《宗田理さん最期のインタビュー》4年前に12歳年下の妻と死別「僕のほうが長生きするとは…」左目失明抱え70歳からパソコンで執筆、死の直前まで机に向かい続けた生涯

生前インタビューに応じた宗田先生

 原作小説が世に出てから40年近くを経ても、今なおアニメ映画や舞台作品などに翻案され続けている『ぼくらの七日間戦争』。実写映画は1988年に公開され、宮沢りえ(51)の女優デビュー作としても知られる。原作は宗田理さんの同名ベストセラー小説で、親や教師など大人への反発と自立へと歩き出す中学生の姿が生き生きと描かれている。これほど長く愛されている秘密はどこにあるのか。4月8日に95歳で亡くなった宗田さんに、その約10日前の3月29日、名古屋市内の事務所で話を聞いた。第3回は元気で長生きし、作品を書き続けられた秘訣などについて。【全3回の第3回。第1回から読む

【写真】『ぼくらの七日間戦争2』公開時のサイン会での宗田さんの様子ほか、若かりし頃の写真など

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 この3月に出した『ぼくらのイタリア(怪)戦争』の後編『ぼくらの(魔)大戦』を、夏に上梓する予定。執筆は座って手を動かしているだけのようにみえて体力が必要で、95歳の身体には重労働だろう。年齢が上がれば、集中力も続かなくなるもの。執筆意欲を維持するのも難しいはずだが、「いや、何てことないですね」と、宗田さんは涼しい顔だ。

 実は、宗田さんの左目は、高齢によりほぼ視力を失っている。書く意欲を削がれても不思議はない。しかし、「元来、落ち込むことは少ないです」と、たくましい。いったい、どのように体力・気力を維持しているのだろうか。

「仕事柄、不規則な生活になりがちと思われるかもしれませんが、長年、規則正しい生活を続けています。それが良いのではないか、と思います。それから、無理しない。これも良いのかもしれません」

 食事は1日3食。まぐろが好物で、食べられないものはなく何でも食べ、朝はおかゆ、昼はサンドイッチなど軽食、夜は少量だが白米に肉や魚をいただくという。酒はまったく飲めず、タバコは30~40代の頃にやめた。

「生活は、若い頃から朝型です。朝5時には起きて、新聞を読み、午前中はパソコンに向かって原稿を打ちます。午後からはソファでゆっくりくつろいで、本を読んだり、映画やテレビを見たり、ネットショッピングをしたりして、夜は8時か9時には寝ます。楽しみながら穏やかな日々を過ごしています」

 なんと、原稿は手書きかと思えば、パソコンを使いこなしているのだそうだ。

「パソコンで原稿を書き始めたのは、70歳からです。一度パソコンで書き始めたら、もう手書きには戻れませんね(笑)。検索をしたり、書き直したりするのに便利ですし、以前は取材旅行に出かけ海外のホテルに長期滞在して執筆することも多く、手書きのときは原稿用紙をたくさん持っていかなければいけないので大変でした。パソコンなら1台持っていけばいいのでラクになりましたね」

 手書きするのとキーボードを打つのとでは文体が変わる、などという作家の声をかつては聞いたが、宗田さんには無縁の話のようだ。新しいものを受け入れる柔軟さがあることも、長く書き続けられる秘訣なのだろう。

 作品の着想はどこから得ているのだろうか。

「人との会話、本や新聞、テレビのニュース、ショッピング……目にしたものの、ほんのちょっとしたきっかけから思いつきます。時間帯で一番多いのは早朝。まどろみながら、あれこれ考えているのだと思います。3時か4時頃に目を開けたときに、フッと出てきます。そうかと思えば、いろいろなアイデアが溢れ出て、目覚める朝もあります。

 日常のなかから着想が生まれるので、自然と取り扱うテーマは、その時代が反映されます。近い将来に起こりそうだ、と危惧するような事件などを空想して書いている場合もあります」

