日本の政治に「経済政策」などというものはない

自民党総裁選挙に立候補を表明した小泉進次郎・元環境大臣。盛り上がりそうな総裁選をよそに、筆者は「経済政策は政治に何の関係もない」と言う(写真:ブルームバーグ)

自民党総裁選挙(9月27日開票)が、思いのほか盛り上がっている。私のもとには「経済政策について、どのような論点があるか議論してほしい」という依頼がいくつかのメディアから寄せられた。

そんなものはない。

そう言ってしまうから、私の仕事は増えないのかもしれないが、事実だから仕方がない。経済政策は自民党総裁選においては、まったく関係ない。いや、衆議院選挙だろうが何であろうが、要は政治の世界に経済政策はもはや何の関係もないのだ。

巷で言う「経済政策」の4つのカテゴリーとは何か

ここで、経済政策の定義をしておくことが必要だ。

ちまたで経済政策と呼ばれるものの多く(第1のカテゴリー)はバラまき、つまり、有権者の買収的なものである。定額給付金、一時的な定額減税などがこれに当たる。

2番目のカテゴリーは、いわゆる景気対策である。景気対策と称して、第1のカテゴリーのバラまきを行うというのが近年のほとんどの例である。

本来、景気対策とは、マクロ経済の景気循環を均(なら)すことにより、長期的には価値のある企業や雇用を守るというものである。しかし、企業においては、価値がある企業に関しては、銀行や株主が自己利害から支援するはずであるから、政策対応は必要でない。

守るべきは、雇用と個人企業に近い小企業である。失業、とりわけ若年層の失業は、経済的にだけでなく社会的に損失が大きいため、何としても守る必要がある。だから景気対策は、要は失業対策なのである。

第3のカテゴリーは、政策論争で最も華やかな、いわゆる「成長戦略」である。さらに第4のカテゴリーは、実はまったく日本では議論されることはないが、経済に対する考え方を変え、経済の構造そのものを変えることを意図する経済政策である。これは最後に議論することにしよう。

まず、第1のカテゴリー、バラまきは経済政策ではない。有権者のうち誰をターゲットとするかという選挙戦略政策であり、経済とは無縁だ。しかし、昨今の経済対策とはほとんどがこのカテゴリーに入ってしまう。物価対策もガソリン対策を中心に明らかにそうである。子育て支援もこれに入る。

財政再建と経済成長は「二者択一」ではない

そうすると、第2の景気対策が重要な政策の争点になりそうに見えるが、現実にはそうではない。なぜなら、現在、景気対策が必要かどうか、どれほど大規模なものが必要かどうかという点は、政治的なイシュー(論点)ではなく、純粋に技術的なエコノミストの判断に依存する。

現在のデフレギャップがいくらあるかなどはエコノミスト間では論争するべき問題であるが、政治家により公約として論争されるものではない。必要な景気対策はやるということであり、それは論点にならない。

この点でよく論点として挙げられるのが、「財政再建か、経済成長か」というもので、究極の選択を政治家(あるいは論戦相手)に突きつけて喜ぶ人々がいる。この論点を設定する時点で、財政再建は後回しですべては経済成長からという主張をして、究極の選択のように論戦を挑み、「財政再建も重要だ」とでも言おうものなら、「財務省の回し者」とレッテルを貼り、国賊扱いをする戦法なのである。

この小賢しさはともかく、この論点の設定は無意味である。なぜなら、そもそも財政と経済成長は二者択一でなく、別の論点であり、どっちが重要という問題ではなく、どちらも考慮せざるをえないのである。財政再建に関しては、どのような手段でどのくらいのペース、時間的な目標でというのは議論すべきことであるが、テクニカルな戦術問題であり(後回しという無視戦術も含めて)、経済成長戦略はそれとは別個に議論するべきものである。

財政再建は経済成長の障害にはならない。なぜなら、経済成長戦略と、より整合的な増税あるいは歳出削減をすればいいのであり、「とにかくマクロ経済を拡大しなければならない」というのであれば、それは成長戦略ではなく、大規模景気対策という第2のカテゴリーのものであり、それは景気判断に基づきやるべきものである。

