ギネス記録"コスプレ&経営者"よきゅーんの半生

よきゅーん

ネットアイドル発のよきゅーん。グラビア界での快進撃までの歩みとは(よきゅーん提供)
多人数同時参加型オンラインRPG『ラグナロクオンライン』の公式コスプレイヤー就任から20年。2023年11月に「ビデオゲームの公式コスプレイヤーを務めた最長期間(女性)」として、ギネス世界記録に認定されたのが「よきゅーん」こと乾曜子だ。
タレント活動を続ける一方、青年誌を中心にグラビア界を席巻する芸能事務所「株式会社 PPエンタープライズ」(以下、PPE)のマネージャー兼社長として、手腕を発揮している。
「あっという間」と振り返る、その“驚くべき20年”には何があったのか。
*この記事の続き:グラドル界を席巻「PPE」弱小事務所"勝利の戦略"

30歳で「アイドル」の戦力外通告

かつて、20代はお笑い芸人のはなわがプロデューサーを務める女子アイドルグループ「中野腐女子シスターズ」(2010年4月に中野腐女シスターズ、2011年7月に中野風女シスターズに改名。同年12月をもって音楽活動休止)と、男装ユニット「腐男塾」(現・風男塾)のリーダーとして活動。30歳で「年齢」を理由に卒業を余儀なくされた。

一変、30代からは「事業を手がけたい」として経営者の道に。

メイド喫茶の店舗運営にはじまり、日本屈指のトップコスプレイヤーであるえなことの出会いを機に、グラビア界で一大勢力となる芸能事務所を築き上げた。その驚くべき歩みに迫る。

自身が経営する芸能事務所は「業界内外から『コスプレイヤーの事務所』と認知されることも多い」と、よきゅーんはいう。

たしかに、先述のえなこをはじめ、所属タレント顔ぶれを見るとそのイメージは強い。だからこそ、ギネス世界記録の認定には意味があった。

ギネス世界記録認定式の壇上で、よきゅーんは自身が経営する芸能事務所と「親和性が高いので、今後の弊社の活動において重要な出来事になった」と述べた。

自身の芸能事務所では、えなこの功績が大きく「業界内外で『コスプレといえばPPEのイメージ』がついた」という。

しかし、「『コスプレを利用して商売している』と邪推する声があがるのでは?」という不安もあった。

2023年11月。コスプレイヤーとして、ギネス世界記録を(よきゅーん提供)

だが、コスプレ業界で長く活躍し、ギネス世界記録を獲得した者が経営者であるとなると、「ずっと真面目にコスプレに取り組んでいる芸能事務所だ」と示せる。

さらに、所属タレントも「うちの社長、コスプレでギネス世界記録をとったんです!」と言えるようになった。

「ネットアイドル発」でギネス記録へ

コスプレイヤーとして、よきゅーんの歩みは学生時代にさかのぼる。

当初は趣味として、好きなアニメやゲームのキャラクターになりきるように。

インターネット上で「キリ番ゲット」などの言葉が流行し、コアな個人ホームページが乱立していた時代に、ホームページで自己発信する「ネットアイドル」と呼ばれるような活動をしていた。

多人数同時参加型オンラインRPG『ラグナロクオンライン』の「イメージガール」、ひいてはのちの「公式コスプレイヤー」となったのは2003年3月、22歳だった。

当初「もともとのゲーム好きなところ」が目に留まり、所属していた事務所から紹介されて以降、20年を超えてもなお起用されつづけるのは、ゲームへのほとばしる愛があるからだ。

公式コスプレイヤーの就任当初に「ほぼ仕事そっちのけでゲームをプレイしていた」とよきゅーんは振り返る。

舞台の仮想世界こそ「私の人生」として、「月に一度だけ自身で『出稼ぎ』と称しリアルの撮影会に、他の時間は仮想空間のゲームに費やしていた」という。

今や、当時にゆかりある人との意外な出会いも。

現在会う仕事の関係者から、仮想世界を共に冒険した「ギルドメンバーでした」と打ち明けられたこともあり、学生時代にゲームの「番組を見ていました」と話しかけられる場面などで「みんな就職して大人になっていて、成長しているなぁ」と、しみじみ感じている。

2006年に結成の女子アイドルグループ「中野腐女子シスターズ」への加入は、よきゅーんの転機に。

フリーでの活動中にグループ結成のきっかけとなった配信番組『はなわレコード〜中野腐女子シスターズ〜』に出演、番組発のグループを作る企画が持ち上がり「一番しっかりしていそう」との理由から、20代半ばでリーダーに就任した。

活動中にCDデビューを果たし、リリースの条件として、フリーで活動していたよきゅーんも芸能事務所へ所属した。

活動中の当時を振り返ると、元々真面目な性格で、「みなさんの期待に応えなければ!」と一生懸命活動していたため、「恋人にしたいのは他のメンバーだけど、結婚したいのはよきゅーんみたいに言ってくださる方が多かった。メンバーやファンから信頼してもらえて、うれしかった」と振り返る。

