鉄道の使命、やはり「利益追求」だけではない? 英国「再国有化」が示す民営化の限界とは

再び鉄道国有化の道を歩み始めた英国

1986年、マンチェスター・ピカデリー駅を発車するインターシティ125(画像:Dave Hitchborne)

1986年、マンチェスター・ピカデリー駅を発車するインターシティ125(画像:Dave Hitchborne)

 英国が、再び鉄道を国有化に戻す道を歩んでいる――。

 2018年に英国の主要幹線のひとつである東海岸本線を、2020年には北イングランド北部鉄道を、そして2021年にはロンドン南東部の鉄道の運行を国の管理下に戻した。

 英国の国鉄民営化は、いわゆる上下分離方式(運行と施設の管理を分ける方式)であり、地上設備や信号設備を1994年設立のレール・トラック社が引き継ぎ、車両は車両リース会社が所有し、フランチャイズを与えられた20社を超える民間会社が列車の運行を担っていた。

 現在、鉄道の国有化に関する法案は下院を通過し、上院で審議されている。法が成立すると、第1ステップで民間鉄道事業者とのフランチャイズ契約終了後、公的機関が列車の運行を引き継ぎ、第2ステップで国有企業グレート・ブリティッシュ・レイルウェイズが、列車運行と現在インフラ担当している公的機関のネットワーク・レールを引き継ぐという。つまり、英国国鉄の民営化は

「約30年で限界」

を迎え、逆のプロセスを歩んでいることとなる。

民営化以降英国の鉄道がたどった経緯

プロトタイプ150001号機、セント・パンクラス駅にて(画像:Dave coxon)

プロトタイプ150001号機、セント・パンクラス駅にて(画像:Dave coxon)

 ここで、今一度英国国鉄民営化についておさらいしてみよう。

 元々英国は、1980年代でもほとんどの企業が公営だった。これは、欧州諸国が第2次世界大戦後に重要な産業の国有化を進めたことに起因している。1981年時点において、

「国内総生産(GDP)の約30%」

を公共部門が占めているぐらいだった。1979年に誕生した保守党のサッチャー政権が、次から次へと民営化を進めていった。ただ、英国国鉄が民営化されたのは、鉄道の民営化に反対していたサッチャー政権ではなく、その後のメージャー政権(保守党)になってからである。

 英国国鉄の民営化は、仕組みとして欠陥が多かったといっていい。例えば、民間の列車運行会社は車両や線路設備を持たなかったため、車両リース会社にリース料を、レール・トラック社に使用料を支払って運行する仕組みだった。旅客需要が伸びた際も、車両リース会社やレール・トラック社が設備投資をしなかったため、対処しきれなかったこともある。

 また、インフラ部分を担うレール・トラック社は技術部門を持たず、さらに設備保守会社と工事会社に分割された。レール・トラック社による過度なコスト削減要求と、設備保守会社、工事会社とのいびつな関係によりハットフィールド脱線事故が発生し、民営化の欠陥が露呈したといえる。その後、レール・トラック社は破綻し、公的機関のネットワーク・レールがインフラ部門を担うこととなった。

鉄道民営化の最大の問題は利益の流出

1990年代の民営化を経た結果、英国民に法外な価格と過剰に複雑な鉄道システムが残されたとして、それを再国有化するという考えを広める活動を行っている圧力団体「Bring Back British Rail」のウェブサイト(画像:Bring Back British Rail)

1990年代の民営化を経た結果、英国民に法外な価格と過剰に複雑な鉄道システムが残されたとして、それを再国有化するという考えを広める活動を行っている圧力団体「Bring Back British Rail」のウェブサイト(画像:Bring Back British Rail)

 民営化のメリットは、競争を意識した

・サービス向上
・政治の不介入
・効率的な運営
・人員削減

などがあげられる。英国国鉄の解体では、さらに

・労働組合の弱体化
・株式売却による国庫の収益

が重要視されていた。これにより、英国国鉄がいくつもの会社に分割された結果、組合組織が瓦解(がかい)し、職員一丸となって

「鉄路を守る文化」

が失われるどころか、技術継承すらままならなくなった。さらには、本来ならあまりもうからないレール・トラック社まで国庫の収益のために株式を売却され、安全より利潤追求にかじを取ることとなる。

 英国の鉄道国営化に関する記事をいくつか読んでいると、鉄道民営化の最大の問題は、

「鉄道収入で得られた利益が、鉄道利用者や線路の維持、設備投資に還元されるのではなく株主へ流出すること」

との指摘があった。

・運行会社
・車両リース会社
・インフラ会社

は、全く別個の会社であり、運行会社がいくらもうけようと、車両リース会社、インフラ会社には還元されない。このため、車両リース会社、インフラ会社は、設備を維持するにしても、設備投資をするにしても税金の投入が必要となった。

 さらには、利用客が少ない路線の場合、運行会社は税金を投入して補填されている。つまり、多額の税金を投入されながら、個々の会社は利益確保に走り株主に配当する矛盾。だったら

「1社にまとめて国営でいいのでは」

となるのも無理もない。

民営化の限界

『折れたレール』(画像:ウェッジ)

『折れたレール』(画像:ウェッジ)

 英国の国鉄鉄道民営化という壮大な社会実験の結果、再び国有化に向かっているのは

「民営化が失敗だった」

といってよいだろう。もちろん、失敗から学べることがある。鉄道収入で得られた利益の株主への流出に気付けたこともそうであるが、クリスチャンウルマー「折れたレール イギリス国鉄民営化の失敗」(坂本憲一監訳、ウェッジ)に特徴的な文章がある。

「鉄道事業に携わる企業はみな、自己のわずかな職域内で最大限の利益を上げようとする。つまり、(中略)鉄道事業を広く社会的見地から捉えようとしないのだ」

と。

 日本の場合、英国と異なり上下をまとめて担うJR方式であり単純に比較はできないという意見がある。そのとおりだろう。しかし、

・利益重視の株主の存在
・利益の株主への流出
・自社だけ最大限利益を上げようとする姿勢

は、JR方式であっても共通しているといえよう。

・赤字ローカル線を廃止したり
・JR各社が独自のICカードを展開したり

するのは自然の流れだった。ただ、「鉄道事業を広く社会的見地から捉えようとしない」という反省については、鉄道を社会的見地で捉えるのは本来ならば

「国の仕事」

であり、民営化したJR各社にそれを求めるのは無理がある。やはり、鉄道を

「もうけの手段」

ではなくネットワークという面で維持し続けるのは、民間企業では限界があるのではないだろうか。

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