したがって、経済政策として取り扱うべきものは、いわゆる「成長戦略」に限られることになる。この話は、この連載でも議論したことがあると思うが、現在の成熟国の経済において政府による国家経済成長戦略というものは存在しない。あるいは、絶対にうまくいかない。なぜなら、世界経済における国家の役割が低下しているからだ。

財政健全化もかつては、国債の格付けが下がると、どんな優良企業でも国家の国債の格付けを超えられないから、すべての企業に影響があると言われてきたが(今でもそう信じられているが)、実際には日本国債よりもトヨタ自動車の社債のほうが信用力が高いのは誰の目にも明らかだ。そして、ストレートな社債でなくともさまざまな手法が存在するので、自国国家と企業の依存関係は薄まっていく一方だ。

産業政策の有効性も今やほとんど皆無

さらに、かつての日本の経済政策の中心と思われていた産業政策、これも現代においては有効性はほとんどないといえるだろう。政府が特定の産業を選んで、そこに集中投資をする(それを促す)というのは通用しない。

民間セクターに十分な資本があり、成功するとわかっている分野には過剰なまでに融資も資本も集まる。それでも政府が援助する必要があるのは、何らかの産業側に思惑がある場合だ。

例えば、EV(電気自動車)がその典型だ。欧州は「打倒トヨタハイブリッド」という下心や、ディーゼル分野での不正がばれて、ほかに選択肢がなくなったので、今度は環境問題を利用してEVオンリーにして世界を支配しようとしたが、補助金が続かず、また実用性にも大きく劣り(誰もがわかっていたことだが)、アメリカの離反だけでなく、中国に正面から対決されて負けてしまった。

半導体への補助が盛んだが、これも経済安全保障の名の下に、企業サイドにうまく補助金をかすめ取られているだけのことだ。

また、漫画アニメが成功したのは、経済産業省に漫画課もアニメ課もなかったからで、政府がクールジャパンなどと言い出してから雲行きが怪しくなり、政府のクールジャパンは見るも無残なことになった。

国が方向性、ヴィジョンを示すというが、そんな人材は政府にいないし、審議会に出てくる人はお人よしか暇人か、セミリアイアした方々が主体で、気鋭の人々は政府とかかわる暇がない。だから政府のヴィジョンは業界で最も遅れているヴィジョンである。

「規制改革」も経済政策にはならない

そもそも、現在はドッグイヤー、不透明な時代で、ヴィジョンがない時代であり、起きた変化にすばやく対応することがすべてであり、これからの世界はこうなるというヴィジョンタイプのカリスマコンサルタントは、コンサル業界では食っていけず、政府か大学で養ってもらっている。

一方、規制緩和も経済政策としては論点にならない。例えば、ライドシェアを改革マインドの試金石のように言う自称政策通の人がいるが、そんなものは、ライドシェアをしたほうがいいに決まっているが、利権があるといったって、そんなものはそこらじゅうにあり、それだったら、例えば薬の処方箋利権とでも戦ったほうがよっぽど国のためになる。タクシーは日本の弱点の1つだが、それだけのことだ。

また、かつて郵政民営化ができるかどうかが国家の将来の天下分け目のようなことを言っていた首相がいた。実際、民営化したが、単に日本郵政は苦戦していて、民間にはかなわず、公的機関的な良さも失われ、何が天下分け目だったのか、まったく意味不明だ。ただ1つの大きな金融機関(および運送会社)が衰退しているだけのことだ。

だから、規制改革というのも経済政策にはならない。これは官僚たたきと一緒で、ただのスケープゴート(贖罪のヤギ)作りで、郵政民営化を唱えた首相はその政治的センスが優れていただけで、経済とは無関係だ。

こうしてみると、政治家の経済政策の公約や主張はすべて意味のないものであり、つまり、政治的には経済政策は論点としても仕方がないのだ。

読者の多くは「じゃあ、急に話題となった、金融所得課税はどうなんだ?」ということになるかもしれない。自民党総裁選に立候補を表明したある有力議員が、所得格差、資産格差是正(主に、所得格差および「1億円の壁」と日本では言われてきた、勤労所得に対して金融所得の税率が低い問題)として、この問題を発言したところ、ちょっとした騒ぎになり、金融所得課税に言及した議員は「経済政策音痴」として、いわば袋叩きにあった。

