“世紀の誤審”から24年…篠原信一が柔道を離れてたどり着いた「意外な天職」

開幕後、日本代表のメダルラッシュに沸くパリ五輪。表彰台の真ん中で勝者が喜びを爆発させるいっぽう、悔し涙を流す選手もいるのが勝負の世界だ。

「審判の『待て!』がかかった後も6秒間にわたって相手選手が締め技をかけ続けたため、失神し、一本負けとなった柔道男子60キロ級の永山竜樹選手の試合に関しては、『誤審ではないか』という声がくすぶり続けています。このほかにも、残念ながら後味の悪い結果になっている競技も出ています」(スポーツ紙記者)

24年前のシドニー五輪で“世紀の誤審”と騒がれたのが、柔道男子100キロ超級、篠原信一選手とフランスのダビド・ドイエ選手の決勝戦だ。’88年ソウル大会以来の斉藤仁氏以来となる最重量級金メダルの大きな期待がかかった一戦だった。

試合開始から1分半が経過したころ、ドイエ選手の内股を篠原選手が“内股すかし”で切り返し、快挙達成かと思われた。しかし、副審が篠原選手の1本を宣告したものの、主審はドイエ選手の有効と主張(もう1人の副審は判定なし)。主審の判定が採用され、ドイエのポイント(有効)で試合は続行されたのだ。焦った篠原はその後試合のペースを握ることができず、敗戦という結果になっている。この件に関しては高度な返し技を主審が見抜けなかったことが原因とされ、国際柔道連盟は後に『ドイエの有効は誤審』との見解を発表している。

まさかの誤審で敗れた銀メダリストの篠原信一さん(51)は、現在は柔道から離れ、大自然に囲まれた信州・長野県でブルーベリー農家として第二の人生を送っている。

長野県中部の安曇野にあるその名も「しのふぁ~む」は、篠原さんが経営するブルーベリー農園。5000㎡の敷地に2000本近いブルーベリーの果樹が植えられ、有機肥料と減農薬栽培にこだわって栽培しているという。

「驚くのは有名人にありがちな名義貸しではなく、本人自らが農園に出て毎日作業していることでしょう。篠原さんは19年にこの地に家族で移住してきましたが、ブルーベリー農家へ教えを請いに行き、栽培方法を一から学んだと聞きます。土壌作りから苗の植え付け、収穫まで自らで作業し、いまでは畳ではなく土の上で汗を流す日々だそうですよ」(地元農業関係者)

農園の公式ホームページには、ユンボに乗って作業する篠原さんの映像も掲載されている。現役時代は外国人選手にも見劣りしない190cmの体格を誇った篠原さんがユンボの小さな運転席におさまる姿は何ともほほ笑ましい。いまでは20トントラックの運転やチェンソーの操作もお手のもののようだ。農園では直売や収穫体験などは行われていないため訪れることはできないが、篠原さん自慢のブルーベリーは地元のホテルや神戸の洋菓子店、成城石井などのスーパーで販売されている。

篠原さんは03年に現役を引退すると、2010年代には同い年の中居正広と複数回にわたって共演し、イジられキャラとしてバラエティ番組でも活躍した。現在は長野放送の情報番組『土曜はこれダネッ!』に「篠原信一の信州農ライフ」というコーナーを持ち、農家目線で地元の野菜や料理の紹介も行っている。そこではバラエティで培ったトーク力も発揮されているようだ。一昨年からは安曇野市の移住大使にも就任している。

柔道男子から農業男子へ、舞台を移しても、真剣勝負のスタイルはそのままだ。

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