本郷和人『光る君へ』たった12歳で一条天皇に嫁いだ道長の娘「いけにえの姫」彰子。しかし当時の成人式<裳着>の実態は…

戦場へ向かう利家を見送るまつの像。名古屋市(写真提供:PhotoAC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。7月21日の第28話「一帝二后」では、入内させた娘の彰子(見上愛さん)を中宮にし、定子(高畑充希さん)と后を二人にする「一帝二后」をもくろむ道長。周囲の力を借りて一条天皇(塩野瑛久さん)の説得にあたるが――といった話が放送されました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるシーンを解説するのが本連載。今回は「裳着」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を。その生涯とは

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12歳で入内した彰子

以前、ドラマの中で「12歳で入内した」と説明のあった道長の娘・彰子。

その彰子を中宮にするという、いわゆる「一帝二后」をなかなか受け入れない一条天皇を巡り、周囲がすったもんだする様子が前話にて描かれました。

しかし、父親のいいなりのまま自分のもとへ嫁いできたその姿に、一条天皇は自らを重ねあわせると、すこしずつ彰子を受け入れるようになっていきます。

そもそも「12歳で嫁ぐ」とは、現在の感覚からすると、異常なくらいに早い気もしますが、当時の女性は、その頃くらいに成人式をしていたのも事実です。

今回はそのことについて記そうと思います。

裳着

平安時代の貴族の女性の成人式を裳着(もぎ)といいます。

本郷和人先生が監修を務める大人気の平安クライム・サスペンス!『応天の門』(作:灰原薬/新潮社)

女性が12歳から15歳になると行われることが多く、初めて裳を着せるもので、着裳とも称します。

裳は十二単を構成する着物の一つで、お姫様の絵の後ろに伸びている、ひだのあるプリーツスカート状のもの。

いかん。語彙が不足して、うまく説明できません。ググって形状を確かめて下さいませ。

裳着は吉日を選んで執り行い、裳の腰紐を結び、髪を一つに束ねて後ろに流します。また初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を引きます(引眉)。皆さんがよく知る、お姫様のできあがりです。

13歳で天皇との子を産んだ平清盛の娘

12歳から、15歳ということは、子どもが産めるようになったら、ということですよね。

そんなにあわてて大人になることはないのになあ、と僕なんかは思いますが、我が家の姫を天皇の妃に、それで早く皇子を産んで欲しいとか、切実に願ってる貴族たちにしてみると、悠長なことは言ってられないんでしょうね。

平安時代末の平清盛は娘の徳子(のちの建礼門院)を高倉天皇に嫁がせ、徳子はすぐに第一皇子(のちの安徳天皇)を出産しました。

時に徳子は満年齢でいうと13歳。お父さんになった高倉天皇は満で17歳。

12歳で利家の子を産んだおまつの方

若いですねえ。もっとも高倉帝は15歳にして、自分の乳母であった帥局との間に第一皇女をもうけています。経験は十分だったわけですね。

時代は下りますが、加賀百万石のゴッドマザー、おまつの方(芳春院)。

彼女はいとこの前田利家のもとに満11歳で嫁ぎ、翌年には長女の幸を産んだ。

このあとも子どもを次々と産み育て、あとつぎの利長ほか、2男9女の母になりました。

これは利家さん、頭が上がりませんね。天下人の秀吉もおまつを大切にしたといいますが、なるほどなあ、と納得です。

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