彼は、確かに正直すぎて権力闘争音痴かもしれないが、経済政策音痴とはこの件ではいえない。なぜなら、この金融所得課税の問題は、経済政策の問題ではなく、まさに格差社会に対する社会政策、あるいは、富裕層とそれ以外との所得移転の問題であり、選挙に直結するとすれば、有権者の層ごとに損得が分かれる問題である。

もう少し高次元の話をすれば、日本社会のあり方に関する問題で、格差を均す社会か、稼ぐ力があるものがその恩恵をフルに受けるべきか、という論点になろう。だから、これは経済政策の問題ではないのだ。

アベノミクスとは何だったのか

では最後に、「もっと大きなヴィジョンである、デフレ脱却をキャッチコピーにしたアベノミクスはどうなんだ?」という疑問に対して、議論しておくことにしよう。

もちろん、これはキャッチコピーにすぎず、郵政民営化と同じ類いのもので、デフレをスケープゴートにして「財務省の緊縮財政が悪い」「日本銀行が金融緩和を渋るのが悪い」「日本の問題はデフレに尽きる」という戦法にすぎないことは、読者には百も承知だろう。

唱えた政治家は郵政解散を実行したのと同じ系統の派閥だし、その弟子だったから、デフレ脱却と郵政民営化の本質は同じで、キャッチコピー、支持率獲得の呪文にすぎないことは議論するまでもない。

しかし、それでもアベノミクスは政治的な政策論争としては大成功した。その理由はただ1つ。第2次安倍政権は、憲法改正政権だと思われていたイメージを一般国民に対しては払拭し(右側のコアな支援者には憲法改正のための手段だと思わせ)、「国民の経済のためにすべてを捧げる」というポーズをとったことだ。

議論はアベノミクス一色になり、それに賛成しようが反対しようが話題になり、要は「安倍政権は経済と真剣に取っ組み合っている」というイメージの確立に成功したのだ。そこがすばらしかったのである。

では、まもなく終わろうとしている岸田政権はどうだったのか。今ではほとんどの人が忘れているが、彼のキャッチコピーは「新しい資本主義」だった。「新しい資本主義」とはなんだったのか。誰もわからないし、そんなもの実はなかった、存在しなかった、ということになっているようだが、そんなことはない。

彼は、成長から分配へ、あるいは、分配と成長の好循環、分配も成長も、といろいろ言い方を変えていったが、要は、成長一辺倒ではない、株価一辺倒ではない、という考え方だった、と要約するのが妥当だろう。

それの政治的意味はなんだったのか。要は「アベノミクスとは違う」ということに尽きるのである。アベノミクスを誇らしげに主張していた安倍政権やその取り巻きたちは、「批判するけど、じゃあほかにあるのか、代替案を出せ、なんだないのか」という論法で反論を封じ込めていた。

だが実は、岸田政権は立派な代替概念は提示していたのである。現実的には、株価が下がってもいいのか、企業の利益が下がってGDPが下がっていいのか、という声に押されて曖昧になっていったため、政治的には成功しなかった。

なぜ日本では重要な経済政策論争が行われないのか

しかし、本来あるべき政治における経済政策論争が、ここでは行われかけていたのである。冒頭に述べた、第4の議論、経済社会のあり方を問う、これが経済政策論争の最重要点なのである。成長よりも分配とはっきり言い切り、それで貫けば、立派な政策論争として岸田政権は名を残しただろう。しかし、メディア、有識者だけでなく、ほとんどの国民からも、それよりも金をくれという声に押されて、政権はあっという間に崩壊していただろう。

つまり、日本の政治において重要な経済政策論争が行われない理由は、国民がそれを求めていないからである。そして、アメリカなどのような二軸対立がないため、金持ちと貧困層の戦い、ウォールストリートとメインストリートという対立軸がなく、みんなが豊かになる政策(と称する)だけが生き残れるのである。

となると「GDP、株価、上がって文句あるのか」ということになって終わりである。その結果、日本経済、日本社会の根本的な構造転換どころか、やや根本的な修繕すらできず、現状維持プラスアルファという株価上昇か、現金バラマキ政策に終始してしまうのである。

