伊藤比呂美「渡世人、寄る年波に気づく」

(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「渡世人、寄る年波に気づく」。伊藤さんは十数年に一度、国から国へ友人の家を泊まり歩き、まるで渡世人のような生活をするそうで――(画=一ノ関圭

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港々に女がいるのだ。トリノから、ベルリン、ポーランドのコウォブジェク、ワルシャワ、そしてオスロ。コウォブジェクでは文学祭に参加してたからホテルに泊まったが、あとはぜんぶ昔からの友人がいて、その家を泊まり歩いた。

いやトリノだけは、初めて会った人たちだった。初めましてと挨拶して、長年の友人と別れるみたいにハグして別れた。たぶんこの後もずっと関係は続くだろう。数年にいっぺん、いや十数年にいっぺん、再会して、なつかしい気持ちで抱き合うだろう。あたしが人なつこいのか、人間いっぱん、そういうものなのかわからない。

渡世人みたいな生活だ。おひかえなすってと仁義を切って、手前生国と発しまするは東京板橋、今は九州の熊本に住まいいたす、姓はいとう、名はひろみ、親も持たねえ流れ者の詩人にござんす。で、わらじ脱いで、ベッド用意してもらって、おいしいものを食べさせてもらうわけ。

トリノではからすみのパスタ。ベルリンでは白ソーセージに肉の煮凝りに、採れたてアスパラに、季節のハシリのアンズタケ。ワルシャワでは、豚のくび肉(豚トロという部位だ)の煮込みにジャガイモのゆでたの。オスロではバカラオという、干鱈をトマトやピーマンやジャガイモと煮込んだもの。それぞれの国のそれぞれの家庭料理だ。おいしかった、どれも。

渡世人は一宿一飯の恩義には義理堅い。出入りがあれば加勢する。朗読したり学生相手に講義したりもする。一所懸命する。しかし今回の旅で気がついたのは、寄る年波。

長く車に乗っていて、さあ降りようというときに、足がガクガクして降りられなかったのだ。降りても転びそうになってあわてて足をふんばった。

帰りの機内は、あたしはいつもどおりの窓際の席。いつも隣の人がトイレに立つとき、すかさず自分も立つのだが、今回の隣とその隣は若い男たちで、彼らは一度もトイレに立たなかった。どういう膀胱しとんのじゃと思いつつ、ついに二人とも起きてるときを見はからって声をかけて立ってもらった。そのときも、何キロも山道をくだってきたときのように膝がガクガクした。

熊本に帰りついたら、梅雨のまっさかり、青空も星空もなく、湿気と犬のニオイはものすごく(猫たちのニオイは平気)、あたしは熱が出て動けなくなった。コロナの検査をしたが、結果は陰性だった。

数日後(つまり帰国一週間後)には、NHKラジオ『飛ぶ教室』の出演で上京する予定だった。「調子悪いから、ねこちゃんちに泊まらずにホテルに泊まるね」などと親友・枝元に言っていたのだ。「そうなの」と枝元も止めなかった。でも、結局ぜんぶキャンセルした。『飛ぶ教室』はオンラインで出ることにした。寄る年波に時差ボケもある。東方向の時差ボケは西方向よりずっとつらい。

それにしても股旅の渡世人たち、昔は年老いたらどうしたんだろう。定住生活ができないから渡世人やってたわけで、身体が動かなくなったからといって今さら定住生活もできないだろうしなあ、などと考えながら、他人ごとじゃなかった。あたしは、ズンバもできずにぐだぐだしていた。

やがて咳が残った。風邪だったようだ。そして咳もなくなった頃、大丈夫かなと思いながら、おそるおそる上京した。今度はオンラインでは済まない企画ばかりだった。するとその頃、いったん退院していた枝元がまた入院してしまった。あたしは旅のはじめとまったく同じに、ヌシのいない枝元の家に泊まり、東京を渡り歩いた。朗読、講演、声を使う仕事だから、ときどき咳き込んだ。

東京最後の日に、枝元に会いに行った。前の病院は見舞いがダメだったが、今度の入院先は見舞いができる。ずっと会ってなかったから、やっぱり顔が見たかった。

病院は東京のど真ん中の大きな橋の向こうにある。交通の便がいいようで悪い。何々駅からタクシーかなと検索していたら、とある駅から都営バスが出ているのを見つけた。その駅に行くと、駅前のバス停から赤いバスが走り出したところで、目当ての都営バスじゃなかったが、行き先表示には枝元のいる病院の名前が書かれてあった。次のバスまで二十分。待とうか待つまいか。橋を徒歩で渡るのも悪くないと考えた。曇って暑くてムシムシする日だった。川の水がぎらぎらして見えるだろう、橋桁はどんなふうだろう。

歩きはじめたら花屋があった。ふと思いついて、そこに入って花を選んだ。ふさふさした穂のついたイネ科を二本に、赤い実のひとつついたブラックベリーを一本。コップに差せるように短く切って、茶色の紙で包んでもらって。それを手に持って外に出たら、バスの時間まであと五分。それでバス停に戻って待ったが、バスがなかなか来なかったのだ。バスってのはそういうものだ。

バス停にはもう一人、同年配の女が、今か今かと待っていた。道の向こうにやっと目当ての赤いバスが見えたとき、来ましたねと顔を見合わせて話しはじめた。彼女が「区のバスだから六十歳以上の区民はただなんですよ」とカードを見せてくれ、あたしは「区民じゃないから、六十歳以上だけど払います」と言って二人でなごやかに笑った。病院の前で「お気をつけて」と言い合って、あたしだけ降りた。なかなか終わらない旅の終わりがもうすぐのような気がした。枝元の顔を見ればちゃんと旅が終わるような気がした。

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