名門スイス航空はなぜ破綻したのか? 堅実経営「空飛ぶ銀行」に起きた悲劇をご存じか

「空飛ぶ銀行」の崩壊

マクドネル・ダグラスMD-11(2000年)。スイス航空の消滅後、このMD-11はモハベで3年間保管された(画像:Aero Icarus)

マクドネル・ダグラスMD-11(2000年)。スイス航空の消滅後、このMD-11はモハベで3年間保管された(画像:Aero Icarus)

 南海なんば駅(大阪市中央区)に直結する高級ホテル「スイスホテル南海大阪」。このホテルのブランド「スイスホテル」は、かつてスイスを代表する航空会社・スイス航空が傘下企業を通じて経営していた。

 スイス航空はサービスの高さから人気があり、

「空飛ぶ銀行」

と呼ばれるほど堅実な経営でも知られていた。しかし、1990年代から進んだ欧州航空の自由化の影響で経営方針を誤り、破綻してしまった。その結果、スイスホテルも売却されることになった。

 本稿では、スイス航空の歴史や経営破綻の経緯、そしてそこから得られる教訓について解説する。

196都市を結ぶ空の巨人

スイス航空のロゴ

スイス航空のロゴ

 1931年に設立されたスイス航空は、時代ごとに新しい機材を導入し、チューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼルなどの大都市を中心に、欧州だけでなくアジア、北米、南米、アフリカなど世界各国へ運航していた。

 スイスと世界をつなぐナショナルフラッグキャリアとして位置付けられていたが、政府の資金に頼らず運営されており、堅実な財務体質と高い安全性を誇っていた。そのため、1970年代前半には「空飛ぶ銀行」と称されるほどの高い評判を得て、欧州を代表する航空会社のひとつとなった。

 スイス航空のネットワークは拡大を続け、1980年の終わりには就航都市が196に達していた。1957年には羽田空港への路線を開設し、アテネ、カラチ、ボンベイ(ムンバイ)、バンコク、マニラを経由する南回りで日本に乗り入れを開始している。その後も長年にわたり東京への路線を維持し、大阪にも路線を開設していた。

 高いブランド力を持つスイス航空の世界各地の事務所は、スイスをアピールする外交や観光業の場として重要な役割を果たし、重要人物との会合にも利用されていた。同航空は国際連合や赤十字国際委員会の人道的援助においても物資輸送を担当し、良好なイメージを保っていた。また、1970年代以降は空港内のハンドリング業務やケータリングなど航空関連産業にも進出し、収益源の多様化に努めるようになった。

 1981年には、スイスを代表する食品企業ネスレとの合弁で「スイスホテル」を設立し、航空会社経営のホテル経営の代表例として広く知られるようになった。堅実ながらも多様な収益源とネットワークを誇り、

「国自体の宣伝機能」

も備えたスイス航空は、1980年代までは欧州だけでなく世界の航空業界でも特に優れた企業であり、まさに栄光の時代を築いた航空会社といえるだろう。

提携失敗と新戦略への転換

1979年、チューリッヒ空港でのスイス航空のダグラスDC-8-62。DC-8シリーズは1960年からスイス航空に就航していた(画像:RuthAS )

1979年、チューリッヒ空港でのスイス航空のダグラスDC-8-62。DC-8シリーズは1960年からスイス航空に就航していた(画像:RuthAS )

 1970年代に米国で始まった航空自由化の流れは、1990年代に欧州にも広がった。これにより、ライアンエアーやイージージェットなどのLCCが台頭してきた。

 しかし、スイス航空は評判のよい会社ではあったものの、エールフランスやブリティッシュ・エアウェイズ、ルフトハンザ・ドイツ航空といった欧州のメガキャリアと比べると規模が小さく、競争上の不利な要素が多かった。

 そのため、1990年代以降、他社との提携を進め、航空連合を形成することで生き残りを図った。1993年には

・オーストリア航空
・KLMオランダ航空
・スカンジナビア航空

とともに「アルカザール」を形成しようと動いていた。また1996年、

・シンガポール航空
・デルタ航空

と提携し、初の航空アライアンス「グローバル・エクセレンス」を設立した。

 しかし、前者は各社の折り合いが合わず、構想段階で頓挫してしまった。また、後者との提携も結束が弱く、3社はそれぞれ他の航空連合と提携を始めたため、アライアンスは空中分解してしまった。その後、1990年代後半には、マッキンゼーの指導のもとで

「ハンター戦略」

と呼ばれる経営戦略を実施し、大手他社との提携ではなく、欧州内の中小規模の航空会社への出資や買収によってシェア拡大を図ることにした。具体的には、

・サベナ・ベルギー航空
・AOMフランス航空
・TAPポルトガル航空
・LOTポーランド航空

などに資本参加を行った。

 さらに、資本参加した航空会社やオーストリア航空とともに、マイレージプログラムを基にした航空連合「クオリフライヤー」を設立し、スイス航空はその盟主として生き残りを目指すことになった。

機体墜落、信用失墜の軌跡

 しかし、この投資が収益を圧迫し、スイス航空の財務状況は徐々に悪化していった。

 そんななか、1998年9月2日、ニューヨークからジュネーヴへ向かっていたスイス航空111便が、巡航中に電気配線の不備によるショートで火災を起こし、大西洋に墜落するという大惨事が発生した。この事故で乗客乗員229人全員が亡くなり、安全性の高さで知られていたスイス航空の信用は一気に失墜し、業績悪化に拍車をかけた。

