新首相・石破茂が考える<安倍元総理の政治手法>。「敵か味方を識別し、たてつく者には冷厳な一面も。しかしその強さは脆さでもあり…」

(写真提供:Photo AC)
2024年10月27日、第50回衆議院議員総選挙の投開票が行われました。今後の政治情勢に注目が集まるなか、10月1日に第102代内閣総理大臣に指名された石破茂首相は、現在の世論について「政治改革に寄せる社会の期待感は、明らかに落ちている印象」と語っていて――。そこで今回は、石破首相が自民党総裁選に先駆けて綴った著書『保守政治家 わが政策、わが天命』より一部引用、再編集してお届けします。

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【写真】「保守はあくまで『ありよう』や『態度』であって、そのものがイデオロギーではありえない」と語る石破首相

安倍総理の政治手法

安倍総理の政治手法は、歴代の総理総裁を思い起こしても、非常に特徴的な点がいくつかあった、と思います。

まず、敵はこうだと明示して賛同者を増やし、錦の御旗は我にあり、という流れを作っていく、という方法。

例えば役所相手では、「財務省は財政規律さえ守れれば国が滅んでもかまわないと思っている人たちだ」、内閣法制局について「憲法解釈さえ維持できれば国のことは考えていない」と仰られていたと言われている。

たしかに、財務省や法制局が政策的な方向性を邪魔するように思われる局面はあったでしょう。今までは私が知る限り、そういった場合でも、政府与党として話し合い、妥協点を探っていくのが常道でした。

しかし安倍総理は巧みにそれを「敵」として扱い、口出しがしづらい環境を作るということに成功された。それによって、民主主義の必須の要素である丁寧な説明はある意味不要になりました。

安倍一強ともいわれた安倍総理への権力集中は、小選挙区制導入による首相権力の強化、という制度的側面もあったと思いますが、安倍総理の個人的な資質によるものも大きかったのではないかと思います。

2005年の郵政選挙で、郵政改革関連法案に反対した議員の選挙区に刺客を立てた小泉純一郎総理の手法はやや安倍総理に近かったかもしれませんが、福田康夫総理、麻生太郎総理は対話による妥協を地道に重ねておられたと記憶しています。

安倍総理の強さは脆さでもあった

2013年、私が幹事長を仰せつかっていた時の参院選では、安倍総理が「広島と静岡で自民党として2人候補者を出したい」と強くおっしゃいました。

しかし私は、「どちらも成功する確率が低すぎます。自民党が2議席独占しようとすれば、きちんと票割りをする必要がありますが、地元の体制としてそれは無理です」と反対しました。

安倍総理もかなりこだわりを持っておられましたが、最終的には私の幹事長としての判断を尊重してくださいました。

そこまでこだわっておられた理由は当時はわかりませんでしたが、その6年後、19年の参院選では、広島選挙区にまさに自民党から2人候補者を出し、2人のうちお一人が落選されました。

それが、第一次内閣で安倍総理を批判したとされる溝手顕正さんで、当選された河井案里さんが、夫の元法相・河井克行さん共々、その後公選法違反で逮捕され、河井陣営に自民党本部から巨額の資金支援が行われていたことが明らかになったのはご承知の通りです。

『保守政治家 わが政策、わが天命』(著:石破茂 編集:倉重篤郎/講談社)

安倍総理は、郵政民営化に反対して離党した造反組を復党させたり、情にもろい部分もあったと思いますが、一方で、たてつく者に対しては冷厳な一面も持ち合わせておられました。それは本来保守がもつべき寛容とは違った、非常にユニークな強さだったと思います。

敵か味方かを識別し、敵を一斉に攻撃するのは、たしかに地道に議論を重ねて妥協点を見出すよりも早くてドラスティックかもしれません。しかしその強さは脆さでもある。

意見が出ない組織、単一的でモノトーンな組織はものすごく危ないのです。それは、ビッグモーターやジャニーズ事務所の例の通り、自浄作用が働かない。

うまくいっている時は勢いよくのぼっていけますが、何らかの問題を内包した途端、その問題に毒されていく速度も非常に速い。

保守は「態度」、イデオロギーではない

そして、それに呼応する勢力が一定程度ある。世論の大勢も、ある意味で性急なトップダウン手法を歓迎していく。

これに待ったをかけるような発言をすれば、ネット上で「死ね」とか「左翼」とか「売国奴」とか、ののしられる日々が続きます。いくら叩かれ慣れている私でも、あまり楽しい話ではありません。

それで、やっぱり苦言を呈するのはやめておこう、あるいは3回言おうと思ったけど1回だけにしておこう、ということになってしまったら、民主主義の前提である健全な言論空間が失われてしまうのです。

保守というのは、本来、性急な変化を希求する「革新」に対してブレーキをかけつつ、今までの社会の良さを残しながら漸進しようというスタンスです。

保守は、ですからあくまで「ありよう」や「態度」であって、そのものがイデオロギーではありえないし、一定のイデオロギーを前面に出して性急な変化を求めるのであれば、それはおそらく「右翼」というのでしょう。

だから私に対して人格攻撃的な批判を展開するような人々は、どんなに「保守」を自称しようとも、決して「保守」ではありえないのです。

「自称保守」の人々が問題にしなかったできごと

そういった「自称保守」の人々がまったく問題にしなかった、北方領土関連のできごとがありました。

領土問題を所管する内閣府の入るビルの側面には大きな看板があり、以前は「北方の領土かえる日平和の日」という標語が掲げられていたのですが、いつの間にかこれが「北方領土(ふるさと)を想う。」という意味不明の、何の意志も感じられない不思議なものに変えられていました。

いつ、どのような理由で「想う」となったのか、定かではありませんが、日ロ間の首脳会談が頻繁に行われるようになった時期ではなかったかと思います。

北方領土は、国際法違反の暴力的行為によって不当に占拠されている我が国の領土であり、この返還なくして、平和条約の締結もないし、真の意味での日ロ間の平和は到来しない、という強い認識を国民が共有することこそが必要です。

この件に関する報道は、自称保守系メディアにはほとんど見られませんでした。ロシアを刺激してはならない、という忖度が働いたのだとすれば、それは本末転倒というべきものです。

その後、自民党の外交部会や国防部会で何度かこの不当性を指摘したこともあってかどうかわかりませんが、また元の標語に戻り、ひとまず安堵しております。

※本稿は、『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の一部を再編集したものです。

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