やりたくない仕事も「縁」と捉える人に訪れる良縁
「これも何かの縁だ」と考える
やりたくない仕事、参加したくない会合など、気の進まないことを頼まれたときに、「今手一杯だから、他の人にやってもらってください」、「この業務なら□□君が得意ですよ」、「その日は所用で行けません。○○さんに頼んでください」と、いろいろ理由をつけて仕事を断ったことはありませんか。
断る理由がほんとうなら仕方ありません。
そうではなく、できるにもかかわらず、やりたくないから他の人に仕事を「押しつける」といったケースです。多少は悪いなと思いつつも、いやなことは避けたいという本音が勝ってしまうことがあるでしょう。
それがもし、やりたい仕事、魅力的な仕事だったら、多少無理をしてでも依頼を受けるのではないでしょうか。つまらない仕事は人に押しつけて、自分は好きな仕事だけしたい。それではうまくいくはずがありません。
仏教では、人間関係はもちろんですが、仕事も日常生活も、あらゆるものが「縁」によって存在していると考えます。私たち人間は、自分ひとりで生きているのではなく、「縁」の中で生かされているのです。
つまらない仕事も、魅力的な仕事も「縁」によって巡ってきたのですから、やりたい、やりたくないで考えるのは、縁を無視していることになります。
受け入れると、生きやすくなる
「随縁(ずいえん)」という仏教語があります。いただいた縁に随うという意味です。
「縁」は自分の思い通りになるものではありませんが、良いときも悪いときもその状況を一度受け入れて、冷静に考えて流れに身をまかせることができれば、格段に生きやすくなります。
仕事を頼まれたら、まずはあるがままに受け入れることです。それがやりたい仕事でも、やりたくない仕事でも、巡ってきたご縁です。
その仕事をやりたい、やりたくないにかかわらず、どのような仕事であれ自分の状況をよく考えて、そのときに手一杯なら断ります。ずっとやりたかった仕事であっても、その場合は縁がなかったと、潔くあきらめるのです。
あるいは身体が空いているタイミングなら、それは縁が巡ってきたのですから、やりたくない仕事でも“良縁”として受け入れます。せっかくのご縁ですから、やらされている仕事ではなく、やらせていただく仕事として楽しみたいものです。
相手の喜ぶ顔を想像すると楽しめる
私自身、庭園デザインの仕事ではさまざまな制約が多く、正直、つらいなと思う依頼もあります。それでも、せっかくのご縁ですから受注した以上は精一杯務めさせていただきます。
私がモチベーションとしていつも心がけているのは、発注主(クライアント)を驚かせることです。ご縁があったのですから、自分流の工夫をちりばめて、「ほぅ、枡野さんはこうしてくれたか!」と、サプライズをねらいます。
たとえ、はじめは気の進まない仕事であっても、相手が喜んだり驚いたりする顔を見るのは楽しいものです。やりたい仕事がなかなかできないと焦る必要はありません。相手の想定以上の仕事を続けているうちに、きっと自分のやりたい仕事が巡ってくるタイミングがあります。
「ときの縁」に逆らわない
人との出会い、仕事との出会い、モノとの出会い──。
人生には数え切れないほどの巡りあいがあります。仏教では、すべての巡りあいを「因縁」と呼んでいます。私たちがいつもの会話で使っている“縁”のことです。
「ご縁があったら、またお目にかかりたいですね」、「いい縁に恵まれてよかった」、「あの人とは縁がなかったと思ってあきらめよう」など、馴染みのある言葉ですね。
「因縁」というと、前世からの宿命のように感じ、「因縁の対決」「因縁の仲」「土地の因縁」など、あまりよい方向の言葉として使われませんが、本来はそうではありません。
因縁とは、ものごとを生む直接的な原因(内因)と、それを助ける間接的な原因(外縁)のことです。つまり、この世に存在するすべては、巡り巡ってつながりあっているということです。
たとえば、同じ会社に勤めていたことで知り合い、結婚したカップルは、たまたま偶然ではなく、社風に惹かれて同じ会社を選び、仕事ぶりだったり趣味だったりで意気投合する要素があったからこそ結ばれたのでしょう。それは、仏さまが導いてくださったご縁なのです。
そのときだからこその良縁
「やりたい仕事が巡ってきたのに、ちょっと規模が大きすぎて尻込みしてしまった」
「いい物件があったのに、数日迷っているうちに売れてしまった」
このような、経験は誰にでもあると思います。
「縁」とは、ときと場所、いろいろな巡りあいがあります。良縁にもなれば、悪縁になる場合もあります。これはチャンスだと思えば良縁です。
「ためらう者にチャンスなし」という格言もあるように、チャンスは一度のがしてしまうと次はなかなか巡ってきません。“そのときだからこその良縁”なのです。それが「ときの縁」です。
「どうだ、チャレンジしてみないか」と推してもらったときに、躊躇なく、他の何をおいてでも挑戦する。そして、それだけに集中して取り組むことです。
もし、「ときの縁」ではないと感じたなら断ります。いやいや無理をして進めてもうまくいきません。それはご縁がなかったということです。
縁を呼び込むために下地をつくる
「すばらしい縁なんて、めったに巡ってこない」と嘆いてはいけません。「ときの縁」を呼び込むために、常に下地をつくっておくのです。
前述のとおり、すべては巡り巡ってつながりあっているのですから、いつもそのことを考え、いつチャンスが巡ってきてもいいように努力をつづけることです。そんな人に仏さまはご縁を運んでくださるのです。
「善因善果、悪因悪果、自因自果」という言葉があります。
よい行いをしていればよい報いが得られ、悪い行いには悪い結果が起こる、そして自らの行いは自分に返ってくる、という意味です。
因縁とはそういうもの。胆に銘じたい言葉です。
(枡野 俊明 : 「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶)
06/28 19:00
東洋経済オンライン