元大関・貴景勝が現役引退を発表 年寄・湊川を襲名 大関在位30場所 首など度重なるけがに泣く…21日に会見

貴景勝

 日本相撲協会は秋場所13日目の20日、元大関の関脇・貴景勝(常盤山)の現役引退と年寄「湊川」襲名を発表した。14日目の21日に会見を開く。師匠の常盤山親方(元小結・隆三杉)が、この日の午前に協会へ引退届を提出したことを明かしていた。師匠によると、11日目(18日)に貴景勝本人から引退の意向を伝えられたという。

 9度目のカド番で迎えていた7月の名古屋場所では5勝10敗に終わり、2度目の大関陥落。10勝すれば1場所での大関復帰がかなう秋場所は連敗スタートで、3日目から休場となっていた。

 兵庫・芦屋市に生まれ、報徳学園中3年時には中学横綱のタイトルを獲得し、日本一に輝いた。名門・埼玉栄高に進学し、全国高校総体団体優勝や全日本ジュニア体重別100キロ超級、世界ジュニア無差別級制覇など数々の栄冠を手にした。

 当時の貴乃花親方が師匠を務めていた貴乃花部屋に入門し、高校在学中の2014年秋場所に本名の「佐藤」のしこ名で初土俵。突き押しを武器に番付を駆け上がり、16年夏場所で新十両、17年初場所の新入幕を機に、当時の師匠が好きな戦国武将の上杉景勝が由来となる「貴景勝」に改名した。18年初場所で新三役に。貴乃花親方の退職に伴い、同年10月に千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)に移籍後、小結だった九州場所で初優勝。22歳3か月での優勝は1958年の年6場所制以降の初土俵で年少6位の記録だった。

 19年春場所後には大関に昇進。初土俵から所要28場所は年6場所制以降では、幕下付け出しを除いて6位のスピードだった。伝達式の口上では「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」など述べ、決意を示した。

 突き押し一本で横綱を目指すべくさらなる奮起を期したが、大関昇進後はけがとの闘いを強いられた。新大関の19年夏場所では右膝関節内側側副靱帯(じんたい)損傷の損傷で5日目から途中休場。8日目から再出場したが、翌9日目から再休場を余儀なくされた。カド番で迎えた翌名古屋場所は全休し、大関陥落。だが秋場所では関脇で12勝を挙げ、1場所での大関復帰を果たした。

 貴景勝をさらに苦しめたのが首のけがだった。21年名古屋場所2日目の逸ノ城戦で首を負傷し、途中休場。「頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアによる神経根症」によるものだった。その後も度重なる首の負傷に加えて足首や膝、大胸筋のけがなど次々とけがに見舞われた。1場所での大関復帰を目指した今年の秋場所も、首の不調などで相撲を取る稽古ができず、ぶっつけ本番の状態だった。大関在位30場所を数えたが、横綱の夢にはあと一歩、届かなかった。

 ◆貴景勝 貴信(たかけいしょう・たかのぶ)本名・佐藤貴信。1996年8月5日、兵庫・芦屋市生まれ。28歳。2014年秋場所で旧貴乃花部屋から本名の「佐藤」のしこ名で初土俵。16年夏場所で新十両。17年初場所の新入幕を機に「貴景勝」に改名。18年初場所で新三役。同年10月に千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)に移籍後、九州場所で初優勝。19年春場所に大関に昇進した。しこ名は前師匠が好きな戦国武将の上杉景勝が由来。175センチ、165キロ。得意は突き、押し。

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