川田利明「ラーメン屋はあと5年で20周年だが、多分それまで続かない。『やめないで』と言う人ほど店には来てくれない」

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
「プロレス四天王」の一人として活躍した川田利明さんは現在、東京都・世田谷区のラーメン屋「麺ジャラスK」の店主です。「開業から3年以内に8割が潰れる」ともいわれる厳しいラーメン業界で経営を続け、2024年6月で開店から15年目を迎えました。しかし川田さんは、「ラーメン屋は絶対にやらないほうがいい」と語っていて――。今回は、川田さんの著書『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』から一部引用、再編集してお届けします。

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【写真】リングで技を決めるプロレスラー・川田利明さん

逆風ばかりの14年間

思えば、俺にはいつも逆風が吹いている。

最近も、店の横に借りていた駐車場3台分のうち1台分を大家さんに返したけれど、駐車場代はなぜか5分の1しか安くならなかった。

店を始めた時もそうだった。

最初はいろんなことがうまく回らないだろうから宣伝をしないでひっそりとプレオープンさせて、ルーティーンを決めて、落ち着いてから正式なオープンにしたかった。

ところが高木三四郎がネットにフライングで「麺ジャラスK」のことを書いてしまったから、お客さんがたくさん来てテンヤワンヤな状態になってしまった。

それでもオープンしてから1年くらいはお客さんが次々と来てくれて、お金がかかる食材もバシバシ仕入れていた。

最初は車とか貯金とか、資産があったから運転資金につぎ込んでいけた。

ところが、オープンから1年も経たない2011年3月に東日本大震災が起きた。

当日は店の前の世田谷通りに、歩いて自宅へ帰ろうとする人たちがたくさんいて、「水を分けてくれませんか?」「携帯電話、充電させてくれませんか?」と“避難所”になっていたことを思い出す。もちろんその後、お客さんの数は激減した。

3年くらいかけて売り上げをオープン当初の5割まで戻し、2015年頃には7割くらいまで回復することができた。

飲食店の運転資金

俺はこの店に関して大きな借金をしたことはない。でも、持てる資産は次々に運転資金につぎ込んでいかなければいけなかった。

厨房機器は割賦で支払っていたけれど、払い終わった頃に壊れるもの。月々のメンテナンス料も高い。飲食店は固定費が予想以上にかかる。

『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』(著:川田利明/宝島社文庫)

飲食店でいちばんいい働きをしてくれるのは券売機と食洗機だけど、券売機は500円硬貨が刷新されるたびに付属の機械を交換しなければいけない。

2024年の7月には新札が出るから券売機も現状では使えなくなる。この券売機だって軽自動車1台が買える値段だからね。

他のラーメン屋ではカウンターに置けるような小さな券売機が目立つようになったけれど、あれだって安いといっても、おそらく50万~60万円はするだろう。

以前は2カ月に一度は店でイベントを開いていた。だが、新型コロナの感染拡大が始まってからそれもできなくなった。

定員20人のイベントでもチケットが売れ残ったことはなかったんだけどね。

最近はトークイベントなどに呼んでもらえる機会が増えた。そのギャラで店の赤字を埋めている状態だ。

還暦を迎えて思うこと

「店を始めたことを後悔していないか」と聞かれることがある。

後悔はしていない。

プロレスラーを引退してはいないけれど、しばらく試合をする気になれない中で、やることなかったからね。

あのままリングに上がり続けていたら、ものすごい大ケガをしていた可能性もあるし、体を酷使し続けていたら今以上に体はボロボロになっていたと思う。

1980年代のはじめ、俺と一緒に全日本プロレスの合宿所にいたメンバーは次々と亡くなった。

冬木弘道さんは2003年にがんで亡くなり、三沢光晴さんは2009年に試合中の事故で他界した。2022年にはターザン後藤さんも病気で亡くなったから、もう越中詩郎さんと俺しか残っていない。

こんなラーメン屋であっても、いい時期にプロレスの第一線から退いて、店を始めてよかったとは思う。

越中さんのように田舎暮らしを満喫しているほうが、長生きできるのかなと考えたこともあるよ。

でも、店を始めたから生きていられるのだと感じている。

ただ今は、楽しみがない。

営業が終わった夜中や店の定休日に翌日用の仕込みをして、家に帰ったら少し晩酌をして寝る。それ以外、まったく楽しみがないと言っていい。

開店から14年経って、つぎ込める資産はもう何もなくなった。

高級な食材は使えなくなったけれど、うまく店を回せるようになった……というか、回さないといけないからね。

なるべくコストを抑えて、「みんなに楽しんでもらえるもの」を作るように心がけている。

あと5年

俺も2023年12月で60歳になった。

60歳というと、昔はものすごいおじいちゃんというイメージじゃなかった?

俺は還暦だからと赤いちゃんちゃんこは着たくないし、年齢のことはあまり言いたくない。

年を重ねて髪の毛は細くなった。でも白髪にはならないんだ。

小橋建太から「白髪がない人はハゲるはずなんだけど」と言われたから、「ハゲてたら白髪かどうかすらわからないだろう」と言っておいた。

50歳を過ぎてから年々、体にガタがきている。だから、60歳でリングに上がっていたジャイアント馬場さんは本当にすごいんだよ。

当時の俺に思いっきり蹴られながらも、60歳という年齢で、しかもあの大きな体で試合をしていたことを改めてすごいなと思うようになった。

あんなにすごい人はいないと思うくらい、馬場さんは本当に運動能力が高かった。

運動能力が高い人は球技が得意。馬場さんは元プロ野球選手だし、ジャンボ鶴田さんもバスケットボール出身だからね。

あと5年続ければ店は20周年。でも、そこまでは続かないような気がしている。

まず、お金がもたない。そして体ももたない。ただ、やめるにもお金がかかる。

よく「やめないで、やめないで」と言う人がいるけれど、そういう人ほど店には来てくれないものだ。

それはたしか、居酒屋を経営していたキラー・カーンさんも言っていたような気がする。

昔大阪に“年中閉店セール”の靴店があったじゃない? 俺も「エンドレス閉店セール、やろうかな」と思うくらいだよ。赤字じゃなかった年なんかないからね。

「やっていてよかったな」と思うこと

でも、人と触れあうことが好きな人には、この仕事もいいかもしれない。

俺も、わざわざ会いに来てくれるお客さんがいると「やっていてよかったな」と思うことはある。

この前は10代のお客さんが来てくれた。YouTubeを見て俺のことを知ったり、子どもの頃に試合を見ていたという若いファンが来てくれた時は嬉しかった。

でも、俺はこの商売が自分に合っていると感じたことはない。

今もずっと思っている。

ラーメン屋は絶対にやらないほうがいい、と。

※本稿は、『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』(宝島社文庫)の一部を再編集したものです。

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