金融所得課税も、根本的ではない、ちょっとした構造的な修繕だが、それも株価のためにできないのだから、自民党総裁選だろうが、総選挙における政策論争だろうが、日本に本当に必要な経済政策が議論されることなどは、期待するだけ無駄なのである。

(本編はここで終了です。このあとは、競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

競馬である。

本連載で、私は競馬に関して外部者かつ素人ながら、いくつかの提案をさせてもらった。なんと驚くことに、その多くが、あのJRA(日本中央競馬会)のカリスマ調教師である矢作芳人師の意見と、ほとんど一緒だったことが判明したのである。例えば、世界の競馬ニュースなどが掲載されている競馬専門サイト「アイドル ホース」の記事を見ていただければと思う。

個人的にはうれしくてたまらないが、そういう問題ではなく、私にもわかるような明らかな問題点が現在のJRA競馬にはあるということだ。これだけ馬券の売り上げもあり、大ブームに乗っている今こそ、改革をする最後のチャンスである。JRAおよび各関係者には、ぜひとも英断をお願いしたい。

今後の日本競馬に最も重要なものは何か

今回の本編の経済政策論とも関係するが、日本競馬の成長戦略を考えるうえで最も重要なことは「日本競馬にとって何が最も重要か」という認識を確認することである。

そもそも、競馬において何が最重要なのか。それは優秀な馬の生産である。これに尽きる。レースはあくまで、生産すべき馬、残す血を探すために行っているのであり、同時に育成も、その才能をあまりなく開花させ、どのような馬を生産していけばよいかということを知るために行われるのである。

具体的には、日本競馬は世界に生産馬を売っていかなければならない。それも、高く売らなくてはいけない。

競馬がすばらしいのは、資本主義の権化のような産業で、高く売れることがその後の血を残すことに直結するからである。高く売れれば、その馬は良いオーナー、良い育成牧場、良いトレーナーに恵まれ、レースでも良いジョッキーがあてがわれ、その結果レースに勝てば、繁殖に上がり、良い配合相手に恵まれ、だから子供も走ることになり、孫もたくさん生まれることになるのである。

毎秋に行われるフランスの国際G1、凱旋門賞を勝つことが重要なのは、欧州のオーナーたちにさらに日本生産馬を高く売るために必要なのである。矢作師がアメリカの競馬を重視し、マルシュロレーヌで2021年にブリーダーズカップディスタフを勝ったのも、欧州偏重の日本の生産界に対して「アメリカ市場でも高く日本生産馬を売らなくてはいけないよ、そして売れるよ、そしてアメリカの生産は合理的でフェアで、世界的な広がりがあるよ」と知らしめたのである。

とにかく、生産がすべてだ。そのために、北海道をさらに強化し、社台グループ以外の生産者も強くし、調教師を強くするために、JRAに守られたJRA調教師という既得権益を柔軟化し、馬房制限を大幅に緩和し、強い日本調教馬を生み出し、世界で勝ち、その子供たちを世界で売ることが必要なのである。

愛チャンピオンズステークス出走シンエンペラーに期待

さて、その矢作師が管理するシンエンペラーが9月14日に、アイルランドで行われるアイリッシュチャンピオンズステークス(国際G1、距離2000メートル)に出走する。

このレース選択もすばらしく、アイルランドは日本調教馬に合った固めのサーフェス(馬場)の芝コースであり、また同レースは英国チャンピオンズステークスほどではないが、欧州でとくに生産界にとっては重要視されているレースで、ここを勝つことは価値を上げることになる。

オーナーがサイバーエージェント社長の(いやあの『ウマ娘』の、と言ったほうがいいか)藤田晋氏で、見る目もあり、金も心も余裕がある、かつプロ級の麻雀師、ギャンブラーという、この希代のオーナーに恵まれ、いろいろと挑戦できるのはすばらしい。好循環が起き始めているから、JRAはこれを大きくしていってほしい。このレースはJRAでも馬券が発売されるので、それもすばらしい。

最後に、日本の週末のレースでは、中京競馬場で行われる産経賞セントウルステークス(8日の第11レース、芝コース、距離1200メートル)。アサカラキングを狙ってみたい。単勝。

※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は9月14日(土)の予定です。当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています

(小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授)

ジャンルで探す