元レディース総長で女子少年院出身の教師・中村すえこさんが出会った少年院出身の少年ワタル。「社会が不安でしかない」と語っていた彼が出院後に関わってしまった重大事件…
レディースの総長を務め、女子少年院への入所経験を持つ著者の中村すえこさん。2度の結婚と離婚を経て、4人の子の母となり、現在は高校教師として勤める傍ら、少年院での講演活動や、少年院の少年・少女たちの思いを伝える映画を製作・監督している。その中で出会ったひとりの少年・ワタルの生い立ちや人となり、詐欺集団の内情などを『帰る家がない 少年院の少年たち』(さくら舎)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
少年院の中なら失敗を次につなげられる
2022年7月。
今日はワタルの仮退院日。17歳で窃盗と暴行、恐喝で逮捕され、多摩少年院に収容されていた。インタビューから1ヵ月ぶりの再会だ。
取材スタッフと一緒に玄関で待っていると、ワタルと法務教官の先生たちが数人出てきた。
「頑張れよ」とワタルと関わりのあった先生が声をかけた。
「はい」と先生の声に姿勢を正しながらワタルが答える。
仮退院には、ワタルの聞き取りを担当してくれた高坂朝人くんも駆けつけてくれていた。
高坂くんも非行に走った過去を持つ少年院出院者で、現在はNPO法人再非行防止サポートセンター愛知の理事長として、再非行・再犯防止の活動をしている。
「ありがとうございました」
ワタルは先生に深くお辞儀し、高坂くんと2人で〝極楽坂〟の方へ歩き出した。
仮退院時には、見送りに出てくる法務教官の先生の姿を目にするが、先生たちが院生を送り出すというルールが決まっているわけではない。少年の門出を応援する気持ちからの行動だろう。
私は法務教官にたずねた。
「先生、ワタルのことを少しお聞かせいただけますか?」
ワタルは1級生になってから「調査」になったと聞いていた。この時期に調査になるということは、出院延長の可能性もあったはずだ。
それまではずっと、むしろ優等生側だったワタルが、出院準備寮 (1級生が過ごす寮)に移るときに起きたことだった。
寮内の雰囲気がよくないことを知ったワタルは、自分がその雰囲気を変えるんだという気持ちで転寮したが、そこで周囲に流されてしまい、規律違反をしてしまった。
少年院では「自分の話」をしてはいけないという規則がある。自分の話というのは、どこに住んでいる、何の事件をしてここに来たなどの話だ。私がいたときは「社会の話」と呼ばれていた。ワタルはこの社会の話で調査になった。
先生はこれまで、指導としてワタルにこう伝えていたという。
――環境と意思だったら、環境の方が強い。どんなに自分がよくなりたいとか、こんな人間になっていきたいとか、夢とか将来の希望があったとしても、それを叶えられるような環境に自分自身がいないと、なかなか自己実現というものには結びつかない。
その通りだと思う反面、環境がよければうまくいくわけではないことを、私はよく知っている。
与えている側が満足だろうと思う環境は、少年たちにとって十分じゃないこともある。これは指導者、支援者の課題だ。
そもそも「何があればよかったのか」という問いの答えが見つからない少年の方が多いのではないか。
「いい環境とはどんな環境?」ってことだ。
価値観を1年で変えることは難しい
まわりの人は「少年院で更生してる」と思うだろうが、実際に考えてみてほしい。少年院の生活期間は1年だ。その期間を「1年も」と思う人もいるだろうが、私にしてみたら「たった1年」だ。
これまで生きてきた価値観を、たった1年で変えることはかなり難しい。
少年たちの価値観を常識で考えたらダメだ。親に虐待されていた少年は「暴力」という方法しか解決策を知らなかった。幼少期から親の薬物使用を見ていた少年は薬物への抵抗がまったくなかった。
自分が望んでその価値観を持つようになったわけではないことも知ってほしい。
1年という期間で自分と向き合いながら、「変わりたいと思えるようになる」こと、また「変わりたいというきっかけと出会う」ことだけで精一杯じゃないかと私は思う。
だから、出院はゴールじゃなくて社会生活本番のスタートなんだ。
出院後、誰と出会うか、誰と過ごすかで、その後の生活が決まってくる。
これからなんだ。
正直、私はワタルが失敗したのが社会に出てからでなく、少年院の中でよかったと思った。
