新首相・石破茂が<野党>に期待すること。「野党自民党には迫力があったが、最近の野党は元気がない。与野党はお互いを高め合う関係であるべきで…」

(写真提供:Photo AC)
2024年10月27日、第50回衆議院議員総選挙の投開票が行われました。今後の政治情勢に注目が集まるなか、10月1日に第102代内閣総理大臣に指名された石破茂首相は、現在の世論について「政治改革に寄せる社会の期待感は、明らかに落ちている印象」と語っていて――。そこで今回は、石破首相が自民党総裁選に先駆けて綴った著書『保守政治家 わが政策、わが天命』より一部引用、再編集してお届けします。

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【写真】「野党の背後にいる主権者へのリスペクトが次第になくなってしまう。これが最も恐ろしい」と語る石破首相

野党がダメだと与党もダメになる

政治が信頼を失った背景として、野党の皆さんの元気のなさは挙げざるをえません。

与野党関係というのは、できるだけお互いに高め合わなければならない関係ですが、今はいわばお互いに低め合うような状況だと思います。

特に、野党第一党の立憲民主党には、もっと堂々としていてほしい。

「立憲共産党」と言われただけで、「もう共産党には近づきません」みたいな反応をしていますが、「どこが立憲共産党なんですか。私たちは自衛隊廃止とか天皇制廃止とは言わない。党としては全く違う。それでも、今の政治を変えるためには共産党との協力が必要なんです」と言えばいいと思うのです。

野党がダメだとやがて与党もダメになります。野党の背後にいる主権者へのリスペクトが次第になくなってしまう。これが最も恐ろしいことではないでしょうか。

野党が弱く、「自民党」という旗と風だけで勝ててしまったら、地元で5人、10人を集めて小会合を開くことで、一票一票拾っていくという、民主主義の根本であるグラスルーツ(草の根)的活動をすることにも意味を見出せなくなります。

最近の野党について感じること

私は衆院予算委員会の委員を務めていました。テレビの国会中継では、いつも質問者の後ろに映っているのが見えたと思います。

別に映りたいと思っているわけではなく、「あいうえお順」でたまさか私の席がそこにある、というだけの話なのですが、国会で晴れ舞台といわれる予算委員会の審議を長年聞き続けてきた議員の一人であることは間違いありません。

その私から見て、最近の野党について、感じることを率直に申し上げます。

まずは、野党らしさが失われている。国民からの批判を恐れてか、「対決より解決」「提案型」にこだわり、まるで与党議員の発言のようで、野党としての存在意義が感じられないことが多くなっています。

対する閣僚が事務方の用意した答弁をそのまま読み上げても、二の矢、三の矢で議論が深まることも滅多にありません。

「丁寧なご答弁をいただきありがとうございます。時間もないので次の質問に移ります」とあっさり引き下がる人が多いことにも驚かされます。

『保守政治家 わが政策、わが天命』(著:石破茂 編集:倉重篤郎/講談社)

予算委の質疑を聞いていてもう一つ気になるのは、最初から各論を問う場面が多いことです。つまり、大きな問い、本質的な議論に挑むというより、細かい政策についての話が多い。

しかし、各論では政府にかなうはずがないのです。持っている情報量も圧倒的に多いし、細かい政策の話だと選択の幅が狭くなるので、野党が大きな違いを示すことはとても難しい。野党議員には、現実政治に責任を持つ与党にはできないような大局的、かつ根源的な議論をしてほしいのです。

例えば経済政策。この10年続けてきたアベノミクスの検証を広範に提起する。これはなかなか政府与党にできるものではありません。野党だからこそ問いかけられることです。

立憲民主党はアベノミクスの検証報告書なるものを作ったはずですから、それを党を挙げてあらゆる質疑に活用し、政府与党の襟を正させるような問題提起をしてほしい。

外交・安全保障政策の議論

外交・安全保障政策も同様です。岸田政権が打ち出した敵基地攻撃能力の造成について、国会での議論はなかなか深まりませんでした。

しかし、明らかにすべきことは多々あるはずです。例えば「敵基地」の範囲をどう捉えるか、専守防衛との関係をどう整理するのか。

政府は「日米の役割分担は基本的には変えない」と答弁しましたが、従来の「米国が矛、日本が盾」という分担は、他国への一定の攻撃能力を備えることで当然に変わるはずですから、「基本的」とすべき部分はどこなのか、つまり変わらない部分は何かを詰めるべきなのです。

