川村元気「10億円横領して馬に使ってしまった女性の事件を知ったとき、現代におけるコミュニケーションとお金の物語が立ち上がった」

川村元気さん。9月に3年ぶりの長篇小説『私の馬』を上梓する
映画製作者で小説家川村元気さん。『告白』『悪人』『君の名は。』『怪物』といった映画を製作し、『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』などの小説も執筆と、多彩な活躍で知られています。さらに2022年には自身の小説を原作として、脚本・監督を務めた映画『百花』が第70回サン・セバスティアン国際映画祭「最優秀監督賞」を受賞された川村さん。2024年9月19日に上梓する、最新小説『私の馬』について、お話をうかがいました。(構成◎かわむらあみり 撮影◎本社 奥西義和)

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【写真】川村元気さん「今作でも、馬に100頭以上会いましたし、馬に乗っている人たちにも50人以上にインタビューしました」

馬と人間のコミュニケーションの違い

『私の馬』を書こうと思ったきっかけは、4年半前に、女性が10億円を横領して乗馬用の馬に注ぎ込んでしまったという事件を知ったことです。そのニュースを見た時に、違和感がありました。横領したお金をホストやブランド品、ギャンブルにではなく、自分で乗るための馬に使ったのはなぜなんだろう? と。それと同時に、人間といる時間よりも、動物と触れ合う時間のほうが心が満たされる感覚が僕にもあったんです。

僕のまわりでも、コロナ禍以降、猫や犬を飼う人が増えています。スマートフォンをいじって、その中で嫌な言葉に触れたり、職場の同僚や家族と心が通じない会話をするぐらいだったら、動物と触れ合っている時間のほうがコミュニケーションの実感があるという人も増えた。そう思うと、この突飛な事件と自分のまわりの生活実感のようなものが合致しました。

興味深かったのは、馬でなければ、ここまでお金がかからないということ。猫や犬だとこうはならない。馬は高級品なわけです。そこで馬について調べ始めて、乗馬クラブに通ってみたり、『遠野物語』(岩手県遠野に伝わる、馬と結婚した女性の話「オシラサマ」が収録された柳田国男の著書)を読んで、実際に遠野に行ってみたりしました。

馬はすんなり人の言うことを聞かないんですが、それも魅力。遠野の山道で馬と一緒に歩こうとしたら、僕が無理やり引っ張ろうとしても、てこでも動かない。馬と人間の気持ちがシンクロした時に、初めて動くんです。この体験から「人間も本来そうだ」と思うようになって。我々は言葉を使って人をコントロールしようとする。けれど本質的に人を動かすのは、同じ方向を向いているのか、共感しているのか、そういった思いが通じ合えるかどうかだと思います。馬を取材していくことで、動物としての人間のコミュニケーションの原点を見つめるきっかけになりました。

 

小説なのに音楽を聴いているように書いた

馬は言葉が通じないので、どうやってコミュニケーションを取るのかとなった際、鳴き声や歌だと最初に思ったんです。前作『神曲』は聖歌隊がモチーフで、歌の始まりは、鳥の鳴き声を人間が真似たという説に触れました。そして今回、馬のいななきはオペラのようで、足音のリズムは音楽のようだと感じて。

執筆中は、ピアニストのグレン・グールドによる『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』をずっと聴いていました。バッハのピッチやリズム感が、ある種、馬の足音のように聴こえる。馬が歩いたり、走ったりするリズムに似ていて、小説のいろいろなシーンに合わせて聴くパートも分けながら、書き上げていきました。

言葉には、それ自体の意味もありますが、リズムもあります。昔からある短歌や現代のラップも、言葉の意味だけでなく、リズムも含めて完成している。そこで小説でも、読んでいる時に読者がそのリズムを体感できたらと考えました。だから今作には「ドゥダッダ」など馬の足音を感じるスキャットなども意識して入れています。小説だから音は鳴らないはずなのに、音楽を聴いているような体験ができないかな、と。

また、主人公・瀬戸口優子は、人間との言葉の交流があまりなく、ラストシーンまでほぼしゃべらない。そんな彼女が、馬とはコミュニケーションが取れていると思うのは、鳴き声や足音で感じているからだろうと。

