第2のライフ」には多分なれない訳

イトーヨーカドー

大量閉店が話題となっているイトーヨーカドー。目指す姿はさながら「ライフ」のようですが、かなり前途多難な道のりになりそうです(筆者撮影)

「ライフ」化を目指すイトーヨーカドー

8月末、GMS大手のイトーヨーカドーが、閉鎖するとしていた33店舗が判明した。これによって店舗数は93店舗になり、100店舗を切ることになる。閉店する店舗については、SNSなどでも話題で、「悲しい」「どうして」といった声が漏れ聞こえてくる。

ヨーカドーは近年の業績不調に伴い、抜本的な構造改革を示している。撤退を表明したはずの衣料品で、アパレル大手・アダストリアを交えた再挑戦が進んでいるなど、すでにそれなりの揺らぎが出てきているので表現が難しいが、現状の方向では、①祖業である「衣料品」の縮小と「食」への注力、②首都圏への店舗の絞り込み、の2点が主要なポイントだ。

今回の33店舗閉鎖は、こうした取り組みの一つだが、この構造改革案は、同じくスーパーマーケットとして知られる「ライフ」の方向と似ている。端的に言って「ライフ化」なのだ。

ライフは首都圏を中心とした都市部周辺に出店を絞り、ショッピングモール等に影響を受けにくい「食」に注力している。店舗によっては、サテライトキッチンを用意しているところもあり、出来立てのお弁当を買うこともできる。

また、農家に実際に出向いて新鮮な野菜を揃える取り組みも行っている。スーパーマーケットが陥りがちな「安売り競争」に乗らず、商品にこだわることで、業界の中でも独特のポジションを獲得している。

【画像17枚】「33店舗が閉店」「遂に100店舗を割る」イトーヨーカドー、閑散とした店内の悲しすぎる光景

では、ヨーカドーの「ライフ化」は成功するだろうか。端的に言って、とても厳しいのではないかと筆者は考える。

ライフが優れているのは、単に「都心と食に特化」しているからではない。その底流には、「消費者のほうを向く」姿勢がある。ライフがこのように食に特化するようになったのは、あくまで「結果論」だからだ。

食品スーパーの「ライフ」。競合たちが衰退していくなか、敏腕社長のもとで改革に成功して、増収を続けている(撮影:今井康一)

ライフでは店舗ごとにターゲット層を定め、それに合うような店舗レイアウトや戦略を立てている。

例えば、池袋三丁目店では、近辺に単身者が多いことから、入り口近くに惣菜コーナーを設置し、野菜も小分けにしたものを多く置いている。そこにいる「消費者」ありきで品揃えなり、売り方を決めているのだ。だからこそ、郊外のショッピングモールでさまざまなものが手に入る時代において、あくまでも日常的な購入頻度の高い「食」を追求する戦略になったのだろう。

では、ヨーカドーにこうした「消費者ありき」の発想があるかというと、疑問符が浮かぶ。

以前私は、東京23区にあるヨーカドー全店をめぐり、実際の店舗の様子をレポートしたことがある。そこで目にした光景は、ヨーカドーの「消費者不在」あるいは「現場不在」とも見える店舗づくりだった。

関連記事:イトーヨーカドー、23区全店訪れて見えた"厳しさ" 消費者理解の欠如に、ちぐはぐな改善策も…

例えば、現在ヨーカドーではDX化の名の下に、セルフレジの導入を進めているが、その顧客層の多くはシニア層。セルフレジへの忌避感があるのか、少ない有人レジに並び、大行列ができているさまが見られた。

また、一部店舗では、店内レイアウトの改革が進められており、ジャンルごとに商品を分類する棚から「家事をする」「毎日をサポートする」「身なりを整える」というように、機能で商品が分類されている。

しかし、「家事をする」の棚を見ると、時計やライト、マウスなどがあり、正直「家事をする」という棚から、こうした商品を見つけるのは難しい。生活の場面ごとに商品を提案する売り方は、近年の小売りでは主流の一つだろうが、結果的にそれが消費者のメリットにつながっていないことが見受けられたのだ。