与党内の議論では必ずしも十分ではなかった点こそ、野党が本質的議論の担い手として質疑してほしいのです。

私が閣僚を務めていた小泉・福田・麻生内閣時代の野党の予算委員会での質問は、岡田克也氏、前原誠司氏、長妻昭氏等の名だたる論客が質問に立ち、一人が最低でも1時間、多い時は2時間近くの質疑時間を使って鋭い質問を政府に浴びせていました。

我々閣僚は時計を見ながら早く時間がたたないかと念じていたのですが、そのような時にはなかなか時間が進まないように思った記憶があります。

ベテラン閣僚の中には、わざと論点をずらして時間稼ぎをするテクニックを得手とする人もいたのですが、一人の持ち時間が多いとこの技もあまり効果を発揮せず、畢竟真剣勝負にならざるを得ませんでした。

野党時代の自民党には迫力があった

野党にかくまで注文を付けるのは、我々自民党もまた野党になった経験を持っているからです。細川政権の約1年、民主党政権の3年余がそうでした。

自画自賛のようで恐縮ですが、野党自民党にはなかなかの迫力があったと記憶しています。民主党政権時の総裁は谷垣禎一先生、幹事長が大島理森先生で、私は政調会長を拝命していました。

下野した当初、我々はもう10年近くは与党になることはできない、という大変な焦燥感に駆られていました。とにかく自民党に国民の信頼を取り戻さなければならない。そのためにできることは何でもやる、という気概が、執行部にもわずかな党所属議員にも共通していたように思います。

我々は施策の一つとして、党の政策立案能力に重点を置き、国会審議を主戦場としました。従来の慣行を無視して政調の部会長に若手をどんどん抜擢し、国会でもテレビ中継のある予算委をはじめ、どの委員会の人事でも、政策能力、質問能力の高い者を登用し、民主党政権と侃々諤々の議論に持ち込むよう努力しました。

ですから例えば、環境部会長には、齋藤健先生、経産部会長にはまだ当選2回だった平将明先生、法務部会長には森まさこ先生が就任しました。現職の民主党の大臣と対峙し議論して勝てる、そういう人選でした。

予算委員会でも、質問者を質疑能力の高い議員に絞り、数日をかけて質問を練り上げる努力をしました。論ずべきテーマや資質を問うべき閣僚などの目標を明確に定め、徹底的に民主党政権を追及し、それなりの成果を挙げました。

野党時代の苦難を知る者として

この時、野党一般にありがちな、重箱の隅をつつくような質疑は慎みました。また逆に、「この件について総理のご意見を伺います」というような質問も無駄。中長期的視野からその問題をどう捉え、どう大局的な議論を組み立てるかにも腐心しました。

質疑というより、ディベート(討論)の場となるよう、心がけました。日本ディベート研究協会の代表である北岡俊明さんを呼んで、予算委が終わった後に講評と、次回へのアドバイスをいただいたりもしました。

それは手練手管で上手に立ち回る、ということではなく、国会中継を見ている人に対して自民党は野党になって過去をきちんと反省した、人材も豊富だし、政策立案能力もさすがだ、と思ってもらうために誠心誠意努めました。

そういった積み重ねがあったからこそ、民主党政権3年余の後、比較的スムーズに自民党に政権が移行したのだと思っています。

このような努力が、今の野党には決定的に欠けているのです。

今の自民党議員で野党時代を知っている人はもう、半分ほどになりました。安倍一強の時代しか知らない先生方には、野党時代のことなど話されても、あまり実感はないでしょうし、野党に勢いがある、という状態のイメージもつきにくいのかもしれません。

しかし、今のまま野党が駄目なら、与党議員はだんだんと自分たちと違う意見に対するリスペクトを持てなくなり、権力政党としての思い上がりを自省する機会も持てなくなります。

与野党がお互いを高め合う、より健全な関係を作り上げるために、野党に注文を付け奮起を期待するのは、野党時代の苦難を知っている者としての責務ではないかとも思っています。

※本稿は、『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の一部を再編集したものです。

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