リブゴルフ勢の低迷をよそに全米OP制覇のデシャンボー “変人”は「感謝」「謙虚」「ファン第一」の男に生まれ変わった!?

今年の全米オープンを制したのはリブゴルフ勢のブライソン・デシャンボー。同ツアーの選手のメジャーでの成績が低迷するのをよそに、なぜデシャンボーだけが安定して活躍できるのだろうか。

「2022年頃はキャリアのどん底だった」そしてリブへ…

 ノースカロライナ州の難コース、パインハーストで開催された今年の全米オープンは、ブライソン・デシャンボーの見事な優勝で幕を閉じ、リブゴルフ選手によるメジャー大会制覇は、昨年の全米プロで優勝したブルックス・ケプカに続く2つ目の勝利となった。

2度目の全米オープンタイトルを獲得し、ファンと喜びを分かち合うブライソン・デシャンボー 写真:Getty Images

2度目の全米オープンタイトルを獲得し、ファンと喜びを分かち合うブライソン・デシャンボー 写真:Getty Images

 リブゴルフ選手は「破格の契約金や賞金に引かれて移籍した」「予選カットのない3日間54ホールの大会ばかりをプレーしていたら、4日間72ホールの戦いでは通用しなくなる」と言われていたが、実際は昨年も今年もメジャーチャンピオンを輩出。

 とはいえ、リブゴルフ選手全員がメジャー大会で好結果を出しているというわけではない。今年の全米オープンには12名のリブゴルフ選手が出場したが、かつて全米オープンを何度も沸かせたフィル・ミケルソンダスティン・ジョンソンらはあえなく予選落ちとなり、予選通過を果たしたのは8名だった。

 その中で、デシャンボーの優勝だけは突出していたが、その次に成績が良かったのはセルヒオ・ガルシアの13位。そのまた次はティレル・ハットンの26位タイ。そしてケプカの30位タイ、キャメロン・スミスの32位タイと続き、残る3名も下位で終わった。

 リブゴルフ選手たちの世界の舞台における成績は明らかに低下傾向にある。しかし、デシャンボーだけは、今年4月のマスターズでロケット発進を切って6位タイとなり、5月の全米プロでも優勝争いを演じて単独2位、そして全米オープンでは大会2勝目を達成。明らかに上り調子にある。

 リブゴルフ選手の中で、なぜデシャンボーだけは上昇気流に乗っているのかと考えたとき、リブゴルフ選手になってからの動きだけではなく、もっと長いスパンで彼の人生やキャリアを振り返ってみれば、デシャンボーの強さの秘密は自ずと見えてくるはずである。

 リブゴルフへ移籍した選手たちの多くは、すでに米欧ゴルフ界で地位と名誉を手に入れ、そこにリブゴルフとの破格の契約金や賞金が加わっているせいか、彼らのモチベーションはどうしても低下傾向となり、練習の質や量も下がり気味なのではないだろうか。だからこそ、メジャー大会における彼らの活躍は、一昨年より昨年、昨年より今年という具合に明らかに低下しつつある。

 しかし、デシャンボーはむしろキャリアの「ローポイント(低い位置)」にあるときにリブゴルフへ移籍したことと、探求心と向上心が旺盛な性格も手伝って、移籍後も試行錯誤をやめることなく前進し続けている。

 デシャンボーの歩みをざっと振り返れば、2015年に全米アマを制覇し、16年にプロ転向した当初の彼には、常に好奇の視線が向けられていた。独自の理論を堂々と披露し、同一レングスのアイアンを手にしていた彼は、異才を携え、異彩を放っていたせいか、ジェラシーを抱かれることも少なくなく、皮肉を込めて「マッド・サイエンティスト(狂った科学者)」と呼ばれていた。

 そんなキャリアの始まりには、彼のパターがUSGAの規定に「不適合」と判定されたり、パッティングスタイルも、ピンブラッグの方向を確認するために使用していたコンパスも、「あれはルール違反では?」と、一般のゴルフファンやメディアから指摘され、そのたびに物議を醸した。

 そんな中でも、彼は17年の初優勝を皮切りに勝利を重ねていったのだが、今度はスロープレー常習者というレッテルを貼られ、PGAツアーでは、ほぼ毎試合、いやほぼ毎ラウンド、計測対象にされた。