陥りがちな「内側の論理」のワナ

ライフがするりとやっている「消費者を見る」ことは、ヨーカドーの例を踏まえても、意外と難しいのかもしれない。

イトーヨーカドー

イトーヨーカドーの某店舗にて。大きな店内だが、大きすぎてスペースが余っており、寂しさを感じさせる店内(筆者撮影)

実はこうした点は、決してヨーカドーだけの問題ではない。小売業全体の問題でもある。『誰がアパレルを殺すのか』(杉原淳一・染原睦美、日経BP)では、かつて「作れば売れる」ものだったアパレル業界において、その成功体験から抜け出すことができず、消費者のニーズを見ることなく目先の利益に縛られて自滅していくアパレル業界のありさまがリアルに描かれている。業界内部の「内側の論理」だけで動いているのが、アパレル業界だというわけだ。

ヨーカドーも似たところがある。

かつて、アパレルがなんでも作れば売れたように、GMSでは「モノがあれば、売れた」。高度成長期の名残を残しつつ、内需が拡大し続ける時代、多種多様なモノがあることそのものが、一つの強みになったのだ。

しかし、郊外において大型量販店が多数出店したことや、ECの発達により、「モノが手に入る」ことはそれほどの価値ではなくなった。そうではなく、どれほど消費者個々人に深く「刺さる」かが、その店の価値を決定するようになる。これはヨーカドーだけでなく、GMS全体に対して「なんでもあるが、欲しいモノがない」と言われることに象徴されるように、ただモノがあるだけで、それが顧客の興味を引かなくなってしまったのだ。

しかし、ヨーカドーの場合、そこから消費者のを向く改革は遅れに遅れ、結局、デッドラインに近いところまで来てしまった。アパレル業界と同じく、その改革が遅れたのは、明らかに「内側の論理」を優先させていたことがある。ノンフィクションライターの窪田順生は、ITmediaビジネスオンラインの記事「『イトーヨーカドー』はなぜ大量閉店に追い込まれたのか “撤退できぬ病”の可能性」の中で、ヨーカドーの撤退が遅れたのを「撤退できぬ病」と名付け、以下の記事を引用する。

「改革案に『撤退』の文字を盛り込むかどうかは最後まで迷いもあった。内部からは、『プライドや雇用もあって、衣料品はやめられない』との声も聞かれた」(読売新聞 2023年3月10日)

まさに「プライド」は、「内側の論理」でしかない。プライドよりも前にヨーカドーには、消費者のために店を展開する、という責務があるはずだ。

現場と本部の乖離を生み出す「内側の論理」

こうした「内側の論理による改革」は、また、別の問題も引き起こす。現場の不信感だ。それがまた、ヨーカドーをライフから遠ざける。

ライフについて、ライフコーポレーションの岩崎高治社長は、はじめて店舗を視察した際、傘立ての場所さえも現場で決められないということに驚き、「もっと現場に権限を」ということで、ライフをかなり「権限委譲」された店舗に変えていったことを度々語っている。

先ほど、ライフについて、店舗ごとに販売戦略が異なる話をしたが、それは現場の店長が自主的にそうしている場合も多い。消費者と最も近い位置にいるのは現場で働く人々。彼らの裁量が店舗運営に生かされることが望ましいだろう。

このように、本部と現場での足並みを揃えるためには、ある程度双方に対する信頼関係がなくてはならない。

靴やカバンの修理店として知られるミスターミニットの元社長である迫俊亮が、同社の改革をテーマにした『やる気を引き出し、人を動かす リーダーの現場力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、本部の指示に対して、現場が全く従わなかったエピソードが書かれている。

現場の人間は、本部の人間から大切にされていると思っておらず、その指示を適当に受け流していたのだ。本部と現場が乖離していたのである(会議室で考えた新たな施策が、現場の手を止めて接客の妨げになることが多かった……という歴史も、背景にはあった)。

テレビ東京『カンブリア宮殿』でも、その改革が紹介された「MISTER MINIT」。しかし、以前は数多ある「変われない会社」の1つだった(撮影:梅谷秀司)

