ロイ・ハラデー〜名投手は死なず、彼が託した未来〜 MLB「この人を見よ」(3)

11/27 15:45 au Webポータル

 ロイ・ハラデーが死んだ。40歳。あまりにも早すぎる死だった。どうやら自ら操縦していた小型機が墜落したらしい。制球力と変化球を見事に操る彼らしくない死に方だ。
 ハラデーの引退は、その死と同様に早かった。36 歳。理由は背中のケガだった。もともと故障の多い彼だ。それだけに、最後の2年間を苦しめたそのケガは、通算203勝の大投手を限界へと追い込んだ。
 もう一つ、彼の引退を早めた理由がある。それは家族との時間を大切にするためだ。「野球というのは、あまりにも移動時間を必要とするんです。移動のあいだ、僕は家族や愛する人々と離ればなれになる。僕は、その時間を夢に向かって進み始めた子供たちをサポートするために使いたいんです」
 引退の理由を彼はそう語っていた。でも、ハラデーは死んだ。もう、こんな悲劇は起こってほしくない。

米大リーグ地区シリーズ  レッズ戦でノーヒットノーランを達成し、観客に応えるフィリーズのハラデー 写真:共同通信

パーフェクト・ハラデー

 ハラデーが亡くなった次の日の夜、彼が所属したフィリーズの地元テレビ局は、彼を追悼するために特集を組んだ。“パーフェクト・ハラデー”。もちろん内容は、2010年にハラデーが達成したパーフェクト・ゲームだ。
 試合は、わずか2時間余りだった。敵地にもかかわらず、回を追うごとに大きくなる歓声。それは、8回あたりからハラデーがストライクを取るごとに沸き起こった。実況は急いで調べ上げた過去の記録を興奮気味に読み上げる。「フィリーズのピッチャーが最後にパーフェクト・ゲームを達成したのは1964年の6月21日です!」
 ゲームセットの瞬間、彼のもとに集まるチームメートやコーチ陣。ハラデーに最初に抱きついたのは、キャッチャーのカルロス・ルイーズだ。輪の中心にいるハラデーは安心したように笑顔を浮かべ、仲間たちと何か言葉を交わす。まったく夢のような、とても感動的なシーンだった。
 ハラデーのインタビューが終わると、突然画面が切り替わる。二人のキャスターとハラデーの写真、そして追悼を意味する“Remembering”の文字。
 そう、ハラデーは死んだ。それが現実だった。適当な言葉が見つからない。

ハラデーは死なず、彼が託した未来

 ハラデーは亡くなる前日まで、フロリダにあるフィリーズの下部チームで若手選手を教えていた。今年の3月、球団が彼をメンタル・トレーニングのコーチとして採用していたからだ。彼のオフィスには高価なマッサージチェアがあり、そこに選手を座らせて会話をする。とてもシンプルで、フランクな方法だが、それが彼のやり方だった。
 フィリーズは、そんなハラデーの方法をより発展させ、練習のプログラムに取り入れたいという。「いずれ選手のみんなは、このプログラムの由来がどこなのか知るだろう。それと、なぜこの練習をするのか、その理由も知るだろう。これが、我々の感謝のしるしなのだ。彼がどんな人間で、どんな風にしてフィリーズを助けてくれたのかを示すためのね」
 そう言ったのはフィリーズの育成担当者だ。そう、かたちを変えて、ハラデーはこれからも生き続ける。

 最後にもう一つ、ハラデーが残したものがある。
 ハラデーの死から一週間、彼が愛したフィリーズのキャンプ地で追悼セレモニーが開かれた。ハラデーの家族や球団のオーナー、それから彼がパーフェクト・ゲームを達成したときに喜びを分かち合った仲間が、思い思いの言葉を送った。そのなかで、ハラデーの奥さんの言葉がとても印象的だった。彼女は、彼がいかに球団や仲間を愛し、それから家族を大切にしていたかを、涙をこらえながら語った。そして、彼女は最後に言った。「確かにあなたが恋しい。でも私たちの中に、あなたはまだいるの。店を始められるくらい多くの葉巻だとか、ガレージいっぱいの飛行機のプラモデルだとか。あと、あなたは隠せてると思ってただろうけど、家にはあなたのアイスクリーム・サンドのストックもある。それに、なによりも、私はこれからも毎日あなたに会うことができる。私は、あなたのことを思っているから」
 そう、ハラデーは生き続ける。彼が尽くした愛情がいつまでも残っているから。(棗 和貴)

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