馬は言葉ではなく、跨っている人間の太ももの血流や体温から、その人がどうしたいかを判断していると言われています。もともと人間も、体温や匂いなどの情報で動物的にコミュニケーションを取っていたはず。しかしどうしても言葉頼りになっていくから、むしろ齟齬が多くなってきた。同じ家に住む家族でも、すれ違ってお互いを理解できなくなり、さらにSNSでは、顔すら知らない相手と喧嘩になる。主人公を無口にしたのは、言葉があるのに通じていない人間の世界と、言葉がないのにコミュニケーション密度が濃い動物の世界のコントラストを書きたかったからです。

小説で、その時代の幸福論を書きたい

登場人物の一部に、動物の名前を忍ばせました。主人公の会社の後輩・宇野沢美羽はウサギ、船の修理工・丑尾健二郎は牛など、動物の持っているイメージを想起させるのに、漢字で表現するのが適している。漢字でイメージを表現することができるのは、日本語の面白いところ。

『私の馬』(著:川村元気/新潮社)

装丁画は、現代美術家の井田幸昌さんにお願いしました。井田さんは初期の頃、よく馬をモチーフにしていて、その絵が印象に残っていたんです。井田さんは今作のために馬の油絵を三つ描いて見せてくれて、最後に出てきたのが、顔が見えない馬の絵。実際に付き合っていくと馬は個性豊かで、一頭ずつ顔も性格も違う。そこが抽象化されているのがいいと思って表紙に選びました。

今は本を買うことが貴重な体験になっていますよね。内容が面白いことは当然ですが、マテリアルとしての価値を高めるために、装丁にもすごくこだわっています。昔はもう少しのんきだったんですが、刻一刻と本を取り巻く状況が厳しくなっていくので。

帯のオレンジ色は、馬具屋から始まったエルメスを意識しました。ほかにもフェラーリ、ポルシェといったブランドも、人間の富や憧れの象徴に馬を取り入れている。このオレンジを見た時に、みんなが潜在的な憧れを感じてくれたら、それは紙の本の持つ魅力でもあるのかなと。

自分にとっての切実な問題の処方箋

僕は基本的に3年に1回しか小説を書かないのですが、いつもその時代の幸福論を書きたいと思っています。今の時代にとって、人間は何をもって幸せだと感じているのか? それが恋愛の時もあれば、お金の時もあって、今回は「誰とつながっているか」というコミュニケーションがテーマとなりました。

さらにその時代ごとの“自分にとっての切実な問題”を解決するために書いている。『世界から猫が消えたなら』は、僕のおじさんが45歳と若くして亡くなり、人はこんなに早く死んでしまうのだと実感していた時の作品。自分が死んでしまった後に、どんな世界が残るのだろうか、と。その不安を解決するために書いていたところがありました。『億男』は、まわりでお金を持った人たちが、まるで幸せそうに見えなかったことがきっかけです。貧乏はつらいが、お金を持っていても幸せになれない。では、幸福の最適解とは何だろうと、知りたくて。

『四月になれば彼女は』は、まわりで誰も恋愛しない、誰も結婚に希望を持っていない状態だったので、「どうしてそうなったのかな?」と、その理由を探したくて書きました。基本的に、小説を書くという行為は、僕にとっては切実な問題を解決するための手段。だから、まず取材を大量にします。今作でも、馬に100頭以上会いましたし、馬に乗っている人たちにも50人以上にインタビューしました。すごい量の取材をすると、悩みの出口のようなものが見えてくる。そして理解したものを、今度は物語化していくことで、自分の中の解像度が上がる。

このプロセスをやるのに3年かかる。そして書き終えた頃には、当時の自分が抱えていた不安や、フラストレーションの正体がちょっとわかるようになっていて。まるで処方箋をもらったような気持ちになります。でも終わると、すぐに次の不安や恐怖が現れるので、今度はその山に登る、ということを繰り返している。生きていると嫌なことが絶えず現れるんですが、それを自分なりに理解して向き合うために、小説を書いてるのかもしれません。この世界のどこかに、自分と同じようなことに悩んでいる人がいると信じて書き続けています。

僕にとっては、物語を書くことが、誰かとつながっていることを確認する行為なんです。例えば、小説を読んだ人から「面白かった」「のめりこんだ」「心が動いた」と言ってもらうと、自分だけの悩みではなかったんだと思えるんです。それが書き手と読者とのコミュニケーションだと考えています。

後編につづく

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