ホンダが「今あえてマニュアル車」にこだわる意味
ホンダ「シビックRS」のプロトタイプに試乗した。2024年9月に発売を予定しているこのクルマは、マニュアル変速機(MT)の新設グレードで、エンジニアは「MTの理想型」と話す。なぜ、ホンダは今になってMTに力を入れるのだろうか。
シビックRSという名前を聞いて、年配のファンなら1974年の「シビック1200RS」を思い出すかもしれない。出力を上げたエンジンと、当時としてはめずらしかった5段マニュアル変速機を搭載した、初代シビックの派生モデルだ。
この1200RSは、エンジニアたちが“いっちょ、ホンダのスポーツ魂でも見せてやるか”という気持ちで作ったのではないかと思っている。なにしろ、ホンダは1968年までF1に自製のマシンで参戦していたのだ。
1974年に発売された1200RSは、5段MTにスポーティなサスペンションシステム、当時はハイスペックカーの象徴だったフロントディスクブレーキやラジアルタイヤなどがおごられていた。開発車の目論見はあたり、「速くて楽しいクルマ」として、市場で高い評価を受けた。
ところが、モデルライフは極端に短かった。アメリカ市場を重視していたホンダは、1975年にはEPA(米国環境保護庁)からマスキー法1975年規制適合認定を受ける必要があったため、スポーティなエンジンの廃止を決定したからだ。1200RSは1975年、つまり約1年で生産中止となってしまったのである。
2000年代に復活したRSのネーム
ホンダは、しかし、その後もおりにふれてRSのサブネームを使い続けた。2007年には「フィットRS」、2015年に「ジェイドRS」、2016年に「ヴェゼルRS」、そして2017年に「N-ONE RS」という具合に。
RSの名称は、一般的に「レーシングスポーツ」の略として使われている。ポルシェやアウディで見られるように、サーキット走行を主眼においたようなカリカリのスポーツモデルでたとえばポルシェは「911GT3 RS」を手がけている。
しかし、ホンダのRSラインナップをみると、ドイツ車のそれとはちょっと違っている。「RSはロードセーリングの略」とするのは、ホンダ自身だ。それは、1974年のシビック1200RSのときから変わらない。
「ロードセーリングには、あたかも水上を帆走するように、悠々と気持ちよくハイウェイを走る、そんな想いが込められています」。ホンダのホームページには、そう記されている。
シビックに「RS」を命名した背景
シビック1200RSが誕生した当時は、大気汚染が社会問題化しはじめたころ。そんな中でレーシングやスポーツをうたうのをはばかって、苦しまぎれに考えついたのがロードセーリングだと思っていた。
しかし、今のホンダにおいて、「タイプR」がサーキット走行までを視野に入れた本格派のスポーツモデルで、RSは世間一般でいうGT(グランツーリスモ)ぐらいの位置づけのようだ。
「RSはロードスポーツを楽しんでいただくための象徴的なブランド」。開発を担当した四輪開発センターLPL室LPL(ラージプロジェクトリーダー)の明本禧洙(よしあき)チーフエンジニアは、新型シビックRSのネーミングの背景をこのように“解題”してくれた。
ロードスポーツとは、筆者の解釈では一般道でドライブが楽しめるモデル。「タイプRは究極のMTモデルで、その下に気楽に運転が楽しめるMTモデルがあっていいのでは、と思っていましたし、ユーザーもそこを評価してくださっていました」と明本チーフエンジニア。
これまで「EX」「LX」グレードにマニュアル変速機を用意していたが、今回のシビックRSはそれらと入れ替えになるそうだ。
なぜ、“入れ替え”なのか。明本チーフエンジニアに尋ねると、従来のMTモデルは「スポーティさが不足している、と不満に思っているユーザーがいらっしゃった」という。
シビックRSの開発陣がしたことは、トランスミッションを中心に、スポーティなフィーリングをより強くするためのファイン(細かな)チューニング。