 さらに3年後の2001年、米国で発生した同時多発テロの影響で航空需要が急激に減少し、状況はさらに悪化した。同年10月には、燃料会社から航空燃料の供給が停止されるほどに資金繰りが厳しくなり、全機材の運行がストップする事態に陥った。

 その後、傘下にあった地域航空会社クロスエアが銀行の支援を受け、スイス航空の機材や人材、路線網を引き継いだ。そして、2002年3月31日、クロスエアは「スイスインターナショナルエアラインズ」に改名し、旧スイス航空の事業を事実上引き継ぐ形で運航を開始した。翌4月1日、スイス航空は71年の歴史に幕を下ろした。

20年経ても残るスイス航空の遺産

スイスインターナショナルエアラインズのウェブサイト(画像:スイスインターナショナルエアラインズ)

スイスインターナショナルエアラインズのウェブサイト(画像:スイスインターナショナルエアラインズ)

 スイス航空は消滅したが、傘下の企業の一部は、経営破綻から20年以上経った現在も存続している。スイス航空の後継であるスイスインターナショナルエアラインズは、その後、堅調に業績を回復し、2006年には営業黒字を達成。現在はルフトハンザ・ドイツ航空の子会社として、チューリッヒをハブに日本を含む世界各地を結んでいる。

 また、スイス航空が多角化戦略の一環として設立した関連子会社も、経営体制を変えながら存続している。

 たとえば、空港のハンドリング業務を手がけるスイスポートは、現在も世界各国の空港で業務を行っており、日本でも関西国際空港で活動している。

 また、スイスホテルはフランスの大手ホテル運営会社アコーグループの一員として、現在も17か国で40以上の施設を運営。そのなかには、スイス航空消滅後(2002年)に開業した「スイスホテル南海大阪」(2003年開業)なども含まれているが、このホテルはスイス航空とは直接の関係がない。

 このように、スイス航空の傘下企業は独立してもブランド力を保ち、発展し続けている。これらの企業こそ、かつて世界的名門であったスイス航空の遺産といえるだろう。

破綻を招いた戦略の盲点

SAirGroupに属する企業のロゴ

SAirGroupに属する企業のロゴ

 スイス航空の破綻の要因は、過度な投資にあった。しかし、その投資自体が不要だったとはいえない。特に、ホテルやハンドリング業務などの関連事業への参入は、現在も子会社が形態を変えながら生き残っていることから、一定の成功を収めたと評価できる。

 では、問題はどこにあったのだろうか。筆者(前林広樹、交通ライター)は、「ハンター戦略」の運用方法にあったと考えている。他国の大手航空会社と提携が難しい状況で、自社で出資し提携を進めるという方法は、1990年代のアライアンスや共同運行が広がる中で、差別化の一手段になり得た。

 しかし、提携先の企業の体質には問題があった。例えば、最初に提携したベルギーのフラッグキャリア、サベナ・ベルギー航空は、国際線に依存せざるを得ない国土の狭さや国営企業としての低い生産性から、収益性が不安定で、50年以上の歴史の中で黒字になったのはわずか1回という赤字体質の会社だった。また、スイス航空が49%の株式を保有していたAOMフランス航空も、エールフランスとの競合や、1990年代以降は頻繁な機材の入れ替えなどで、財務状況が健全とは言い難かった。

 このような財務状況の悪い企業と提携したことが、スイス航空を苦しめる一因となった。また、提携先が欧州の航空会社に集中していたため、顧客の取り合いが生じ、戦略が破綻する原因となった可能性がある。たとえば、当時経済成長が進んでいた中国や東南アジア、インドなど、他地域の企業を取り込んでいれば、外資規制の問題はあったものの、スイス航空のネットワークを補完し、顧客基盤を広げることができたかもしれない。

 結局、ハンター戦略が目指したネットワークの拡大やコスト削減が実現できなかったことが、スイス航空の破綻に大きな影響を与えたのは間違いないだろう。

スイス航空の教訓と破綻

スイス航空のボーイング747-300、チューリッヒ空港にて(画像:Eduard Marmet)

スイス航空のボーイング747-300、チューリッヒ空港にて(画像:Eduard Marmet)

 スイス航空はかつて一流の航空会社で、多くの遺産を残している。しかし、提携拡大の際に経営不振の企業に出資したことで、自身も巻き込まれて破綻してしまった。

 もし、時間をかけてでも有力な企業と提携関係を築くか、フィンランド航空のようにアジア路線を強化して差別化を図っていれば、スイス航空は今も独立した企業として飛んでいたかもしれない。

 同様に、経営不振の会社に出資してネットワークを拡大する戦略は、UAE・アブダビを拠点とするエティハド航空でも2010年代に採用された。しかし、アリタリア航空やエアベルリンなど出資先が経営破綻したため、エティハド航空も経営が悪化し、2019年には42機導入予定だったA350-900を全てキャンセルする事態に陥った。

 投資は企業の成長には必要不可欠だが、提携相手の状況を見誤ると、どんなに優良な企業でも凋落する危険がある。スイス航空の事例は、その教訓を今も私たちに伝えている。

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