 コロナ禍でツアーがしばし中断された際、1日にステーキ6食、プロテインドリンクを6杯飲んで肉体を巨体化させたことは記憶に新しい。あの巨体化作戦は、自身のパワーと飛距離を最大化させるためにデシャンボー自身が選んだ新たなチャレンジだった。

 実際その効果は見られ、巨体化したジャイアント・デシャンボーは20年全米オープンを含む3勝を挙げ、通算8勝を収めた。

 しかし、ほどなくして手を故障すると、彼の成績は急降下。

「2022年頃はキャリアのどん底だった」

 デシャンボーがリブゴルフへ移籍したのは、そんな「どん底」の年の夏だった。

「フェアウエイ、グリーン、そして2パットを目指すのみです」

 新天地に身を置いてからというもの、デシャンボーは「僕は考え方を大きく変えた。いや自ずと変わった」という。

 ゴルフをパワーで凌駕することはできず、「自分は単なる1人の人間であることを痛感させられた」と振り返ったデシャンボーは、謙虚な姿勢を心掛けるようになり、チームの面々のサポートやファンの応援に心から感謝するようになった。

 PGAツアーとリブゴルフの激しい対立を目の当たりにする日々の中、「プロゴルファーはファンと一体となってゴルフというゲームを一緒に盛り上げ、大きく育てていかなければならないと思うようになった」。

 とりわけ今年の全米オープンは、デシャンボーが幼少時代から憧れていたペイン・スチュワートが1999年大会で勝利を挙げたパインハーストが舞台だった。

 スチュワートはあの優勝からわずか4カ月後に飛行機事故で帰らぬ人となってしまったが、デシャンボーはそんなスチュワートに憧れ、スチュワートと同じSMU(サザン・メソジスト大学)に進学し、その後にプロになった。

 そして今大会では「ペインが勝った場所で、ペインの魂を感じながら、ペインのように僕も勝ちたい」と思い、同時に「在りし日のペインのように、大観衆を楽しませるエンタテイナーの役割を果たしたい」と願っていた。

 これほど明確な目標を掲げ、これほど強い向上心を抱き、これほどファンのため、ゴルフ界のために力を尽くそうと意を決していたことは、デシャンボー自身のメンタル面を自ずと強固にしてくれていたのだと思う。

 そこに大観衆の拍手と歓声が加わり、「みんなの応援が僕のさらなる力になった」。

 その力はデシャンボーが人々にたくさんの優しさとサービス精神を捧げてきたからこそ、自ずと人々から彼に授けられた「お返し」だったのではないだろうか。

 今大会の3日目を終えたときメジャー大会で初めて54ホール・リーダーとなったデシャンボーは、少々緊張した面持ちで「明日の最終日は、フェアウエイ、グリーン、そして2パットを目指すのみです」と語った。

 しかし、いざ臨んだ最終日、デシャンボーのドライバーは乱れ気味となり、砂地に雑草が生い茂るネイティブ・エリアに何度も転がり込んだ。

 12番でパーを拾い切れず、ローリー・マキロイにリードを許して2打差の2位へ後退したとき、デシャンボーの力になったのは、大観衆の声援だった。

「ギャラリーの『ブライソン、ブライソン』の声に背中を押してもらった」

 だからなのだろう。72ホール目でグリーン右サイドのバンカーから見事にピン1メートルへ付けたとき、デシャンボーは大観衆に向かってガッツポーズを取り、ウイニングパットを沈めた後も、ギャラリースタンドに向かって何度も拳を握り締めた。

 優勝トロフィーも大観衆に向かって高く掲げ、「サポートしてくれてありがとう。パインハーストのギャラリーは世界一だ」と感謝の言葉を口にした。

「今日の僕のドライバーショットはベストではなかった。でも、僕はみんなと一緒にゴルフを大きく育てていきたい。そのために歩を踏み出すことができた今、ゴルフ界の未来が楽しみでたまらない」

 全米オープン2度目の制覇という自身の偉業にはほとんど触れず、「ゴルフ界の未来が開けた」と喜んでいたデシャンボー。リブゴルフ選手の中で、ただ一人、猛威を振るっている強さの秘密は、大きな心、広い視野を抱き、たゆまぬ努力を続ける彼の姿勢と謙虚で優しい人間性にあるのだと確信できた。

文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。

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