老舗酒蔵「21年目の復活!」|産業遺産のM&A

愛知県知多半島は老舗の味噌・醤油などの醸造業、大手都市銀行の発祥地などがあり、また、海運業や漁業でも栄えた歴史を持つ。いわば、伝統産業、ものづくりの発祥から今日に至るまで、独特の“風格”を感じさせる地域だ。

その中にあって知多半島北東部、衣浦港に面した亀崎(半田市)は、ユネスコ無形文化遺産である勇壮な亀崎潮⼲祭を⽀え、歴史ある建物や坂も多く、その中に新興住宅地や密集した古い⺠家が建ち並ぶ地区である。1886(明治19)年に建築された⽇本最古の現役木造駅舎(JR東海武豊線「⻲崎」駅)があり、民家のあいだには「セコ道」と呼ばれる狭い路地が通り、その路地には、古い街並みや古⺠家を⽣かした新しい店もでき始めている。

セコ道とは、半田や伊勢地域の方言で、「細い道」の意味。その路地の先には、新旧の産業・事業が織りなす独特の空間がある。

その亀崎に1788(天明8)年、創業したのが清酒『敷嶋』で知られた伊東合資会社だ。もちろん創業当時は合資会社といった会社組織はなく、伊東孫左衛門という酒造家が始めた清酒敷嶋という酒蔵であったようだ。

栄華を極めた“地場コングロマリット”

伊東合資会社は最盛期には、中部地方で最大規模を誇る酒蔵となった。衣浦港に面し水運の便もよく、大消費地の尾張名古屋に近く、かつ灘よりも江戸東京に近いことから亀崎の清酒業は成長を遂げた。往時は亀崎周辺で30を優に超える酒蔵があったという。

その中にあって清酒敷嶋は1908年(明治41年)に伊東合資会社となり、1921年(大正10年)には、清酒に関する研究所を設置した。また1923(大正12)年には、名古屋税務監督局管内の醸造家番付(東海四県+新潟県、長野県)で唯一の横綱蔵として評価された。亀崎の清酒業界をリードし、日本を代表する清酒業に成長した。

さらに、伊東合資会社は清酒製造業のほかにも、味噌・醤油業や薬品業、銀行設立などにも関わっていたようだ。まさに、地域産業全般の成長に貢献した“地場コングロマリット”と言うこともできた。

清酒需要の低迷の波を受け

ところが「中部地方最大規模、横綱蔵」と言っても、それが未来永劫、保証されたわけではない。隆盛を極めた清酒需要は第二次大戦後から昭和後期に徐々に衰えていった。特に平成の時代に、清酒需要は急速に萎んでいく。その需要減退は酒蔵で働く人の高齢化、後継者難も重なり、日本全国の造り酒屋の倒産・廃業につながっていった。伊東合資会社も2000年に酒類製造免許を返納し廃業した。伊東合資会社としては8代目当主の決断だった。

伊東合資会社と清酒『敷嶋』は、212年の歴史に幕を下ろした。その廃業以降も全国規模で酒蔵の倒産・廃業は続いた。国税庁の調べによると、清酒製造業の数は2000年から2016年の間に1977社から1405社にまで減った。ざっと1カ月に3酒蔵が閉鎖される状況で、それが酒類業界でたび重なったM&Aにもつながっているようだ。

地域の文化や歴史を発信する新たな歴史的複合施設

廃業以後、伊東合資会社にとっては、まさに雌伏のときだった。その間、事業再生そのものが可能か、どう事業を再生すべきかと、機が熟するのを待ち、構想を温めてきた人物がいた。伊東合資会社9代目当主(伊東優氏)である。

9代目当主は廃業時に売却した本蔵をはじめ伊東合資会社が所有していた土地や建物を買い戻し、新しい“酒蔵事業”に打って出た。おそらくその決意は、多くの支援者の支持・協力があればこそ、だったはずだ。

新しい酒蔵事業は一言でいうと、現代建築では簡単にはつくり得ない歴史と風格のある木造建築群とその空間を存分に生かし、従来の酒蔵の役割を超えて地域の酒・食文化や歴史を発信する、新たな歴史的複合施設である。

施設名は復活にふさわしい「伊東合資」、2024年1月20日にオープンした。伊東合資会社と伊東家の旧邸宅や蔵を活用した施設で、「gnow」と称するレストラン、旧槽場(酒を搾り出す場)を活かした「Sake Cafe にじみ」、もともと銀行だった旧事務所を活用した「蔵の店 かめくち」という店舗などで構成されている。

「蔵の店 かめくち」では、手軽に利酒を楽しめる

「蔵の店 かめくち」では、手軽に利酒を楽しめる

復活の道のりと手法を見る

『敷嶋』と伊東合資会社は、どのような手法で復活を遂げたのかを概観しておこう。まず、『敷嶋』という清酒に関しては、福持酒造場という三重県名張市の蔵元の全面的な協力を仰いだようだ。

福持酒造場は『天下錦』という銘酒の製造元として知られる。『天下錦』は生産品のほとんどが地元で消費される少量生産の逸品で、酒米はすべて「伊賀山田錦」を使っている。三重県酒造組合の品評会では毎回、部門別の首位賞を獲得し、そのほか同組合や全国の新酒鑑評会、「SAKE COMPETITION」という市販酒だけのコンテストでも優秀な成績を収めている清酒と蔵元だ。

つまり、「伊東合資」としては、当初は酒類製造免許を返納していただけに、福持酒造場の力を借り、『敷嶋』という清酒を復活させ、その販売会社として「伊東合資」を運営する伊東(株)が設立されたということになる。

また、「復活」というからには、伊東(株)としては酒類製造免許を取得しなければならない。その点では、他の廃業する酒蔵を株式譲渡によるM&Aで再取得したようだ。

伊東(株)に関する法務局・国税庁の登記・免許取得情報などを見ると、千葉県南房総市にあった千蔵酒造株式会社を2021年にM&Aしたうえで、千蔵酒造の本社を半田市に移転して商号を伊東(株)と変更したようだ。そのM&Aの際に取得のハードルが高い酒類製造免許を再取得、すなわち酒類製造免許を千葉県南房総市から移転したということだろう。このことにより、『敷嶋』の販売だけでなく生産再開は現実のものになった。

なお、歴史的複合施設「伊東合資」は伊東家の旧邸宅や蔵が使われているが、そのうち主屋、新座敷、本土蔵の3棟が2022年10月末に登録有形文化財に登録されている。

「蔵の店 かめくち」では、「酒蔵がある街でよかった」をテーマに、清酒や総菜、『敷嶋』を使ったスイーツ、知多半島の各種醸造物など、酒蔵から発信される文化や伝統を反映した商品を販売している。来店客が「酒蔵がある街でよかった」と感じ、楽しく飲んで語り合うには、M&Aをはじめ各種の経営手法が必要なのだ。

文・菱田秀則(ライター)

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