本郷和人『光る君へ』なぜ平安貴族は庶民に向き合わないまま、優雅に暮らすことができたの?その理由は単純に…

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大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。8月4日の第30話「つながる言の葉」では夫の死から三年、まひろは四条宮の女房達に和歌を教えながら自作の物語を披露し、都中で話題になっていた。ある日そこに歌人のあかね(泉里香)がやってきて――といった話が放送されました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるシーンを解説するのが本連載。今回は「庶民に目を向けない貴族たち」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

次回の『光る君へ』。まひろに<娘・彰子を慰めるための物語>を書いてほしいと頼む道長。しかしその真の目的は…<ネタバレあり>

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ドラマ内にて大干ばつに襲われた都

現在、お休み期間のドラマ『光る君へ』。

ドラマ内では、一条天皇が定子を失ってから四年経ちました。しかし、天皇はそのショックからまったく立ち直れず、政を疎かにしています。

そうこうしている間に、都が大干ばつに襲われてしまいました。水を巡り、多くの庶民が苦しむ事態に。

そこで、やむなく道長が隠居した安倍晴明に頼み込み、雨ごいをしてもらったことで、何とか危機をしのぐことができました。

しかし干ばつがおさまった後も、一条天皇はさらに定子との思い出に閉じこもり、その思い出を記した『枕草子』にどっぷり。そのため天皇の関心が娘・彰子へ関心を向くよう、道長らも必死に…。

そんな感じで、道長ひとりはあちらこちらへ頑張っている印象がありつつも、基本的にドラマ内の貴族らにとって、庶民たちの生活は二の次の扱いとされている印象があります。

それでも貴族は十分に優雅な暮らしを続けることができている。それはいったいなぜなのでしょうか?

攻められて国が滅んだ場合

国を基準に考えてみましょう。

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強大な他国が攻めてきて、国が滅んだらどうなるか? 

まず、その国で暮らしていた庶民たち。

彼らはこれからも食料なり品物を作り、ずっと支配者層へ上納し続けてもらわないと困るので、滅ぼされることはありません。もちろん、厳しい差別を受け、プライドもずたずたにされて、「生かさず殺さず」の状態に置かれるわけですが。

一方で、支配者層。

彼らへの風当たりは苛酷をきわめます。たとえば王族は滅ぼされるでしょう。だれが新しい王か、民に見せつけるためです。そして万が一、生き延びた王族のもとに<反乱の旗印>として、民が結集すると厄介だからです。

そのうえで、貴族はどうか。

貴族というのは王族を支える者たちですから、これまた排除される可能性が極めて高い。

なかには処世に巧みで、外来の支配者にすすんで媚びへつらい、新しく作られる支配システムの一部に、自身の位置を作り出す者もいるかもしれない。でも、それは少数です。王族との距離が近ければ近いほど、王族と共に排除される可能性が高いと言える。

敵がいるということ

そこでお隣の中国を見てみれば、常に強大な敵と向き合ってきました。

敵の代表は北方の騎馬民族。彼らの襲撃を防ぐために築かれたのが、万里の長城です。

ところが騎馬民族は精強で、長城をものともせずに南下しては土地や人、財産を奪っていく。ときには漢民族の国そのものまで滅ぼしてしまった。

そこで漢民族国家の支配者層は考えます。

強敵に対応するためには、才能の抜擢が不可欠だ。そのために、全国統一のセンター試験を実施することで人材を見つけ、彼らを官僚として国政を担当させよう。そして、その官僚による様々な施策を通じて国を豊かにし、人口を増やして軍隊を強くしよう、と。

そして実際に軍隊を強化し、投入することで、国防を行ったわけです。

外国の脅威を忘れることができた日本

こうした事情を踏まえた上で、日本についてあらためて考えてみましょう。

日本は島国でした。だから敵が攻めてこない。

いや、実際には攻めてくる外国はあったのです。でも陸続きではなかったので、とりあえず忘れることができた。

東アジアとの交流が盛んだった奈良時代や平安時代初期までは、国防は朝廷における重大な関心事でした。しかし、中国の勢力も、朝鮮の王国もなかなか攻めてこなかった。

それで遣唐使が派遣されなくなるころ、朝廷は「外国に攻められたらどうしよう」という恐れをほぼ捨て去ってしまったーー。

それこそが、貴族が民衆に関心を寄せる必要がなくなった理由です。

いわゆる「コップの中の嵐」

民主主義を選択した現在、日本政府は国民に対して責任を持ちます。国民の生活を良いものにしなければ、選挙を通じて、政府のありようは否定される。

ですから、政治家は民衆に向き合わねばならない。たとえそれが選挙の時だけだったり、表面的なものにすぎなかったりしても。

翻って、平安時代の朝廷は民主主義ではない。そのうえ、外国が攻めてこなければ、強い軍隊もいらないのですから、結果として、政が民の生活を豊かに保つという方向にも向きにくくなります。

とすると、行政の質は考えなくていいし、才能を自身の存在理由とする官僚も不要です。天皇を守る盾としては、世襲の貴族がいれば十分。ちなみに世襲のメリットとは、「裏切り者」がでにくいということ。

地位を上げたいがために、政争は常に生じます。でも庶民に比べると、それは「恵まれた者」と「恵まれた者」との抗争、いわゆる「コップの中の嵐」に過ぎず、社会にパラダイムシフトを引き起こすようなものには到底なりえないのです。

整理すれば、生存をかけるような厳しい争いがない。それが平安時代の貴族社会でした。彼らは総人口1000万人のうちのわずか500人にすぎず、自分たちが豊かに暮らせればそれでよかった。

実際に史実を追っても、彼ら平安貴族の中からは「民衆を豊かにすることで、自分たちのもとに収められる税を安定して増大させる」といった初歩的なアイデアすら、ほとんど生まれていなかったようです。

ですので、民主主義の世界にいる私たちが「政治とは民を豊かにするものではないのか!」とか「貴族なんだから、もう少し政治に身を入れたらどうか!」といった批判をするのは、お門違い。

ステーキ屋さんで蕎麦を注文するような行為である、ということになるでしょう。

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