少年院の中でなら、失敗を次につなげることができるが、社会に出たらやり直しができない状況になる場合もある。
この坂を〝地獄坂〟として上ることのないように、社会でワタルに関わっていきたいと思った。
「先生、お話を聞かせていただき、ありがとうございました」
ワタルに届いているかどうかはわからない。それでも寄り添い、何度も何度も伝えていくことに意味がある。
再犯しないために「頼れる人に頼る」
ワタルと高坂くんは、玄関を出て桜の木を通りすぎ、銀杏並木のあたりまで進んでいた。
桜も銀杏も緑の葉が茂り、空は快晴だった。
「ワタル、今日仮退院だけど、何か心配なことはある?」
高坂くんがワタルに話しかけた。
「社会が不安でしかないです。交友関係とか」
「自分できっかけをつくるしかないんだよね」
高坂くんの言葉にうなずきながら、ワタルはこう言った。
「ここでつながった人や、地元の人との距離感とか」
「再犯しないように気をつけることって何だっけ?」
「頼れる人に頼る」
合言葉のようにワタルが答えた。これは、インタビューでワタルとした会話だった。
門扉で待っているワタルの両親が見える。取材はここまでの約束だったが、父親が少しだけ話を聞かせてくれた。
「これから、進学でも仕事でも、やりたいことをやればいいと思っています。応援するつもりです」
隣にいる母親はうなずきながら、ワタルを優しい目で見守っていた。
仮退院は、卒業式に似ていると私は思う。送り出す先生とこれから先を応援する両親。みんなが見守るなか、ワタルは仮退院を迎えた。
そして――。このときは、まさかワタルが重大事件に関わってしまうことになるとは誰も予測していなかった。
犯罪集団の暴走族が「唯一の居場所」
彼の幼少期はどんな風だったのか、親に対して、友達、犯罪についてどう感じていたのかが知りたくて、インタビューすべてを読み返した。
ワタルは4人兄弟の末っ子だった。お兄ちゃんたちは逮捕されることはなかったがヤンチャな感じ。男の兄弟たちに揉まれて育った。
ワタルは体操やサッカーを習う元気な子どもだったが、小学6年生くらいから斜視を理由にいじめの対象にされた。これまで一緒だった友達からいじめを受け、自分の居場所が見つからなくなったと話す。
次に見つけた居場所は非行友達だった。万引き、バイクの無免許運転……、次々と犯罪行為を覚えていった。小学生限定の不良LINEグループがあったという。これにはとても時代を感じた。
中学になると、これまでの非行行為は「お金のため」に形を変えていく。盗んだブランドものを転売し、恐喝でお金を稼ぐ。行為はエスカレートしていった。ワタルは家出をくり返し、このときは親との関係性も悪く、親に怒られ殴られることもあったようだ。
そして中学3年生のときには、窃盗と集団道路交通法違反で逮捕されてしまう。家庭裁判所の審判の結果、ワタルは赤城少年院 (群馬県前橋市)に収容されることになった。
赤城少年院は第1種に分類され、ここは中学生を収容することができる。義務教育と同じ授業が受けられるということだ。中学生のワタルはここで半年間を過ごすことになった。
しかし、両親は家裁のこの審判の結果に納得できないと、高等裁判所に不服を申し立てる「抗告」をし、見事認められ、ワタルは実質2ヵ月で少年院から社会に戻れることになった。
抗告とは、裁判の結果に対して不服を申し立てる簡易な上訴手続きで、法律が特に定めている場合に限り申し立てることができる。「司法統計年報」を見ると、令和4 (2022)年中の抗告事件は、受理の総数358件。そのうち、既済 (結論が出たもの)332件、未済 (年末までに結論が出ず、翌年に繰り越したもの)26 件とある。
統計上はここまでしかなく、既済332件の内訳は公表されていないが、親しい家裁調査官、法務教官、保護観察官に聞いたところ、抗告が認められることは一様に「ごくわずか」「めったにない」という反応だった。
少年事件は家庭裁判所の審判で、抗告は高等裁判所の裁判官が判断をくだす。これにより審判の判断基準だけでなく、さまざまな視点で判断されることになる。私自身、多くの少年と出会っているが、抗告が認められたケースは初めて聞いた。ワタルはそのごく稀なケースだったということだ。
文/中村すえこ
写真/AC写真、shutterstock
〈少年院を仮退院後、再び“悪の道”を歩み始めてしまったワタルが語った“現代の暴走族”の実情…そしてテレビから飛び込んできた衝撃のニュースとは…〉へ続く
10/06 12:00
集英社オンライン