米軍が<鍼治療>を取り入れたワケ。鎮痛以外の目的として薬物依存症やストレス性疾患はもちろん、今注目されているのは…

(写真提供:Photo AC)
近年そのメカニズムが次々と科学的に解明され、注目を集めている「東洋医学」。2024年5月19日(日)放送のNHKスペシャルでも「東洋医学を〈科学〉する 〜鍼灸・漢方薬の新たな世界〜」と題し、研究の最前線が紹介されました。その番組制作に携わっていたのがNHKメディア総局でチーフ・ディレクターを務める山本高穂さんです。山本さんが、島根大学医学部附属病院にて臨床研究センター長を務める大野智さんと執筆、東洋医学の謎に迫った著書『東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム』から一部を紹介します。

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【書影】『東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム』

米軍でも使われる耳ツボ治療

筆者(山本)が東洋医学の取材を始めたきっかけのひとつは、「米軍が鍼治療を行っている」という驚きの情報でした。

早速取材を申し込んで訪ねたのは、首都ワシントン近郊にあるアンドリュース空軍基地。

有名な大統領専用機・エアフォースワンの本拠地でもある広大な基地で私たちを迎えてくれたのは、米空軍で鍼治療を最初に始めた医師、リチャード・ニエムゾー博士です。

2001年に、耳の5つのツボを使って痛みを緩和するという「Battlefield Acupuncture(戦場鍼治療:BFA)」と呼ばれる方法を発表し、世界的に注目されました。

なぜ米軍で鍼治療を行っているのか

この方法で使う鍼は日本や中国の鍼とは違い、長さ3ミリメートルと短く、鍼の先端は“矢じり”のような形をしていて1ミリメートルほどの太さがあります。刺した後も数日間そのままにしておくと言い、その見た目は、まるでピアスをしているような感じです。

取材では、腰痛に悩む補給隊員の治療に立ち会いましたが、両耳にそれぞれ数本の鍼を刺しただけで痛みが大幅に軽減したと話していました。

それにしても、なぜ米軍で鍼治療を行うのでしょうか。

ニエムゾー博士によると、戦場でのケガや疾患による痛みを素早く簡単に処置するために、鎮痛薬以外の治療の選択肢として鍼治療に注目したと言います。

さらに、手足の裾をまくったり、服を脱いだりする必要がない耳のツボを使えば迅速に治療が行えると考え、それまで効果があるとされていた多数の耳ツボの中から5つを選び出したそうです。

彼らが行った治療メカニズムの研究では、この5つのツボに鍼を刺すと脳の血流が増加することが確認され、耳ツボへの鍼刺激によって脳の痛み感覚を調節している可能性があると言います。現在、BFAは米軍以外でも広がっており、鎮痛だけでなく精神疾患などの治療に応用する研究も進められています。

耳ツボの“ルーツ”

このように熱視線が注がれる耳ツボですが、実は、そのルーツはとても歴史が古く、主に2つの説があります。

ひとつは中国を起源とする説で、中国伝統医学の古典である『黄帝内経』(前漢時代)に耳を介した治療の記述が見られます。そして、もうひとつはヨーロッパを起源とする説で、こちらも古代ギリシャの医師ヒポクラテス(紀元前460頃〜前370頃)の著書の中に、耳を刺激して痛みを治療する記述があります。

いずれにしても、人類が古くから耳を刺激する治療法を行っていたことは確かなようです。

ただ、近年行われているBFAをはじめとした耳ツボ治療のベースの話となると、歴史は一気に進みます。1950年代、フランスの医師ポール・ノジェは、自身の患者が、地中海沿岸で古くから行われているという、耳の一部を焼くことで坐骨神経痛を緩和する民間療法を受けていたことを知ります。

そこでノジェは、耳への刺激が人体に与える影響について詳細な研究を行い、耳には体の各部位の状態が反映され、また、逆に各部位に関係する耳の場所(ツボ)へ刺激を行うと、それぞれの部位の痛みが緩和することを見出したと言います。ノジェはこれを耳介療法として提唱しましたが、この考え方は後に中国にも伝わり、中国独自の耳ツボ(鍼)治療が体系化されたのです。

災害時の医療支援としても

現在、耳ツボ治療は、鎮痛以外にも薬物依存症やストレス性疾患など、さまざまな症状への導入や研究が進められていますが、なかでも注目されるのは、災害時の医療支援です。

(写真提供:Photo AC)

2010年に発生したハイチ大地震などでは、アメリカのボランティア団体が、ケガやストレスに苦しむ被災者の治療に耳鍼治療を行うなど、その手軽さと即効性が評価されているのです。

さらに耳ツボは、最先端の医療研究でも関心を集めています。

実は、耳には自律神経のひとつである迷走神経が分岐しているのですが、耳を刺激することで、迷走神経をコントロールできる可能性があることが示され、自己免疫疾患などへの新しい治療法の開発が進んでいるのです。

※本稿は、『東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム』(講談社)の一部を再編集したものです。

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