セダンでMT。SUVはやりのいまのトレンドとは180度対極にあるような設定だけれど、クルマ好きとしては「MTで楽しみたい」という傾向はうれしい。それに応えるホンダの姿勢も、おおいに評価したい。
エンジンとトランスミッションの間にあるフライホイール(はずみグルマ)をシングルマスの軽量タイプにして、慣性を30%落としたことがひとつ。これでエンジンが軽やかに回るようになる。
トランスミッションでは、もうひとつ大きな変更がある。「レブマッチシステム」の採用だ。
MT車のスポーツドライビングに欠かせない“ヒール&トー”をせずとも、ドライバーがシフト操作するだけで、適切なエンジン回転数を算出し自動制御で回転あわせをしてくれる。トヨタのGRモデルに用意される「i-MT」のようなシステムだ。
シフトアップ時にクラッチをつなぐのが遅れても、エンジン回転数が低下しないようにしながら上段ギアにシンクロ、というのもしてくれる。さらに、1速から3速、5速から2速といった操作も適切に制御する。
ヒール&トーをうまく決めたかのようなドライビングを可能にしつつ、「MT車の経験が少ないドライバーから熟練ドライバーまで、MT車を操るよろこびを感じてもらえる」とホンダはうたっている。実は、2017年の「シビック タイプR」で最初に導入したものだ。
MTのよさを再確認する
実際にシビックRSをドライブしてみると、シフトフィールがよい。ギアノブを軽く押すと、望んだゲートに吸い込まれるように入っていく。「これがMTのよさだ」と、うれしくなる。
もちろん、ヒール&トーもやりやすい。ブレーキペダルを右足のつま先で押しつつ、クラッチペダルを踏み込んだタイミングで右足のかかとでアクセルペダルをあおり、ギアを入れ替えてすぐにクラッチをつなぐのがヒール&トーのお決まりのやり方だが、おもしろいぐらいにボンッとできる。
「無駄にシフトダウンを楽しんでください」とホンダの開発者が冗談めかして言っていたが、「そのとおりだなぁ」と感心した。これにはシフトノブの重量を見直したり、シフターとドライバーの位置を近づけたりといった、細かな作業も奏功しているようだ。
レブマッチシステムは、コーナリング中のギアシフトのミスがほかの操作を妨害したり、速度の低下を招いたりすることを防ぐのが、最大の働き。サーキットではとくに、大きく貢献してくれるはずだ。
さらにシビックRSは、ステアリングラックやサスペンション・ダンパーにも手が入れられていて、かなりスポーティなドライブを楽しめる。ただし、3速と4速のギア比のギャップが大きめで、完全なサーキット向けとはいいがたい。
派手じゃないところもまた「いいかも」
トヨタ「GR86」とスバル「BRZ」というスポーツクーペ姉妹車も、2024年7月にマニュアル変速機が改良され、アクセル操作に対してよりダイレクトなレスポンス(軽くアクセルペダルを踏んだだけで鋭く加速)が得られるようになった。
この2車のおもしろいところは、アクセルペダルとブレーキペダルの関係で、がーんっとブレーキペダルを奥のほうまで踏み込んで、ようやく思いどおりにアクセルペダルがかかとで押せる設定なのだ。ゆっくりめの速度で街中を走っている状態では、ヒール&トーはむずかしい。
「i-MTがあったら、より喜ばれるかもしれません」。私が話を聞いたGRのエンジニアは、GR86についてそう話していた。シビックRSは、前述のとおりヒール&トーが広い速度域でやりやすいので、レブマッチシステムは贅沢な装備ともいえる。
いずれにしても、着々と電動化が進む中、マニュアル変速機を駆使してエンジンと対話しながら運転を楽しめるシビックRSの登場は、素直にうれしい。
また、このクルマは派手なエアロパーツもつけていなければ、内装もことさらスポーティな演出をしていない。乗員の着座位置を思いきって下げて低重心化を図っているなど工夫はあるが、一見すると控え目なセダンである。そんなところも「いいかも」と、私は思う。
(小川 フミオ : モータージャーナリスト)
09/02 08:00
東洋経済オンライン