卒業時「よきゅーんが悪いわけじゃない」とフォローも

グループの活動がスタートして5年目。30歳となったよきゅーんは「年齢」を理由に、卒業を告げられた。

よきゅーん

アイドル卒業当時の悔しさは、経営者としての糧に(撮影:梅谷秀司)

当時は「メンバーとしての環境が世界のすべて」だったため、卒業宣告へのショックもたしかにあった。しかし、芸能事務所を経営する今は「運営側の気持ち」も理解できる。

グループが伸び悩んでいるのなら「メンバーを変える」のは運営の方法のひとつとしては必然で、「たとえば、個別のCDの売り上げが1番だったら、卒業はなかったかもしれない」と俯瞰する。

当時、現場を共にしてきたスタッフからは「よきゅーんが悪いわけじゃない」とねぎらいも。

ただ、芸能界もビジネスであり、構造を考えるとお金を動かせる者が「全権」を握る。

この世界では「数字が結局は説得力を持っている」と、よきゅーんが悟るきっかけになった。

20代で芸能界、現実の厳しさを知った。そして、30代で一変。経営者としての道を歩きはじめる。

最初は、名古屋の人気つけ麺店や、古くからの業界の知人と数名で、メイド喫茶「Carnival☆Stars」を運営。株式会社Carnivalを立ち上げ、名古屋を拠点にした店舗はのちに、東京へのフランチャイズ展開も果たした。

「えなこ」との出会いがマネージメントの原点に

30代で経営者となったのを機に、所属していた芸能事務所を辞めた。

メイド喫茶では、店舗のキャストもステージに上がり客席を盛り上げる。並行して、知人がプロデュースする女子アイドルグループのサポートもするようになった。

当時の経験は、タレントマネージメントの原点に。知人を介して、えなこと出会ったのもその頃だ。

メイド喫茶運営の「終盤」には、会社とは別に、えなこを紹介した知人がプロデュースするグループアイドルのマネージャーも兼業。

しかし、紆余曲折あり、結果としてグループは解散。そこからは、えなこのマネージメントを継続していた。

グラビア界を席巻する「PPE」の面々

グラビア界を席巻する「PPE」の面々。写真中央がえなこ(よきゅーん提供)

えなこの人気が上昇し、毎日の売り上げに左右される飲食事業と、マネージメント業の並行は「厳しい」と判断。

しばらくして、芸能事業のみの展開にしようと決意し、PPEが誕生した。

出会った当時、えなこはすでに「コスプレ界で名が売れていた」と振り返る。

ただ、今でこそ青年誌の表紙を相次いで飾るほどの知名度を誇るが、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で初の雑誌グラビアを務めるまでの背景には、えなこと二人三脚での努力があった。

売り込みの苦労で「絶対に負けねぇ!」と

「えなこさんと何かお取り組みができないか?」と声をかけてくれた、とある出版社へ訪れた際、紹介された編集者からは「彼女の同人誌は、どれぐらい売れてるの?」と聞かれたという。

実数として、えなこの同人誌は当時から数千冊は売れていた。

しかし、編集者は「その程度では……」とポツリ。まだまだ力不足であることはわかってはいたが、改めて「見返そう。絶対に負けねぇ!」と奮起した。

その直後、えなこをグラビアに起用したのが『週刊ヤングジャンプ』だった。

さらに、同誌でえなこが初の「巻末グラビア」を飾ると、PPE発端でソフマップに話を持ちかけての「発売イベント」を展開。雑誌購入者向けのサイン会を実施したところ大盛況に。

もともと、本人と会える機会がコミケしかなかったため、一目会いたいというファンが多く訪れ、本の売り上げにつながり、その後も表紙を飾るたびに、「表紙記念イベント」を開催するように。

「紙の雑誌が売れない時代に、すごく助かった」と、他の編集者からも感謝されるようになった。

よきゅーん

所属タレントの「TO(トップオタク)は自分」と笑顔で(撮影:梅谷秀司)

PPEには現在、よきゅーん含む12人のタレントが所属「自身が好きな子しか所属させないし、少数精鋭でこれからも」と意気込む。

コンビニの雑誌コーナーで青年誌を眺めると、PPEが「快進撃」を遂げているのは明白。背景にはマネージメント業へ関わってから10年近く、仕事一筋で生きてきたよきゅーんの苦労もあった。

いずれは「グループアイドルのプロデュース」も視野に。

メガインフルエンサーのタレントを多数抱えながらも「きれい事かもしれないんですけど、誰かの活力になれれば。私の小さな頑張りが、所属タレントを通してより大きな力になるのがうれしい」と微笑むその表情はまだ、野心に溢れていた。

*この記事の続き:グラドル界を席巻「PPE」弱小事務所"勝利の戦略"

(カネコ シュウヘイ : 編集者・ライター)

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