 これまで出版した本は、200冊近くにのぼる。尽きない創作意欲は、丈夫な身体と今も強い好奇心が源泉だったようだ。

宗田さんが語った「家族」

「僕の長男はやんちゃで、学校では叱られてばかり。おかげで中学生活や教師たちの実態を描くのに大変参考になりました。次男は古舘伊知郎さんのプロレスの実況中継の真似なんかをメモしてよくやっていたので、『ぼくら~』に出てくる天野君のモデルともいえます(笑)。今は孫の行動が参考になっています」

 宗田さんは当時としては晩婚で、36歳のとき、愛知県蒲郡市出身の12歳年下の会社員と結婚。2男1女に恵まれ、現在、小学生の孫娘が1人いる。

「僕は弟1人、妹4人の6人きょうだいの長男で、弟が『職場にいい人がいる』と言って紹介してくれたのが、女房です。利発で、どこかユニークで、正直な女性でした」

 夫人も宗田さんをすぐに気に入って結婚。夫人は4年前に80歳で亡くなったが、夫婦仲はずっと良かったという。

「女房の生前は、女房と毎日、午後に散歩兼ショッピングに出かけていました。80代で背骨を圧迫骨折し杖をつくようになってからも、あちこちの百貨店に出かけました。洋服やバッグ、食器に額絵に健康器具、かわいい動物の置物など、気に入ったものやおもしろそうなものを見つけては買い、本屋に立ち寄り、最後にデパ地下で美味しそうなものを選ぶ──そんな毎日を長いこと続けていました。

 今は外での移動は車椅子になってしまい、テレビやネットでショッピングを楽しんでいますが、ショッピングが大好きなので、今も家族の運転でアウトレットモールやショッピングモール、魚市場などに出かけて行き、車椅子を押してもらいながら楽しむこともあります。

 12歳も年下の女房と結婚したので、まさか僕のほうが長生きするとは思っていませんでした。今はいつもそばで世話をしてくれる娘が、母親みたいに良くしてくれます(笑)」

5年前に患った「がん」との闘い

 家族に支えられ、充実した人生を送っている宗田さんだが、5年前にはがんを患い生死をさまよったという。

「転倒して大腿骨を骨折し、手術を無事終えてまもなく退院、というタイミングでがんが見つかりました。一刻も早く手術をする必要がある状態でしたが、運良く、大変信頼できる医師のチームにかかり、緊急手術は成功。ところが、意識が回復するまでに10日ほどかかり、家族と医療スタッフの方々に心配をかけたそうです。僕自身はまったく覚えていないのですが(笑)」

 意識が戻ったときのエピソードがおもしろい。何度呼びかけても返事をせず、眠ったように目を閉じている宗田さんの耳元で、家族が坂本九の歌う『上を向いて歩こう』を流すと、突然、歌い始めたのだ。そして、「もぅ、うるさいな。これでいいんだろう」と言ったのだとか。しかし、闘病はまだ続いた。

「入院生活が6カ月目にかかる頃、体調が急変し、集中治療室に逆戻り。『今度こそダメだ』と家族は覚悟したそうです。でも、約2週間で復活しました(笑)。結局、入院生活は9カ月に及びました」

 執刀医をはじめ、宗田さんの命を救った医療チームには、宗田さんの本を読んで育った医師や看護師が何人もいたという。

「みんなが回復を喜んでくれました。本当に嬉しく、ありがたかったです。

 親世代になった昔の読者が、最近になって、『人生の節目に』と手紙をくれることがあります。また、『親から勧められた』という若い読者からメッセージをもらうことも多く、長生きしたから味わえた喜びだ、と思っています」

 2018年にスタートした「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」(主催:NPO法人こどもの本総選挙事務局)。『ぼくらの七日間戦争』は第1回に8位に、2022年の第2回に9位にランクイン。宗田さんの作品が世代を越えて読み継がれている。作品とともに、宗田さんのたくましい生き様も、今も多くの人を力づける──。

(了。第1回から読む

 

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