迫は「現場は、経営の最高の師匠」と書き、常に現場を見て回り、そこで起こっていることや、行われている工夫を経営にフィードバックさせてきた。それが現場と本部の一体感を生み出し、ミスターミニットの業績回復を支えた。

このように、本部が変わろうとしていても、現場がそれと連動していなければ、全社的な業務改善はありえない。

ヨーカドーも、これまで本部主導でさまざまな改革を行おうとしてきた。2000年代後半には、ディスカウント業態やホームセンター業態など、新しい業態の模索も続けた。また、2011年にはオリジナルの衣服ブランドを立ち上げ、衣料品改革を行おうとした。しかし、どれもパッとしなかった。こうした度重なる改革のどれもがうまくいかないなか、現場の中で、「結局本部の指示なんて……」と思う人がいてもおかしくない。心の底からの連携が難しいのである。

もし、本部と現場がしっかり連携できていれば、レジ列が長くなるだけのDX化に、現場が納得しただろうか……? イトーヨーカドーからは、さまざまなポイントから「消費者不在」「現場不在」が透けて見える。

消費者はいるのに、見えていない

以上のような理由から、ヨーカドーの「ライフ化」はなかなかに難しい道だと思える。つまり、①本部による「消費者理解が欠如した、『内側の論理』による政策」、そして、②それによる現場の本部への不信感、だ。

ドンキにはなぜペンギンがいるのか (集英社新書)

こういう話をしていると、私の担当編集が次のような話をしてくれた。

「最近、渋谷の某百貨店に抱っこ紐を見に行ったんです。いろいろ見てたんですが、店員さんが一切話しかけてこなくて……。

かと言って、忙しそうでもない。さらには、試してみようと思っても商品が固定されて外せないんです。

もちろん、この体験だけですべてを語ることはできないけど、『ああ、百貨店って最近こういう場所だよな……』と感じてしまって」

消費者は、すぐそこにいる。しかし、見えていない。担当編集が語るのはこのような体験だが、どこか、イトーヨーカドーのことを思い出さずにはいられないエピソードでもある。

【2024年9月5日10時35分追記】初出時、33店舗の閉店に関する記載に一部誤りがありましたので、修正致しました。

関連記事:ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに、なにも変われなかった

前回記事で紹介した画像はこんな感じ

イトーヨーカドー

9月に営業を終えるイトーヨーカドー津田沼店。かつては「津田沼戦争」の中心地だったが、会社が何も変われないまま、歴史を終えることになった(筆者撮影)

イトーヨーカドー

入り口ドアに掲げられた、閉店のお知らせ(筆者撮影)

イトーヨーカドー

地域に長く根づき、愛されてきたことがわかる(筆者撮影)

イトーヨーカドー

あんな思い出や、こんな思い出も(筆者撮影)

イトーヨーカドー

惜別の声が寄せられているが、閉店セール中にも関わらず、悲しいことに人はそこまでいない(筆者撮影)

イトーヨーカドー

なんともエモい、想い出写真展(筆者撮影)

イトーヨーカドー

イトーヨーカドーのマークの上に、多くのメッセージ(筆者撮影)

津田沼 イトーヨーカドー

津田沼を上空から見た写真。ヨーカドーの隣にマルイがあり、戦争状態だ(筆者撮影)

イトーヨーカドー津田沼店

開店当初の津田沼店。多くの人が押しかけた(筆者撮影)

mina津田沼

しかし、周辺の発展もあり、津田沼は「行く街」から「住む街」に。mina津田沼店に入るテナントを見るとわかるが、どれも住人向けである(筆者撮影)

イトーヨーカドー イオン

ヨーカドーの後ろにはイオンがあり、時代の移り変わりを象徴するかのよう。駅の反対側にあるイオンを、多くの近隣住民は利用するようになった(筆者撮影)

イトーヨーカドー

ゆっくりと進む、街の変化よりも変化が遅かった(筆者撮影)

イトーヨーカドー

大量のお別れメッセージ。だが、そこに消費者はいない(筆者撮影)

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)

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